テセウスの船 | 波動砲口形状研究

テセウスの船

テセウスの船、という哲学上の命題があるそうだ。

テセウスはギリシャ神話の英雄で、ミノス島の迷宮に住まう怪物ミノタウロスを倒してアテネに帰ってくる。

その船はテセウスがアテネに戻ってからも長らく保存されたが、徐々に朽ちてくるにつれ、傷んだ部分は新しい材で作った部品に置き換えられていった。

さて、とうとう最後の部品が新しいものに置き換わるときがやってきた。そのとき、それはまだ英雄テセウスの船と呼べるだろうか。


この話を思い出したのは、旧作映画を見て、そのナレーションで、

「ヤマトは大和の改造によって建造されている」

ことを明言しているんだなあと知ったからだ。


「しかしその地下工場では大和の改造が着々と進められており…」

TV版の劇中ではここまで明確にヤマトは大和の改造とは言っていなかったよなあ、と手持ちのDVDを見返して確かめてみると、

1話や2話のナレーションで「大和は260年の眠りから覚め…」という言い方をしている。これはどちらとも取れる言い方だ。

3話では沖田が艦内案内で「昔の大和では士官室兵員室があった所」という言い方をしているわけだが、これも位置的にそうだ、という説明だとも解釈できる。

TVの劇中での言及に限れば、改造論に確たる証拠はないわけだ。

このあたりの微妙なブレはPのこだわりで設定が云々、という話の流れ上生じたことなのだろう。近年では松本零士が改造論を明確に否定している。


「宇宙戦艦ヤマト大クロニクル」序文

そして2199でも大和の姿が偽装にすぎない、ということで明確に改造論は否定された。

この2199の設定が明らかになった時、ネットでヤマトは大和の改造でなければならないという論を張る人達が現れて、そこがこだわりの人もいるんだなあと思ったものだ。

気持ちとしては分からなくもないが、現実の大和の沈没した姿も明らかになった今、大和の改造はやはり無理がある。

落とし所としてキールや砲身の素材に一部大和から回収した鋼鉄が使われている、というような設定が入っていれば、「大和の改造でなければ」派の方々の心も安んじられたのではないかという気がする。

つまり、逆テセウスの船方式だ。

まあしかしこのあたりはどこまで行っても個人的妄想で、あんまり考えてもしょうがない。


個人的な話ついでだが初めて買った車を手放す時、あまりに名残惜しくてハンドルだけ外して手元に残した。

将来、可能なら同じメーカーの車を買ってそれを取り付けたりしたいなあとかそのときは思ったのだが、実際にはやらないだろう。

それでも自分にとってはそのハンドルがあることで、あの車の何かがまだ自分のもとにある、と思えるのだ。

ヤマト=大和改造派に通底するところを私も持っているということなのだろう。