成人式があったようなので、かつての自分を振り返ってみたいと思います。
 

自分は成人式には出ていません。
というのも、地元を離れていたからです。
 

それにわずかな友人は市外在住だったので、式で再会ということはなかったので。

とはいえ、振袖は着ました。
写真にも残っていて、むしろ記念のためだけに着たくらい。
 

私の振袖は、祖母が買っておいてくれたものです。
親族に呉服屋がおりましたもので。
 

そのためレンタルと違って、結構古めかしいというか柄が大胆で。
今風の可愛らしくて華やかっていう感じでもなく、それを見せられた時、残念に思った記憶がよぎる。

そもそも私は、大人になるのが嫌だった。
 

自分が大人であることに違和感を持ってて。
確かに肉体としては20年を生きたのでしょうけど、あくまで肉体の話であって。
 

それと同じだけ中身が成熟してなかったことを分かってたので、素直に喜べなかった。

だから結局、家に帰ることさえしなかった。

告げた時の母の声が残念そうだったことは、この際忘れよう。
 

それに、今どきの人間の成人は、実はもっと後だなと思ってます。

今は便宜上18歳で成人ですけど、それもこれも大人の勝手な都合です。

肉体の年齢は、分かりやすく何歳って決まってはいるけれど、ではどういう状態になれば精神も大人になったと言えるのか。
 

個人的にだけど「かつての夢を自分で叶えられるようになったら」だと思います。

昔どうしても欲しかったものを、買えるようになったと気付く時。
行きたかった場所に自分のお金で行けた時。
 

かつてやりたかったことを、いつの間にか自分はできるようになっていた、そう気づかされる時があるのだと思います。
 

そうなった時、自分はいつの間にか大人になっていたと、少なくとも私はそう実感しました。
 

それは、ちょっと誇らしく、そして寂しくもありました。
人目を避けて、ちょっとだけ泣きました。
 

つい最近のことですけどね。
普通に30オーバーしてましたよ。

あるいは、自分も誰かの親になった時。
家族を養うため、自分が稼ぐ側に回った時。
 

ふと大人になったなと感じる時は、人さまざまでしょう。

だから成人式というのは、本当にあくまで形式的なものです。
それは子育ての終了を意味する区切りなんだと思います。
 

そこから子どもたちは、自分で勝手に大人になって帰ってくる。
そういう意味での門出だと思いますね。
(私は、いつまでも居座ってますけど)

 

大人になる