テーマ:グループホームにおける終末期ケアの在り方
グループホームでの実践報告
グループホーム花縁
施設長 釜谷 薫
《対象者ご紹介》:Aさん、78歳、女性、要介護度4、入居H17年11月1日
病名:アルツハイマー型認知症、パーキンソン症候群(疑)、糖尿病他
家族背景:ご主人は4年前に他界し子供さんは娘様が4人。Aさんの自宅はありますが、要介護の状態になってから長女さんと同居していました。長女様は人工透析を受けており視力の低下もあり、長女様のご主人がキーパーソンとなりAさんに関する全てのことを取り仕切っていました。(他のご兄弟は市外在住)
日頃のご様子:
★ 歩行障害、立位バランス障害あり、寝ているときは多動で、ベッドからの転落が頻回にみられるため床に布団を敷いて休んでいました。
★ 自分の歯や義歯はなく歯茎で食事摂取するため刻み食、むせがひどく汁物、水分にはトロミをつけていました。
★ 言葉は少ないですが愛嬌があり、はっきりと物を言うところや、スタッフの名前を覚えるところ、辛口の一言が周囲を笑いに包み込むような雰囲気を持ち合わせる等みんなの人気者でした。
《入院までの経過》
H19年12月18日、急に意識レベルが低下し始め(具体的には眠っているようすが多くなった)、食事が取れなくなり、血圧がBD200前後と上昇し、体温もKT37.5℃前後の熱が出るようになりました。また「怖い」「母さん!」等の発語による訴えで明らかに体調不良が伺え、最初の症状の継続と共に嘔吐を繰り返すようになりました。元々B医院の月1回の訪問診療を受けていたため、体調が悪くなってからはその都度B医院訪問Drの指示を仰ぎ、訪問看護ステーションによる点滴等の処置を行っていました。しかし症状は改善されないため入院することになりました。B医院には入院施設がなかったため、B医院Drの紹介でC病院に12月20日入院しました。
《入院中の経過》
入院後、肝機能障害であることが判明、治療を受けていました。意識レベルにはむらがありましたが、はっきりしているときは少なく、また食事の摂取量も増えず、毎日点滴を行っていました。【このころご家族と病院でお会いした際に、もし食事が食べられないようなら、管を入れる等の処置を望むかどうか確認していました。「できればそういうことはしたくない」けれど食事も食べられず具合が悪いのであれば入院していたほうがいいのではないか、可能性があるならできることはしてやりたいというように、お気持ちも揺れ動いているように見受けられました。】ところが、入院から半月ほど経ったH20年1月初めC病院Drから「退院についての話」があるという連絡が入り、ご家族と共に病院へ伺いました。Drの話は次のようなものでした。「熱も微熱程度で肝機能障害は今落ち着いてきました。数値が下がるのにはまだ時間がかかるでしょう。血圧も落ち着いています。ただ食事が取れない日がありますので点滴は必要でしょう。しかし今の医療施設では食事が取れないための栄養補給の点滴だけで長期に入院することはできないのです。だから在宅で訪問看護を利用しながら頑張ってください。もしどうしても入院を希望されるのであればご自分で病院を探してください。ただ私の知る限り引き受けてくれる病院はないと思います。」というものでした。その時ご家族からの質問や意見等はありませんでしたが、私のほうから、食事が食べられないだけだ、というのであれば胃漏などの選択肢はないのかを聞いてみましたが、Drの見解は「リスクが高いので私は勧めません」とのことでした。ご家族としては病院から「退院してください」といわれれば退院しないわけにはいかないと思うでしょうし、退院したあと家で見ることは不可能ですから、退院のお話が出たときはお困りの様子でした。私としてはご希望があればこれまでの体制(訪問Dr、訪看との連携)を続けながら花縁での生活を送ることには支障がないことをお話し、相談の結果1月11日退院することになりました。
《退院後の経過》
主治医もB医院訪問Drに戻ることになりました。訪問Drからは「認知症が進んでしまったようなので、少しずつ体力をつけていこう」という指示の元、とにかく離床時間を多くし、味のある「おいしい」と思える食事を口から食べる、声をかけおもしろい話をする等々、元気になる工夫をしていきました。しかし退院して数日後再び熱の上昇、半昏睡の状態、食事も取れるようにはならず、離床どころではありませんでした。思うように改善されない状況のなか、私たちはご本人にとって、ご家族にとって、本当にこれでいいのか?という思いを感じていました。【この時期には面会に来られるご家族に状況をご説明し、どんなことを感じていらっしゃるかを聞くようにしていました。医療的な処置ができないのであれば仕方がないし、またAさんは今まで自分の思うように生きてこられたと思うからもう十分だと思うというご家族もいらっしゃいました。】
退院後2週間ほどの間、訪問Drはできる範囲で手立てを講じていましたが、肝機能障害は完治しておらず、食事も全く食べられず、発熱も続いていました。1月24日になり、ご家族、訪問看護師、それと私は訪問Drより病状についての説明を受けました。Drは『全身状態としては末期の状態である。入院して治療を行っても回復する見込みはない。終末期の状態で今後はどこで看取るかということになります。』というものでした。その場で話し合いを行い最終的に花縁で看取ることを決めました。
《亡くなった時》
1.終末期の診断が出てからは、そのときが来るまでの期間ご家族には後悔しないように、できるだけAさんと一緒に時を過ごしてほしいと思い可能な限り面会に来てくださるようお話させていただきました。市外の娘様達も毎日面会に来てくださり、夜も交代で付き添ってくださいましたが、終末期の診断が出てから、わずか4日後の1月28日朝息を引取りました。たまたま亡くなる前日の当直は新人スタッフだったため私も泊まっていました。三女様とはこれまで長い時間お話をする機会もなかったため、深夜私はAさんのベッドサイドでAさんについての花縁での思い出話を聞いていただきました。それに応えるように三女様もAさんについての昔の楽しい話を聞かせてくださいました。想いも寄らぬ最期の時を娘さんとAさんについて語り合えたのは今でもわたしの財産になっています。
2.実際、息を引取ったときとその直後の花縁の空気は普通でした。知らせを聞いたスタッフが次々に駆けつけAさんにお別れを言う中、物盗られ妄想が主症状のS子さんがいつもより少し激しくメガネが盗られたことを怒っておられたくらいで、台所の包丁の音、スタッフの声、足音、どれもいつもの花縁の光景だったということが特に印象に残っています。
《医療機関との連携》
入院したC病院の対応は入院となった疾患について良くなればいい、そのために二次的に生じた現象については処置しない、また病気の予後を予測する検査も認知症のため行えないという判断でした。結局体調が改善しない原因がはっきりしないままの退院だったように感じました。退院後は回復しない状況に「良くなるのだろうか?」という不安な気持ちを誰もが感じていました。結果としては退院と共に終末期が始まっていた形となったという印象を受けました。認知症の方が入院を余儀なくされる場合、医療機関では病気だけを見るのではなく、その人が今までどんな生活をしていたのか、退院後どんな生活を送るのか、今の状態で生きていくために必要なことや注意することはどんなことなのかを総合的に考慮した関わりをしてほしいと感じました。
訪問Dr、訪問看護ステーションとはいつでも携帯で連絡が取れるようになっていました。訪問看護ステーションの看護師は毎日点滴にきていましたので、スタッフと一緒に清拭や体交等を行っていました。またAさんの細かな状態の認識を互いに統一して持てるよう話し合いをして、今後の対処法等に結び付けていました。来訪時のみならず24時間いつでも連絡が取れる状態になっていたのはとても心強かったです。