昔、看護師になってから、初めて所属したのは、NICU
私は、本当は小児科に行きたかったのだけど、家の近くの小児科のナースが怖すぎて、離れた病院の小児科を希望した。
そこは、小児科とNICUが併設された病棟だったので、そちらを希望して、念願の病棟に配属された。
小さな小さな赤ちゃんたちと、うまれながらに病気や障害をもった赤ちゃん、分娩の時にケガした赤ちゃん、まぁいろんな赤ちゃんたち。
ある時、小さな赤ちゃんを見て私は、「無理やり生かせてしまってるのではないか」と、思った事があった。
本当なら助からない命。
医学の進歩で、当初から24週で、500gみたない赤ちゃんが生きれる状況だった。
無理やり生かせてしまってるのでは。。。
ずっとずっと頭の中にあった。
その後私は、産まれる前の状況を知りたくて、助産師学校に行くわけだが、自然というキーワードを、とても強く影響を受けた時期でもあった。
赤ちゃんは自然にしてたら産まれるもの。
確かにそうだと思うし、そちらの方がすんなり終わりスムーズにいろんなものが順調に回復したりして、私もそちらの方が好きだ。
だから、自然じゃないものに違和感を覚えていた。
そんな今日、ふと、ドクターヘリの再放送をみた。
救急のドクターが、24週の助かる見込みのない赤ちゃんに、挿管して数日生きれた話。
そのドクターは、この事に対して罪悪感を持っていた話だった。
私も、昔抱いた気持ちが思い出された。
亡くなるはずだった命を助けてしまったんではないか。。。(私一人だけの力じゃないのに)
でも、ドラマの中で、赤ちゃん5日生きたんだ、、、みたいな話をしていて、私は思った。
短い日数だけど、生きたかったんだな。。。赤ちゃんの意思だったのかもな。。。
見ながら涙が溢れて、泣いた。
あの時出会った赤ちゃんたちもそうかもしれないな。
助けてしまったという、謎のなんと横柄な罪悪感が私の中にあったという話。
赤ちゃんは、短かろうが長かろうが、この世で生きたかったから来たって話で、それに私が、いいとかわるいとか言えないし、そこで罪悪感を私がもつのもちがう話だったなぁと。😅
ただ、あの時出会った赤ちゃんたちは、生きる意思を力を見せてくれたんだなと、今なら思える。
医療ができることは、それをいろんな道具や環境や技術を使って支えたり、お母さんの話を聞いたりする事だけなのかもしれないな。
小さくても、赤ちゃんには意思がある
それは、今までいろんな赤ちゃんを見て感じる。
お腹にいようが、産まれてからも。
そして、それは産まれる前からも、あるような気がする
この世に産まれて命をもって存在する形もあれば、産まれずして、空で見守る命、ちょっときて、すぐ空に帰り見守る命、その形は色々なのかもしれないなと。
そんな事を考えながら、犬の散歩をしたら、虹🌈が。