おつかれさまです。
handmadeleafです。
わたしの祖父は、新潟県でも指折りの唐丸(とうまる、Tomaruとは、ニワトリの品種の一つである。東天紅・声良とともに日本3大長鳴鶏の一つとして知られる。)の飼育家でした。
毎年5月、弥彦神社で開催されてた品評会に自慢の鳥たちを連れて行き、必ずべろべろに酔ってトロフィーを持ち帰ってた祖父の事はあまり好きではありませんでした。
なぜって?
のんべだから。
大好きな祖母が毎晩祖父の相手をするのが大変そうに見えてたから。酔っ払いの相手はそれはそれは大変そうな。。
大好きな祖母がつらい=祖父好きじゃない→単純なわたし
あまり好きではなかった祖父ですが、里帰り出産の時、出産後に息子を連れて帰った時、それはそれはとてもうれしそうにしてくれてました。
わたし達が帰るとき、必ず「leafまたこいよー!」
なんて笑顔でお見送りしてくれました。
おかげで、わたしの頭の中ではのんべの姿ではなく、
あの笑顔の「またこいよ」の顔が最新の顔としてずっとあります。
笑顔でお見送りする事の強さ、今のわたしにはありません。
いえ、前からないのかもしれません。
東京の息子が帰省して、帰る時もいつもそう。
今日もやっぱりそうでした。
明日から新社会人として就職する娘が、先ほど自分の家に帰りました。もうね、ちゃんと言葉が出せないのよ。
帰った後も、過去の娘のちっちゃいころの絵が勝手にBGM付で
流れてくるのよ。そう、涙とともに。
この感情はなんだろうね。さみしさ?という単純な感情ではない気がするのですが、いかがでしょうか。
何かいい解決策はないのだろうか。
「へい、シリ!勝手に出る涙を止める方法を教えて。」
自分が娘に色々としてあげられなかった後悔なの?と思い、
今回は何種類かおかずを作って冷凍をしてお土産にしました。
それでもやっぱりだめなんですね。
本当に何かいい案ないですかね。
わたしも、またこいよみたいに今度は笑顔で「またこいよー」って言ってお見送りがしたい。
ミモザの木が「何があったの?」というほど
荒れてたのを伐採し、お花でリースを作りました。
こんな時こそhandmadeなんだよね、とか思うけど
ほんとはね。
全国のおとん、おかん
おつかれさまです。
それでは、また。