ブラー特集第2弾「モダン ライフ イズラビッシュ」 | kaeruの王子様

ブラー特集第2弾「モダン ライフ イズラビッシュ」

ではでは、ブラー特集第二段ですo(^▽^)o

第二段は、
ブラー、二枚目アルバム、名盤と名の高い、

「モダン ライフ イズラビッシュ」


ですo(^▽^)o

このアルバムは、まさに
「ブラー」の昔と今を見れるような、
ブラー全てを聞ける感じの名盤ですo(^▽^)o

人気は無いんですが、評価は高い、
ファンの間でも、人気の強いアルバムですo(^▽^)o

ファーストアルバム、
「レジャー」
がそこそこの売れ行きだった彼らは、少し売れてきて、お金もはいり、
これから前途用様に見えました


が…そうはいかなかったのです(>人<;)

というのも、前からメンバーとうまがあわなかった、マネージャーが、
バンドの売り上げ金全てを持ち逃げしてしまったんです(>人<;)


しかも、レコード会社は、ブラーを売る気がなく、消極的でした(>人<;)

メンバーは、アメリカ全土を回るツアーに出ますが、それはもう過酷なツアーでした(>人<;)

あのツアーの模様は、ドキュメントビデオ、
「スターシェイプト」にも収められてます。

そして、その当時の不満だらけの政治、自分達の鬱憤など、全てをぶちまけた、シングル、

「ポップシーン」
をリリースします。

「曲はまず、フランジャーを使った体の具合が悪くなりそうなギターの音で始まり、
続いて不気味に轟くベースラインと、カンの『マザースカイ』をベースにしたドラムのリズムが加わる。

今聴いても独創的で型破りな素晴らしいこのシングルは、生気にあふれ、
冷徹なまでに理性的で、しかも当時の音楽文化に真っ向から対抗していた。

この頃、イギリスの音楽文化というと、田舎臭くてウィットに欠ける、
忌まわしいアメリカングランジに制圧されており、
当時のイギリス人ポップジャーナリストのほとんど全員が、
こうした音楽を称揚していた。

その結果彼らは、『ポップシーン』をこれ見よがしに無視し、相手にしなかったのである。」



そのとおりで、メンバーの期待を大きく裏切り、チャート34位で終わってしまいました(>人<;)


では、めちゃくちゃ、でーちゃんの
可愛いすぎるPVをどうぞo(^▽^)o
このPVのでーちゃんは最強です\(//∇//)\





過酷なアメリカツアーから帰って来た彼らをよそに、
イギリスでは、スエードが独占していました(^_^;)
デーモンの彼女、エラスティカのジャスティンが、
スエードのブレッドの元彼女だった事も手伝い、
2バンドはお互いにいがみ合ったのでした(>_<)

そして、メンバーは、いよいよ
セカンドアルバムの作成に入りましたo(^▽^)o

そして、メンバーの希望で、プロデューサーに、
XTCのアンディーパートリッジをたてます。
しかし、何曲か録音して、お互いのうまが合わなくなり、ダメになってしまいます(>人<;)

だけど、私は、アンディのプロデュース版の
「フォロートゥモロー」を持ってるんですが、私は結構好きですo(^▽^)o

でも、メンバーが嫌がった気もわかりますσ(^_^;)
というのも、「ブラー」ではなく、
「XTC」だったからですσ(^_^;)
プロデューサーというものは、やっぱりそのバンドのいい所を引き出したりする事で、
プロデューサーの方式を、押し付ける訳にはいかないんだと思います。

メンバーも言ってましたが、アンディーは素晴らしいアーティストですが、
プロデューサーには向いてなかったのかもしれないですねσ(^_^;)

そして、メンバーはやり、あの名プロデューサーのスティーブンストリートを呼びます。

そして、最初にレコーディングした曲が

「コーピング」
でした。

「しつこく付き纏うアナクロなシンセサイザーの音が印象的なキャッチャーな
メロディーを初めて聞いた時に、
これこそブラーのキャリアを救うシングルになるかもしれない…と思った」






次は、

「コリンジィール」
です。


「一種の人物観察になっているこの曲は、
(デーモンはこの後、ますますこの種の歌詞を書くのが好きになっていく)
キンクスに夢中になっていた頃のブラーが、アメリカ滞在中に書いた曲で、
想像上の田舎に住むイギリス人の日常生活をテーマにしていた。

