子どもとしての役割を忘れられないからこそ、いつまでたっても大人として成熟しない。
 

一連の出来事

親に言えなかった理由

いつまでたっても自立できない理由

から私が結論付けたのは、こういう事実でした。


子どもの役割とは、周りの大人に従って生きていくこと。
 

それは、一言で言えば親の幸せを思って生きることです。
だって親が幸せじゃないと、自分を守ってもらえないからね。
 

庇護下にある以上、保護者がちゃんと自分を育ててくれないと困る。
それは生き物として当然の本能であり。
 

でもそんな難しいことは考えなくとも、親が笑っていてくれたら子どもはそれだけで嬉しいもの。
だからこそ、親の顔色の変化に子どもは敏感です。

 

(虐待のニュースなんかで見るけど、あまりにも理不尽な怒りに対して泣きながら謝ってる子どもの映像とかあるでしょ。

・・・健気すぎて悲しい)


 

でもね。
 

大人になっても、周りの人間の顔色に敏感な大人ってのはいるもんでして。
 

私はそれを、よく気が付くからこその敏感さなんだろうなと思ってきたけど。
 

もしかしたら、子どものままだからこそ親の顔色をうかがうみたいに、それを外でもやってしまうのではないか。
職場でも自分の家庭でもお構いなく、それを発揮してしまうのではないかと思ったのです。
 

要は子どもを卒業できていない。
一応は肉体だけは大人に成熟してても中身は子どものまま。
 

だから、なんか職場でやりにくかったり、すぐに辞めたり、自信が無さ過ぎたりしてるんだと思います。
性格とかだけの話ではなく。
 

10歳の子どものまま会社に行って仕事をするようなものだから、当然怖いし、自分にはできないと思っても仕方がないのだと。
 

私自身、周りの方が自分とそんなに年齢は変わらないはずなのに、どうしてこんなに自分はダメなんだろうって落ち込むことがあるけれど。


まさに未熟なだけで、10歳児が仕事をしてるようなものなんだなと。
いくらスキルや資格を取っても不安がなくならないのは、そういう事情があったりもするかもですね。
 

どこか子どものまま止まっている。

 


この不安げな顔
 

先日、職場でミーティングがあったのです。
あんまりやらないけど、対面で。
 

その時、社員の男性たち(30後半~50くらいまで)が、仕事をしている顔をしてたのを間近で見て。

 

ああ、この人たちは仕事を真剣にやっているんだなって。
 

職場はやっぱり男性がメインで、女性の多くは私も含めて派遣社員ばかり。
それでも、すごく場数を踏んできた方たちなので、しっかりしてて。
 

でも、やっぱり社員として働いている男性とは、またちょっと違ってて。
 

やはり今の、これまでの社会を築いてきたのは、こういう男性たちなんだなって思えた。
真剣で、今までの経験なんかも含めて堂々としてて。

(ま、支えてくれてる家族がいるから輝けてるんでしょうが)

 

仕事のことだけ考えてればいい男とちがって、夕飯のこと、子どものこと家族のこと。

それらを守るために考えなきゃいけない関係だとか。
 

女には女の役割があるから、男みたいにやるのが正しいとは絶対に思えないけど。
 

それでも、ああやって仕事のできる男性らを見て悔しかったのは事実でした。

 

私はそんな覚悟もないし、守るべき家族や子どももいない。
あやふやな立場で、男にも女にも嫉妬してる。
 

どっちにもなり切れない自分が、なんか無様で悔しい。

 

なれないとかではなく、覚悟を欠いているのが情けない。
やっぱり、中身が子どものままなんだなって思い知らされて。
 

6人くらいのミーティングで、まあ私が一番若いし新参者なのもそうだけど、子どもが一人迷い込んで座ってるみたいな感覚だった。

疎外感と。

覚悟の欠如と、甘さ。

 

やっぱり仕事をするだけの覚悟を、私は持ち合わせてなかったなって思い知らされて。
そういう意味で悔しかった。

 

まあ、派遣社員という立場であることも含めて。

自覚というのは立場が作るというのも、分かる気がする。

 

 

 

まあ、そういう経緯も含めてですね。


私自身、やっぱり周りの顔色だとか空気を異常に読めてしまう質なのは、そうやって自分を守っている、つまりは子どもの生き延び方そっくりなんだよなって思ったわけです。
 

未熟なまま。

そんな状態で仕事なんてしてしまうと、結構キツイですよ。




だけど。
 

そう思うと、やっぱり私は今の職場に訪れている意味が、ちゃんとあるんだなとは思うのです。
 

何かに気付かされ、そして前へと進む。
ちゃんと用意された道こそが人の人生なんだと思うから。
 

だからみんな、パーフェクトなんだと思いますよ。
 

今がたとえ地獄でも、それはもしかしたら、最初からそう決まっているのかもしれませんね。
 

その先に道がある。

だから今、ここにいると。
 

そういうことを自分で体験して、それをね。

今後も言葉で伝えていきたいと思います。