フェロー諸島時間で11月1日午前10時、義父が他界した。


悲報を受け取った時、私と旦那はカンナムのカフェにいた。不味いインド料理レストランで食事をした後、カフェでコーヒーを飲みながら、ケーキを食べている最中であった。突然、旦那の携帯が鳴った。


どうやら義姉からのようだった。旦那が「何だって?」と小さく叫んだ後、顔が歪んだ。旦那がこんな顔をするなんて、何か良くないことがあったに違いないと思った。5分ほどして旦那は電話を切った。


「どうしたの?何だって?」と私は聞いた。


旦那は「パパが死んじゃった…」と呟いた。


信じられなかった。私はその場で悲鳴をあげ、泣いた。


信じられない。義父は心臓の具合が良くなくて、先々週から入院していた。でも、先週の日曜日に通話した時には、そこまで深刻ではなさそうだった。医者の話では、特に何をするのでもなく、とりあえず薬を飲みながら様子を見るといった感じであった。ただ、義父の体に合う薬がなく、近いうちにデンマークで心臓の手術を受けねばならないようだとは話していた。でも、まだいつデンマークに行くかも決まっていなかった。私たちは義父の病気を深刻には受け止めていなかった。


医者の話によると、10月31日の夜、義父の容態が急変したらしい。義父は「心配するから、誰にも連絡するな」と医者に口止めしたそうだ。そして、1日の午前10時、義父は亡くなった。


◆ ◆ ◆


義母も今年の1月に他界した。59歳の若さで。


義母が他界してからまだ1年も経っていないのに、今度は義父が死んじゃうなんて。


義父だって、まだ61歳の若さなのに。


義父も義母も孫の顔も見ないで、こんなにも早く逝っちゃうとは…。


こんなことが起きるなんて。こんな悲しいことが起きるなんて。


義父は義母の死後、私たちの前では元気に気丈に振舞っていたが、本当はとってもとっても寂しく孤独だったのではないかと思った。


旦那と義姉はついに両親を失ってしまった。それがとてもとても哀れで可哀想で…、とても辛い。


旦那はポツンと呟いた、「これでフェローに帰る意味がなくなってしまった。僕は故郷を失った」と。


◆ ◆ ◆


今日、旦那は一人韓国を発った。私も一緒にフェローに帰りたかったが、もう妊娠36週目に入り、出産予定日まで1ヶ月を切った。旦那は3週間後に帰ってくる。旦那のいない3週間、家族も親戚もいない韓国で、私がお腹の赤ちゃんをしっかりと守らなければならない。今はまだ悲しみと衝撃と脱力感から抜け出せないが、母である私がしっかりしなければならない。それが今の私の役目である。


そして、旦那には義姉と力をあわせて、子供としての最後の役目を心残すことなく、しっかりと果たして帰って来て欲しいと思う。


心から義父の冥福を祈っている。パパ、今まで本当にどうもありがとう。