2005年2月、私は一人日本へ発った。旦那と別れるのは少々寂しかったが、むしろ『日本で心機一転頑張ろう』という気持ちでワクワクしていた。就職活動を開始して1ヶ月で念願の出版業界に就職し、憧れていた編集の仕事に就いた。私は仕事に集中し、充実した日々を送っていた。


当時は子供がいなかったから、ある意味とても自由だった。でも、今は違う。全ての状況が違う。


私も今回、「くそっ、日本に帰りたい!」と何度も思った。でも、簡単にそうはいかない。


というのは、まず私たちは韓国に住んでいる。6ヶ月間の別居を解消しようとした時に、私は言った。


「もう私はデンマークには帰らない。だから、あなたがデンマークに残るんだったら、私も日本に残る。でも、あなたが韓国に住めるように手配してくれるんだったら、私も韓国に行く」と。その時、旦那は大学4年の前期であり、4年の後期は国内なり海外でインターンシップを行わなければならないことになっていた。結局、旦那は私との同居、韓国でのインターンシップを行うことを選択し、私たちは受け入れ企業のあった釜山に移住した。旦那は韓国で卒論を書き上げ、デンマークの企業からヘッドハンティングされたのにも関わらず、卒業後も韓国に住むことを選んだ。韓国に住むことは彼の意志でもあったが、言いだしっぺは私である。


そもそもデンマークに行ったのは、旦那がデンマーク人であり、旦那がデンマークの大学に入学することになったからであり、つまり、目的は旦那との生活を営むためだけであった。だから、その目的である旦那と険悪になり、これ以上辛い生活を続けていくことの意味を見出せなくなった時、私はデンマークを発った。結局、デンマークは私にとって、最後まで異国の地でしかなった。


しかし、韓国は外国でもまた違う。自分が好きで韓国に来たからだろう。そして、旦那と出会った地であり、どちらの故郷でもなく、お互いが外国人でいられる国だから。現在、生活の基盤となっているのは韓国であり、日本の実家に帰っても、やはり自分の家は韓国の家だと思うのである。


細かいことを言うと、今月から息子と週に1回、文化センターに通い始めた。『アマデウス英才音楽教育』というクラスである。まあ、私の暇つぶしも兼ねて。それが3か月コースなので、ちょっと今帰るわけにはいかない、とケチ臭い理由から。


そして、もうひとつ。


当時、彼の家族はデンマークにいた。でも、今は違う。彼の両親はもうこの世にはいない。旦那の帰る実家はもうない。私には日本に両親がいるが、旦那にはいない。当事者にとって、その違いはやはり大きい。20代で一気に両親を失った旦那のことを思うと、私は気軽に日本に帰ることはできない。


そして何よりも大きいのは、私が日本に帰るということは息子も一緒に連れて帰ることになる。旦那は息子をとても愛している。それに、息子は旦那にとって、初めてできた唯一血の繋がった家族である。


だから、私は旦那と息子を引き離すことに心が痛む。


義理の両親の生前は、1ヶ月でも1ヶ月半でも平気で日本に帰省していた私だが、今は2週間が限度かなと思う。母親として、やはり父親である旦那にも毎日の息子の成長を見届けて欲しいと思うし、息子にも毎日父親と触れ合って欲しいと思うから。


上に別居しないふたつの理由をあげたが、結局のところ、旦那に対してまだ愛想が尽きていないからだと思う。私の性格上、愛情を抱かない人とはまず一緒に暮らせないし。


確かに、私のブログを読んだ限りだと家庭に寒ーい空気が流れている印象を受けるかもしれないが、お陰様でまだそこまで酷くはない(笑)昨日も会社から帰ってきて、食後の皿洗いをしてくれたり、息子と遊んだり、一緒にヨガのDVDを見たりした。


平日は仕事が終わると直帰し、ちゃんと家で夜ご飯を食べ、よほど疲れている時以外は家事も育児も手伝ってくれる。会社の飲み会に行くのも月一だし。週末もいつも私の行きたい所に連れて行ってくれるし、一緒に家事も育児もしてくれる。お給料も全部私に渡してくれるし、ガソリン以外は何も買わないし(笑)そう考えると、旦那に対して何ら不満はないのだ。でもねぇ~、色々と言いたくなっちゃうわけよ、細かいことをね。(服を脱ぎっぱなしにしない!とか、寝る前に歯磨きをしなさい!とか…)


とにかく、旦那は今かなり精神的にも肉体的にも疲れていてイライラしているのは確か。そんな時に私が小言を言うから、向こうも憎まれ口をたたきたくなるのだと思う。結局、私の小言が災いの元なのである。(分かってはいるんだけどねぇ~。)


今回この記事を書きながら、もっと心の広い奥さんにならんといかんなと、何十回目かの反省をしたのであった…。