ソニックユースばりのギターノイズで曲をすっかり覆ってしまうのを妨げられたグレアムは、
代わりに曲の最後にブラック&デッカー社のドリルで静かに遊ぶ事を許されたのだった。」



デーモン
「グレアムを手懐けるには、
奴が騒がしい音を立てているように勘違いさせるのが秘訣なんだ」



なるほど~グレアム君は、大人しくするようにおもちゃを与えられた訳ですね(笑)




しかし…このライブ、グレアムのマイクがのボリュームがやたらでかい(^_^;)
デーモンのマイクよりでかいって…(^_^;)


では次は、

「ブルージーンズ」

です。

「ブルージーンズは、ノッティングヒルでの土曜日の午後のショッピングが
テーマになっている。
ファーストバースの“saturday”の部分で、コードがF#ベースのAにゴージャスに変化し、
その後それが繰り返されるくだりは、当時バンドが大胆さを増していたことを表している。」


アレックスは、この曲の録音の時に完全に酔っ払ってたそうですσ(^_^;)




では次は

「アドバード」

です。


「エネルギッシュなこの曲は、ブラーの前進バンド、
シーモアをかすかに思い起こさせる作品だ。

おもちゃのピアノが付け加えられる前は、AとGからなる最高に素晴らしいギターリフが
曲のイントロになっていた。

サイレンのノイズは、初の日本ツアーでデーモンが手に入れた
観客整理用のメガホンを使って作られたものだ。

オープニングのフードプロフェッサーはとても便利という言葉は、
デーモンがメゾンルージュスタジオで、ケーブルテレビの、
ショッピングチャンネルから、サンプラー内蔵のカシオのキーボードに
サンプリングしたものである。」



あのデーモンがライブでかなり愛用している、メガホンは、
日本で買った物だったんですねo(^▽^)o
しかし、このアルバムに入ってる
アドバードはかなり遅いですよね(>人<;)
ライブだとこれの三倍増しの速さになりますo(^▽^)o
しかし…おもちゃのピアノになる前のバージョンが聞いたかったなあ…(>人<;)





しかし、この曲、ライブだと早いんで、CDのは遅く聞こえますよね(^_^;)


それでは、次は、

「プレッシャーオンジュリアン」

です。

「プレッシャーオンジュリアンは、
実わ、ジュリアンコープの事を歌っている事はあまり考えられてないが、
コープの名前をほのめかすと、社長のデビッドバルフェが正気を失う…
ことをデーモンが知っていて、この名前を使ったことは間違いない。

この曲は歴史が長く、1991年9月に書かれ、1992年の1月には、
マトリックスでデモ制作された。

『魔法をかけられた一時期の子供達』
(magical transit children)
というのは、セントパンクラスの建物の壁に書かれていた言葉だった」



なるほど~σ(^_^;)やっぱりジュリアンコープの事だったんですねσ(^_^;)
レジャーレコーディングぐらいから、
社長のバルフェとはメンバーはうまが合わなかったみたいですσ(^_^;)





次は
「ターンイットアップ」
です。

「適度にキャッチャーなポップロックソングのこの曲について、
現在のデーモンは、『ゴミだね』という


酷いけど、勢いで作っちゃった感じなんでしょうねσ(^_^;)
え~私結構好きなんだけど…σ(^_^;)




では次は

「スターシェイプト」

です。

「この曲はカートバネガットジュニアの『チャンピオンたちの朝食』
のキャプションにちなんだタイトルで、
両腕をだらりと下げおろした姿勢、
すなわち、無力化された状態に言及している。

一度はシングル候補にもなったこの見事な曲は、

デーモンの作曲能力が大きく進歩したことを示している。

(打が、アンディパートリッジは、彼等にサンバ風アレンジを試すよう促し、
彼等はそれを嫌悪したのだった)
曲のハイライトであるイングリッシュホルン、オーボエ、
ソプラノサックスによる木管アンサンブル部分(1分38秒目)は
ジュリアンコープの元同僚のケイトセントジョンが担当している。

