14歳と16歳の喪服。

大切な人の『死』を、この短期間に 2度経験して、ひとり考えることが沢山あった。


地域の人たちがみんな自分のことのように心配して見守っていてくれたこと。

たくさんの人たちが自分のできる支援をしてくれたんだ。

ほんとうに感謝している。

いろんな言葉で励ましてもくれた。

あるおばさんは『生まれたときから親のいない子もいるんだよ』って言ってくれた。

でもその言葉は私にとってなんの慰めにもならなかった。

他人と比べられるものではない。

この思いは『自分だけ』のものでしょう。

他人の不幸の上に自分の幸せを感じるように聞こえてしまった。

そんな励ましの言葉も素直に聞けなかったのだろう。

でもそんなおばさんが毎日見守ってくれたから、ちゃんとしようと思ったような気がするんだ。



人ってこんなに簡単に死んでしまうんだってこと。

話に聞くと父は伯母といとこの面会で話しをしているうち、『うっ!』と言ったままもう息がなかったらしい。

こんなに簡単に最期が訪れる。

そんな印象だった。

それ以来わたしは自然と『予期悲嘆』をするようになった。

「今度は兄が死んだらどうしよう」

「将来結婚した相手がこんなに簡単に死んでしまったらどうしよう」

「そのときそのとき一番大切な人が死んだら・・・・・」

いつもこんなことを考えるようになっていた。

だからこの仕事・・・・・看護師を選んだんだ。

結婚してもし子供が産まれて、だんなさんが亡くなっても一人で子供を育てていけるように、看護師になったんだ。

もちろん母が看護師だったことも影響しているけど・・・・・



人にとって『死』とはなにか?

看護師になってから出会ったある人が言っていた。

「人の人生には3度晴れ舞台がある。1度は産まれたとき、2度目は結婚したとき、3度目は亡くなるとき。だから『死』はその人にとってとても大切な舞台なんだ。その人が主人公の大切な舞台なんだと思うんだ。」

この言葉は私に勇気を与えてくれたと思う。

『死』は悲しくて辛くてマイナスのイメージしかなかったけど、この言葉で『死』は非常に重要なその人の人生の最期のステージなんだ。

だから最高のすばらしい最期を考えるべきなんだ。

だれもが訪れる、経験する『死』ならば尚のこと意識しなければいけない。

医療の現場にいてその考えは私に大きな影響を与えてくれた。

死んでしまったこと、死んでしまうことはたしかに家族にとっては悲しいことだけど、その人にとっては二度とない舞台。

もしできることなら両者が思い残すことなく迎えたい。


つづく。