開設当時、正直一番大変だったのはTさんです。
「家に帰らなければならない、とおさんのところへいく」ことで
頭が一杯の彼女と毎日一緒にいるのはやっぱり辛かった。
私たちは全くの他人、彼女にしてみれば全然知らない人。
彼女は全く知らないところへ「拉致」されたも同然。
帰りたくて、帰りたくて、帰りたい毎日が続きます。
それでも日中の疲れがあったからでしょうか
夜はよく休んでくださいました。
スタッフも新人ばかり、おまけに開設したばかりのGH。
なにもかもが始めての出来事でとまどうスタッフ。
花縁の前の道路は車の量が多く飛び出したら危険な場所。
その止まった車に救いを求め駆け寄る。
危ないからと身体に触ると抵抗する。
その車どおりの激しい道路に私達が突き飛ばされることもたびたび。
背中が曲がっているので、よく顔をみて声かけしようと下からのぞくと、ちょうどよく彼女のこぶしが私の左頬に入る。痛い。
とにかく私たちは彼女にとっては「敵」ですから、家探しの旅に付き添うことも許されません。
しばらく後をついて歩いたら別のスタッフに車で迎えに来てもらいます。
車で迎えに行くと彼女はついてきたスタッフから逃げるように車に乗り込みます。
「いやーえらい目にあった。こわかった!!」って安堵の表情。
歩く以外に車で出かけることもありました。
車で家に帰るためです。
そんなときは、走る場所に気をつけなければいけません。
住宅街は自分の家と同じような家のところで降りようとするので危険です。
そのまま走り続けるとパンチを喰らいます。
また歩道におじいちゃんに似た人が歩いていたら降りようとします。
そのまま走るとパンチとキックを喰らいます。
私の腕や服を鷲掴みする、またはロックをはずしてドアを開けようとするのでそれを防御しようと左手は彼女を押さえます。
したがって右手一本の運転になります。
でも車を止めるわけには行きません。
降りてしまうから。
そんな日々が毎日でした。
けれど、これまでの彼女の家庭環境、家庭生活習慣、性格、認知症状等々アセスメントすると、この「外へ出かける」行為そのものは、起るべくして起っていることであることに気づきます。
だから何度も何度も一緒に出かけます。歩きます。
そうしているうちに、変わってきたのです。
彼女にとっての私達の存在が変わってきたのです。
いつごろからかはわかりませんが、
「敵」ではなく「一緒に出かける人」になったのです。
彼女が私たちのことを「一緒に出かける人」と認めてくれたわけですが
それは私達スタッフ全員が統一した見解で彼女に関わり
彼女と行動することで彼女に受け入れられたからこそ認めてくれたのではないかと考えています。
「全員」というのがポイントです。
全員でなければ意味がありません。
全員が彼女に受け入れられてはじめて
私たちは彼女を受け入れることができるのです。
彼女に受け入れられた私たちはこれから彼女ともっと多くの経験をつんでいきます。
そしてもっとたくさんの響き愛をしていくことができます。
彼女に受け入れられ、彼女を受け入れることができた証に豊かな「響き愛」を経験できます。
様々な経過を辿って今があります。
いまでももちろん出かけています。
それは「帰る」こともあれば、「みんなでいこう!」のときもあります。
そう考えると・・・・・彼女は変わっていないのではないでしょうか?
彼女らしさを存分に発揮して、今も心のままに行動している。
その彼女を彼女らしくあるために、私達の「全員の共通認識」が必須なのです。
誰だって家で最後まで暮らしたい。
でも出来ない人がいるのです。
それができないときに、「しょうがないからあきらめる」しかないのは残念です。
家で暮らせなくても、家で暮らしているように思いのままに生きる。
その自由と責任を死ぬまで全うしたいと思います。
その場所が家かそうでないかは問われない世の中を希望します。
明日へ続く。