前回の章
自分がこうなってしまったことは、自分を取り戻す一連の作業であると同時に自己否定の繰り返しでもあった。
自分という人間を知れば知るほど、なぜ自分はこれだったのかと。
深みにハマることになったからだ。
(後ろ向きな自己分析のやりすぎも考えものである)
自分がどういうことに向いているのかを知るために、鑑定なんかも試してみたけれど。
当たり前だけど、否定しまくってきた自分自身の特性をいきなり
「ここがあなたの強みですよ」
「あなたの特徴ですよ」
と言われて、それを素直に受け入れられますかって話だ。
現代を生きるのに求められる人間像。
対して、おもしろいほど真逆の自分。
どうしてこうも、今の時代に必要とされない個性ばかりを引っ提げて生まれてきたのか。
むしろ、それが私自身の後天的性格ではなく、生まれ持った贈り物だと言われると、なおのこと不満が浮かんでくる。
本当に、嬉しくない個性の贈り物である。
どうしてもっと、生きやすい個性を選ばなかったんだい?
この自立が鍵の時代において、他人軸で生きる個性を持ってどういう生き方がしたくて、生まれてきたんだい?
探せば探すほどに出てくる不満。
私以外のすべてが美しく輝いて見える。
羨望の眼差しなんて、幼稚園の頃から知ってたよ。
これはよくて、あれはダメ。
そんな世に蔓延る価値観。
親が期待する子ども像。
大人が期待する子ども像。
そういうことを敏感にも感じ取っていた挙句、会社に求められる人材像、モテる女(男)の特徴。
まったくもって私たちは常に誰かの目によって評価されてきた。
いつしかそれが、自分を縛っている眼差しとなって自分をいつだって苦しめる。
自分をどうにか取り戻そうと頑張る一方で、自己否定を繰り返すという真逆の行い。
まあ、文字通り「もがき苦しんでいた」ということなんだろう。
否定といえば、話は前後するがこういうこともあった。
引きこもっていた間、仕事に関することについて親から何もなかったわけではい。
祖母からは、本屋さんのアルバイトの話を聞いたこともある。やんわりと断った。
親からは、図書館関係の本の整理のアルバイト募集の話があった。
この情報源は父親からで、要項が書かれた印刷物を母親から渡された。
しかし、たまらなく腹が立った。
許せなかった。
どいつもこいつも、アルバイトばかり。
アルバイトを始めた所で、それだけで一生やっていけるわけもないのに。
親としては、ステップアップを望んでいたのかもしれないが、私にとっては最初から完璧なルートでなければ意味がない。
親は、私のそんな臆病な完璧主義をまるで理解していなかった。
そんな主義のせいで、「アルバイトでもいいからやってみなよ」という適当かつ無責任な親の言葉に、大層腹が立った。
アルバイトでもいい。
これ以上に屈辱的なものはない。
責任を取らないからこそ、軽い気持ちで言えるのだ。
そもそも非正規で働く自分に劣等感を覚えたのがきっかけでもあったのに、また同じ道を歩けというのか。
怒りが湧いてくる。怒りしか湧かなかった。
しかも、内容が本。
どうして、みんな私に本のことばかりを押し付けてくるのだろう。
確かに昔から読むのは好きだったし、図書館にもよく行った。
でも一度不採用をもらった私にとって、もはや本なんて触れてほしくない過去の歴史である。
それなのに、みんな傷を抉るかのように、いつまでも槍でつついてくるんだから。
「もう二度と、本に関するものを持ってこんといて!!」
そう怒鳴り、要項をたたきつけた。
正直、みんなの中にある私のイメージを崩したかった。
優しい自分も、不満も言わずに従う大人しく従順な自分も。
そんな自分なんて嫌いで、許せなくて、否定したくて。
私のすべてを自分で否定したい。
私のいいところなんて全て嫌い。
こんなものがあるから今が苦しいんだ。
消えてしまえばいいのに。
本に対する怒りを見せつけるために大量の本を捨てたのに、結局言葉にしないと理解なんてされない。
でも、言葉を交わすことさえやりたくない。
資格までとった、それくらいには興味はあったけれど、もうすべて不要になった。
むしろ、そんなものを取ってしまった自分が憎らしい。
そんな過去を消してしまいたい。
忌々しい。破り捨ててやりたい。
要は、「本を好きでいた私」を捨てたかったのだ。
というか、そんな自分の全てを捨てたかった。
親がよく知っている私の姿さえも。
・・・ちゃんと自分の受けた傷をまともに直視できてない頃の、懐かしい思い出です。