ときわ館の入居申し込みをしたご家族がこんな話しをしてくださった。


おかあさんと二人暮らし。

認知症がだんだん進み、仕事と母の世話の両立はもう限界にきている。

なんとか住みなれた家で暮らさせてやりたいが、最近は自分もいらいらしてしまったり、母がかわいそうになるので、思い切って入居させようと思う。


という話で入居申し込みをしていった。

あと何箇所か申し込んであるが何人も待っているのでいつ入れるかわからない。

確実に入れるところにお願いしたい。というもの。


もしその他のGHで空きが出たらそちらに入るかどうか確認した。

もしそうなったら花縁の入居申し込み人数が変更になるので調整が必要となるため確認した。


そうしたらこんな話をしてくれた。

『そこのGHは、まず母と面接をして話をしたり調査をして、それを職員で話し合って見れそうなら入居がきまる、というのです。ということは断ることもあるということ。手に負えなかったら見ないということでしょ。結局軽い人ばかり見るってことでしょ。自分たちで選んでるってことですよね。なんか嫌な感じがしたんですよ。そんなんだったら入れさせたくないと思ったんです。だからできればここでお世話になりたいです。』


またこの話か・・・・・

いわゆる「入居判定会議」にかけられ、症状の程度によって断るというもの。


グループホームは認知症という診断と要介護者であればどんな方でも入居できる、というのが私の見解です。

(医療処置等の必要な方を除き)


そのGHでネックになっているのはあくまでも認知症のために起こる周辺症状であって、認知症そのものではないはず。

だって認知症対応型共同生活介護だもの。

認知症そのものを断ってはいけないでしょ。


では、その周辺症状についてどんな具合だったら「見れない」というの?

認知症対応型共同生活介護というくらいだから、認知症に対応した共同生活を送りながらの介護を受けるわけです。


逆を言えば認知症にきちんと対応していれば、共同生活が送れるということではないのですか?

きちんと対応しないから、「見れない」ってことになっているんじゃないの?


それと私自身体験して感じたこととして、入居して数週間経たないとその方の表面上の想い、訴え、心の奥深い部分の想いはわからない。

数時間面談しただけでは、「見れる」か「見れない」かはわからない、と思っている。


最初「見れる」と思っても、途中で「見れなく」なった場合はどうするの?

「見れる」と言ったスタッフたちに「見れるといったでしょ」とでも言うつもりかしら?

それとも退居をお願いするの?


もういいかげん気付こうよ。

認知症対応型共同生活介護という看板を上げているのなら、その役目を果たして欲しい。

あなたたちの役割と人として生きる意味を考えてみないかい。