またスティーブンストリートがいくつかのポイント(1分34秒目、2分34秒目など)で、
フィンガーシンバルをくわえている。

エンディング部分のグレアムによる、ムーグシンセサイザーの音は、
徐々にピッチが高くなり、そして遂に人間の聴覚の範囲を超えてしまう。

『猫と犬を寄せつけないムーグの音』
とクレジットされているのはそのためだ。

ブラーの最高傑作の一つではあるが、
この曲のベースラインは他のどの曲よりもアレックスを悩ませた。」



その頃、イギリスは、アメリカのグランジ一色で、イギリス国の音楽には、
見向きもされない状態だった。

過酷なアメリカツアーを体験した、メンバー達は、あえて、
イギリスらしいアルバム」を作ろうとして、

モダンライフイズラビッシュ」を作ったのだった。
その、無謀な挑戦は、レコード会社までが、そっぽを向く状態だった。

しかし、なんとか説き伏せ、一か八かの挑戦で、このアルバムを出すのにいたったのだそうです。




「デーモンは、休暇の間に
「ワンボーンエブリミニット」
という曲を書いている。

デーモンによると、『レイデイビスには書けなかったキンクスナンバー』
で、いつか日の目を見るはずだ…
と強調する。」


実わ、私、この曲が大好きなんですo(〃^▽^〃)o
こんな感じのブラーの曲が好きで好きで~≧(´▽`)≦





そして、メンバーは名曲、

「フォートゥモロー」

をレコーディングします(((o(*゚▽゚*)o)))

「元旦の後、まっすぐロンドンに戻ったバンドとバルフェは、
『フォートゥモロー』のとりわけあの抗し難いほど魅力的な『ラララ』の
コーラスが示している可能性にたちまち気がついた。

『世界のどこに住んでいようが、ラララの意味は知ってるかね』とグレアムは説明する。

フードがこの曲を聴いた時、その壮大なポップムードがあまりにもELOを彷彿とさせたため、
かれらはプロデューサーにジェフ リンを起用することも考えたという。

だが、幸いそれは実現せず、ブラーは、スティーブン ストリートとスタジオに入り、
ストリートがエンジニア時代に仕事をして以来の知り合いである、
ザ デューク ストリング カルテット、そしてバックシンガーのミリアム ストリートと
メイ マッケンナを迎えて、
この曲のレコーディングを行った。

ストリートは2人のバックシンガーに、モット ザ フープルの
70年代の傑作シングルに参加していた
ボーカルグループ、サンダーサイズのように歌うように支持したのだった。
その結果、息を飲むような作品が完成した。

グレアムがバレ奏法で弾くスタッカートのB♭コードがアクセントを与えている
荘厳なバース部分と、
トミー スティール(イギリス初のロックンロールスターと呼ばれる歌手兼俳優)のように、
陽気なコーラス部分の間を、堂々と行きつ戻りつする見事なポップ ソングの誕生だ。

この曲、さらに言えばこの後数年間のデーモンの曲作りは、
彼が中古レコード店で見つけたというアレン クラインの不思議なアルバム、
『ウェル アット リースト イッツ ブリティッシュ
(少なくともこいつはイギリスのものだ)』の影響をかなり受けていた。

このアルバムには、『ヒアーズ ア 20th センチュリー イングリッシュマン』
という曲が収録されているが、
フォートゥモロー』の
オープニングのことばは、このタイトルに由来したものだ」






しかし、社長のデビッドバルフェは、
シングル向けのキャッチーな曲が入ってない、現時点のアルバムを毛嫌いし、
これではアメリカにも受けないとアメリカを焦点に考えて、
もう一曲キャッチーな曲を作れと言ってきました。


