そしてその後どうなったかというと・・・・・



兄には籍を入れて一緒に暮らす女性がいた。

母が亡くなる前、病院で母と会っている。

兄は中学校を卒業と同時に理容師を目指し家を出ていた。

そのときは東京で友人と二人で理髪店を経営していた。


義姉は理容師ではなかったけれど、東京で兄と出会い付き合うようになって結婚を決めてから理容学校に通い免許を取得した。

将来は地元で理髪店を開くのが兄夫婦の、そして父の夢だった。

時期はたぶんもう少し東京でお金を貯めてから・・・・・


それが非常事態発生である。

両親がいなくなった9歳下の妹が一人になってしまったのである。


帰ってきて一緒に暮らす決断をしてくれたのである。

それを最終的に決めたのは義姉だと聞いている。


わたしは16歳、兄は25歳、義姉は24歳。

この3人が一緒に暮らすのである。

すごいことですよね。

わたしはそののち24歳になったとき、義姉はすごい決断をしてくれたと、本当に驚いた。

本当に感謝している。

このときから兄夫婦はわたしの『親』になっている。


そんなに簡単にできることではない。

両親の仏壇も守り、わたしを学校に通わせ、仕事もして・・・・・

頭が下がるし、足を向けては寝られない。

それからは両親がいなくても、ちっとも寂しくなかった。

兄夫婦のお蔭でなにも悲しい、寂しい思いなどせずに生きていくことができた。


そして本当になにも心配することなく残り2年の高校生活を過ごすことができた。

とても楽しかった。


楽しかったけれど、こころの奥になにかぽっかり穴が開いていた。

「自分の存在」である。

自分はどこにいて、なにをして、なんのためにいるのか。


兄夫婦が力を合わせてこの一大事を乗り越えようとしている。

わたしはその中心にいて、それでいてひとり別の世界にいるよう。

一緒で楽しいけれど、わたしだけ、たくさんたくさん守ってもらっている。


こんなありがたいことはないのに・・・・・

「ものたりない」感じがしていた。

わたしもきっとその「一大事の乗り越え作戦」に参加したかったのだろう。

それは、高校を卒業して兄夫婦と離れて社会に出たとき思った。


だれかに頼られ、人の役に立っていることは、人が生きていくうえでとても重要なことなんだ。

「生きる張り合い」が生まれ、自然と人を大きくしていくように感じた。

こんなわたしでも働く場所がある。

社会の一員として役に立っている。

それは大きな自信に繋がっていた。


そして、自分の足で立っている、生きている実感を感じていた。