城南宮探訪 | 京徒然

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京都に住むおっさん「夕霧 楓」が日常を徒然に綴っています。
JA10クロスカブ『十六夜くん』に乗って走り回るのが趣味です。
温泉ソムリエ検定合格・温泉ソムリエマスター認定された『温泉ライダー』です。
バイクやラーメン、京都の話題、日々のネタを書いています。

6月22日(土)曇り時々晴れ

 

今日は車でお出かけ。

 

娘の運転の練習も兼ねようかと思っていたのだが、嫁さまが「国道1号線はまだ早い」と言う。

 

いや、大丈夫やろww

 

結局、ボクが目的地まで運転して、娘は駐車場で車庫入れの練習をしていた。

 

 

やって来たのは城南宮。

 

 

城南宮は国道1号線と名神高速の交わるところ、京都南インターのすぐそばにある大きな神社。

 

 

何だかたくさん看板が立っているが、こちらは都から「熊野詣」に行く人の出発点となっていたことと・・・

 

 

この地から鳥羽伏見の戦いが始まったと言うことを押さえておけばOKだ。

 

 

広い境内。

 

城南離宮と称されるほどで、立派な庭、神苑が作られている。

 

 

先ずは手水舎。

 

こちらのお水は天然の若水で、ここに水を汲みに来て飲料水にされる方も多い。

 

ちなみにお清めは手前側で、御水汲みは向こう側でする習慣がある。

 

 

本殿にお参り。

 

娘に交通安全の護摩木を書かせて、お守りも受けた。

 

 

こちら城南宮は「方除け(かたよけ・ほうよけ)」の神様として有名で、おウチの新築・増改築など行う方がお参りに来られ、御札と清めの砂を持って帰られる。

 

その他に大きな駐車場があって、交通安全のお祓いを受けることができる。

 

こちらは熊野詣に関係あるのだろう、道中の無事を祈ったものだと思われる。

 

なので、城南宮は方除け、方違え(かたたがえ)、交通安全、それと良縁祈願に安産祈願と言うのが主なご利益。

 

京都の南端に位置するので、京都四神の「朱雀」としても有名で、御朱印も受けられる。

 

京の都は四神相応の都と言われ、御朱印が好きな方は「五社めぐり」と称して、京都の東西南北にある四神をまつる神社と中央にある平安神宮の御朱印集めをされる。

 

こちらからパンフレット(PDF)をご覧いただけるので参考にしていただきたい。

 

オカンが朱雀の御朱印を受けていた。

 

 

城南宮に来たら神苑の散歩も楽しみたい。

 

大人800円とお高めだが、まぁ見る価値はある。

 

 

昔はお茶席などあって、庭園を眺めながらお抹茶などいただけたのだが今はやっていない。

 

 

オカンが散歩してみようと言うので入ってみる。

 

 

京都随一の工業地帯、国道1号線の真横とは思えない静けさと深い緑に包まれる。

 

 

順路に従って進んで行くと、庭園を一回りできる仕組み。

 

 

めちゃくちゃよく手入れされている。

 

この季節だと言うのに害虫はいないし、蜘蛛の巣一つ張っていない。

 

もちろんゴミもないばかりか、道に石一つ転がっていない。

 

 

ああ、そう言えば桔梗が見頃と書いてあった。

 

群生しているわけではないが、神苑内は京都の野山をそのまま移してきたようになっており、ところどころに季節の花が咲いている。

 

 

こちらの小径ではアサツキ(九条ネギ)やウルチ(稲)などをはじめ、京都市街で見られる栽培種を見ることができる。

 

朝顔などの小植物の他に、和歌に詠まれた植物が勢ぞろいしている。

 

芹やイモ類なんかもあったように思う。

 

 

趣のある小道を散策。

 

この日は割と暑くて、歩いていると汗ばむ程度の気温だったが、やっぱり緑の木々の間には涼があった。

 

 

大きな切り株。

 

これ、昔のご神木でしたかね?

 

 

本殿の向かって左手から入って、本殿の奥をぐるりと一周。

 

本殿右手には池が作られている。

 

 

こういう作りを何造りと言うのかは知らないのだが、神社そのものが平安時代からあったものなので、それ風に作ってあるのだろう。

 

と言うか、神苑そのものが神社と時を同じくしてできているのだが、現在の形になったのは昭和に入ってから。

 

天才造園家、中根金作が手掛けたもので、もともと神領であった場所に「室町の庭」と「桃山の庭」を作ったと言われる。

 

後に「平安の庭」と「春の山」を、更に晩年には「城南離宮の庭」も作って、大きな神苑を芸術作品にしたという。

 

 

ちなみに「神社が平安時代からあった」と言うか、神社は794年の遷都と同じくして創建されたとされている。

 

白河上皇や鳥羽上皇の時代には「庭園」ではないかも知れないが、お庭ぐらいあっただろう。

 

平安後期のこの頃、城南宮は院政の中心となり、城南離宮と称されるようになる。

 

離宮と言うからには規模的に庭の一つもあっておかしくはない。

 

 

離宮を描いた絵巻には「舟遊び」をする絵もあるぐらいで、池と言うか、湖沼に近いような大規模な水辺があったと想像できる。

 

逆に言えば、今の神苑など近代になって小さくなったほうで、院政時代にはそれこそ御所のような巨大な離宮が造営されていたのだろう。

 

 

考えてみれば京都で最も車やトラックの往来が激しい名神南インターの国道1号線沿いに、この規模の神社と神苑が残っているほうが不思議なぐらいである。

 

京都以外の場所では「交通の要所に神社」とかあまりないんじゃないだろうか。

 

 

さて、楓さん一家の神苑散歩は続くのであるが、なにしろ大きな神苑なので続きは次回に持ち越すことにする。

 

しばし待たれよ♪