名前を抜かされたときの痛みと、その後に得られるもの
数年前のことです。当時通っていたお稽古の仲間たちとイベントをすることになり、周知用のチラシが配られました。そこには仲間たちの名前が並んでいたのに、私の名前だけが抜けていたのです。その瞬間、胸の奥が冷たくなりました。「私はここにいても、見えていないのかもしれない」「忘れられてしまう人なんだ」そんな思いが押し寄せてきて、居場所だと思っていた場所が一気に揺らいでしまったのです。一回だけなら「仕方ないな」と思えたかもしれません。けれど、それ以外にもイベント準備の場面で私だけ呼ばれなかったり、順番に発表するときに抜かされたりと、別の方々からも「存在が見えていない」扱いを受けていました。相手に悪気があるようには見えず、意地悪をされていたとも感じられません。だからこそ、なおさら「私の存在感のなさ」が浮き彫りになり、寂しさが強く感じられたのです。そして、このチラシの出来事が「とどめ」となりました。本当は「なぜ私の名前がないのですか」「私はここにいるのです」と言いたかった。けれど、その場で声を上げることができませんでした。波風を立てたくない気持ち、相手を責めたくない気持ち、そして「私が我慢すればいい」と思ってしまう癖が、言葉を飲み込ませてしまったのです。その沈黙がさらに自分を小さく感じさせてしまいました。これは「噛み合わない関係性」の中で、私の存在が認識されにくくなっていた出来事だったのだと思います。だからこそ、相手に悪意がなかった分、余計に「私はここにいるのに」という孤独が深く残りました。名前を抜かされたことに傷ついた私は、「この場所に居続けることが愛ではない」「離れることは裏切りではない」そう気づくことができました。<同じような経験をしてしまった方へ>まずは「私はここで傷ついている」と自分の気持ちを認めてあげてください。それだけで、少しずつ心の中にあなたの居場所が整っていきます。ちゃんと見てもらえる場所、存在を尊重される関係性は、きっとこの違和感の先にあります。だから今は、自分の感覚に寄り添ってあげることを大切にしてほしいと思います。