いいひと


いい子


 


 


人に迷惑をかけない


自分で何でもできる


 


 


人にやさしい


自分に厳しい


 


 


 


いつからなのか?


いや、きっと徐々に。


 


 


わたしは「いい子」の枠に収まろうと


人と比べることをしてきた。


 


 


 


両親は比較的厳しく、現実主義で


10歳から同居した祖父母は体裁を気にする人だった


教師+αで人前に出ることしてた一界隈で名の知れた人だったしね


 


 


何ができるのか?


何が秀でていて、人に自慢できるのか?


外に出して恥ずかしくない孫であるかどうか?


 


 


今思えば、


離れて暮らしているときからずっとそうだったなぁ


 


 





4-5歳くらいのわたしとじぃさん。通称“かき氷の乱”


 


 


「ちゃんとしなさい」


「お姉ちゃんなんだから」


「はずかしいからやめなさい」


 


 


幾とどなく言われてきて


身体に、心に染み沁みしている


 


 


どこにいってもお行儀よく


人様に迷惑が掛からぬよう


 


 


なんなら


人よりも何か優れていて


評価されることを求められた。


 


 


その結果


ちょっとした脅迫概念と


達成できなかった時に劣等感を生み出すようになっていた


 


 


 


今その気持ちや感覚をとらえると


 


 


それらは機械のようで


大きな大きな機械仕掛けになっている


(映画とかである大きな機械仕掛けのものの


 中にぐーっと入っていった内部の映像が見えてる)


 


 


 


私の中で稼働している大きな仕組み。


 


 


今対峙してみて


すごく嫌なものだと思っていたけれど、


 


 


 


こんなにも精密でちゃんと稼働していて


ずっと動き続けていたものだと思うと


愛おしく感じる。


 


 


頑張り続けていた事、


こんなにも複雑になっていること


 


 


 


ありがとう。


 


 


 


これは私を構築している仕組み。


 


 


 


「いいひと」でいること


「いいこ」でいること


 


 


「人に誇れる人」であること


 


 


なにかしなければ、


 


 


人様に迷惑をかけぬようにしなければ。


 


 


「良い人」だと思って思われるように


周りに気を配り、人がしてほしいと思うことを察し動く。


 


 


大抵の事をそつなくこなす。


何でもできそうな顔をする。


何でもできそうな雰囲気を作る。


 


 


真面目であること。


 


 


NOといわないこと。


 


 


いい顔をする事。


 


 


嫌われないこと。


 


 


そんなことを無意識に意識して生きてきたんだと思う。


 


 


 


本来できないこと、好きじゃないこと


苦手なこと、したくないことまでエネルギー注いで


 


 


よく頑張ってきたね、わたし。


 


 


むせび泣いてる私がいた。


 


 


 


 


大丈夫だよ、疲れたよね。


よーく、頑張ったね。


ありがとね。


 


 


ぎゅっと抱きしめてあげる。


 


 


 


すぐに今までの我慢や辛かったことが消えるわけじゃない。


だけど


 


 


そんな自分がいたことや


こんな仕組みがあることに気付けるか否かで


この先の人生は大きく変わってくると思う。


 


 


 


この先の人生は


わたしが私のために生きる。



アンドレ ユウカ໒꒱ .°