「心を開く」ということ。


「心を開く」ってどんなこと?


どんな人に「心を開く」?


どんな人に「心を開いて」もらいたい?


心を開くのと、心を開いてもらうのとどっちが先かな?


どっちもあるし、両方が一緒に進行するね。



大好きな人には心を開くし、心を開いてもらいたい。

大切な人には心を開くし、心を開いてもらいたい。


心を開きあえるときとは、それぞれの価値観や考え方や性格などの何かの条件がそろっているときなのだろう。


心を開きあっていると思っていたのに、ある日違うと気づいたとき、それが「裏切られた」ということなのかもしれない。


心を開きあっていても、すべてを開いているわけではなく、相手によって開き具合がちがうこともあるだろう。


誰かの何かの困難を解決しようとするときは、自分から心を開くように意識するかもしれない。


助けてほしいと言われた人に、手助けしようとしても、心を開いてくれないと助けることはできない。



心を閉ざす理由がある。それはそれでいいだろう。

問題なのはそれに気づいているのかどうか。



「心」

自分の心に気づいているか。

気づかなければ開くこともできない。


私には私が心を開きたい人と、そうでない人がわかる。

心を開きたい人は、尊敬できる人、大切な人、大好きな人、等々である。

と同時に、それらの人は私に「心を開いてくれる人」であると思う。

だから尊敬できて、大好きで、大切な人なのではないだろうか。