メンバーは、嫌がりましたが、デーモンが折れて、作った曲が、

「ケミカルワールド」
だったのです。

「ケミカルワールドは、バンドの日に日に増す自信と才能が自ずと表れた、
途方もなく素晴らしいトラックだ。

アンディーロスは、フォートゥモローとケミカルワールドをそれぞれ、
『輝く鎧かぶとを着た騎士と第七騎兵隊だね』と表現力する」






アンディーパートリッジとの仕事で出だしつまずいた後、ストリートと再会するまでの間に、
スティーブ ラベルと共にレコーディングした曲も、二つ収録されている。


架空の紳士専用の飲酒クラブを称えた


「ビラ ローズィー」

そして、

「サンデーサンデー」
だ。

サンデーサンデー」は、
メンバーが聴いてるといらいらしてくるらしく、
グレアムは、『二度と演奏しなくて済めばこんな嬉しい事はない』
とまで語っている。

なお、この曲の意義は、普通のイギリス人の暮らしの些細なぶぶん、
この場合は、安息日の単調な退屈な、しきたり…
を観察しているところにあると言えるだろう。

実際は、ミネアポリスのホテルの窓から、
ショッピングモールの風景を眺めながら書かれた曲なのだ。

この後、『パークライフ』へ、
そして新生ブラーへと進んで行く道を、
非常にはっきり指し示している作品だ。」



なるほど~(^◇^;)私は、サンデーサンデー好きなんだけどなあ(^◇^;)
この、グレアムがライブで演奏する時の、ギターを台のうえに乗せて、
ボトルネックでガジガジするのが
好きなんだよなあ~\(//∇//)\
嫌々やってたのか~(^◇^;)



「ビラ ローズィーは、シーモア時代にギグの1番始めに
『ジ イントロ』というタイトルで演奏していたもので、
酒に酔い、ふらふらで、足元もおぼつかない人間の戯言のような曲に見えて、
実はその陰に真の脅威が隠されているという、
あのシーモアというバンドのスタイルの特色がよく表れている。」






しかし、デビッドバルフェと、メンバーの間には、このアルバム制作で、
関係に深い溝が、出来てしまった。


グレアムコクソン

「この時期の記憶はほとんど消去してしまったんだ。
あまりにも、辛過ぎてね。

でもバルフェがオフィスでよく僕らを怒鳴りつけた事は覚えてるよ。
奴はブタだった。怒るとすごく怖いから、
僕達は守りに入ってますますあいつが嫌いになっていったんだ。

僕達はザ スミスのようなバンドになりたかった…ていうか、
僕達自身でいたかった。

するとあいつはそんな僕達を『意固地』て非難するんだよ。

僕達が突飛で難解なことをやろうとしてる、と思ったのかな。

それはともかく、あの男は恐ろしくアンフェアで、威張り散らしてばかりいた。
僕達に『自分たちは取るに足らないバンドだ』と思わせてがっかりさせることで、
僕達が理性的な考え方が出来なくなるように仕向けたわけ。

僕達を破壊しようとしてたんだ。

1992年のトラウマを乗り越えるのに時間がかかったよ。

ありとあらゆる意味で最悪の年だった。

しかも本当に金が無くて、その年の末には遂にアンディーのフラットに
居候することになったんだ。

アーチウェイからカムデンまで毎日徒歩で通ってたよ。

この頃は本当に誰も僕達のことなんて気にかけてないような気がして、
あらゆる人間を喜ばせようと必死になってたんだ。」




デーモンアルバーン

「アメリカツアーをしてた時、イギリスが素晴らしい夢の世界に思えたんだ。
このアルバムは、夢の国ロンドンに捧げるサウンドトラックなんだよ。

レコード会社の連中はこう言ったよ。

『何でそんなイギリス訛り丸出しで歌うんだ?どうしてブラスバンドなんか使うんだ?
どうしてもっとロックしないんだ?』とね。

連中との話し合いでこう言い返してやったのを覚えてるよ。

『半年後にはあんたたちきっと、イギリスっぽいサウンドのバンドと契約しまくってるぜ』て」





結局、まだイギリスはこの斬新な考えには着いていけず、
アルバムも、シングルも売れませんでした(T_T)

しかし、メンバーは意気揚々と、
来るべき時を予感してたわけですo(^▽^)o

いや~私はこのアルバム好きなんですけどね~o(^▽^)o
今のオルタナティブ要素と、ブリットポップの要素と
2つが曖昧に入ってる感じが好きなんですよo(^▽^)o

これ一枚聞けば、「ブラー」が分かる気がするぐらい「ブラーらしい」アルバムだと思います。



次は…いよいよですねo(^▽^)oo(^▽^)o
お祭りですよ~ヾ(@⌒ー⌒@)ノ(笑)




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