結局食べないんだけどねw | 京徒然

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京都に住むおっさん「夕霧 楓」が日常を徒然に綴っています。
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バイクやラーメン、京都の話題、日々のネタを書いています。

6月16日(日)曇り一時雨

 

滋賀県草津市でお土産に買ってきた・・・

 

 

うばがもち。

 

有名なんだろうか、どうなんだろう?

 

すごく近いところにいるから京都人は結構名前を聞くけど、「東京ばな奈」や伊勢の「赤福」ほど有名じゃないのは明らかですなぁ。

 

京都っちゃ最近「京ばあむ」らしいけど、やっぱり「おたべ」なのかなぁ?

 

うばがもちは江戸時代には有名だったらしいけど、今となっては京ばあむより知られてないかも。

 

 

永禄12年って書いてあるから1569年創業なのかな?

 

楓さんが生まれる399年前には売られていたことになる。

 

今が2024年だから455年前にできたお菓子。

 

 

『地元草津産のもち米で作った餅を甘さをおさえたこし餡でやさしく包み、白餡と山芋の練り切りを載せました。』と書かれている。

 

ちなみにこし餡は北海道産の小豆を使用しているとのこと。

 

30年ほど前は練り切りのかわりにお砂糖を固めた三角が乗っかっていた。

 

たぶんこれが原型で、練り切りは昭和も後半になってから切り替わったものだろう。

 

 

古くは東海道や中山道を往来した旅人のお茶菓子として愛され、秀吉や家康も食ったと言われている。

 

 

ちなみに、現在も残る「草津宿本陣」とはこういう位置関係になる。

 

JR草津駅の南東側では、現在の国道1号線がほぼ旧東海道と重なっていて、うばがもちやさんは東海道・中山道沿いの宿場町の一等地にあったことがわかる。

 

現在も国道1号線の名古屋・東京方面車線に面する好立地だ。

 

 

同梱された紙にはいろいろうんちくが書かれているが、説明書を読まない楓さんw

 

独自に入手した情報によると・・・

 

『うばがもちの歴史は深く、400年あまりに渡り愛され続けています。
東海道五十三次のひとつで、東海道と中仙道の合する交通の要衝、近江路随一の宿場町だった草津。
当時の旅人の街道の楽しみは、茶屋での一服。
特に餅は腹持ちがいいので特に旅人には大歓迎されました。

おかげ参りで賑ったお伊勢様への参宮街道(桑名~山田)は別名”餅街道”と言われ、道中名物としても今も数々の餅が残っていることはご承知のとおりです。 人々の住来で賑わった草津宿も例外ではなく、名物の餅が旅人の口の慰めとなっていました。それが広重、北斎の浮世絵や各種の名所図会にも描かれている「うばがもち」なのです。』

 

 

『うばがもち、漢字で書くと「姥が餅」となりますが、実は広辞苑にも記載されていて、「あんころ餅の一種。滋賀県草津の名物。」とあります。
そもそも「うばがもち」の命名の由来はなんだったのか、ちょっと講釈いたしましょう。時は永禄、なんと戦国時代にまでさかのぼります。

永禄(1558~1569)とは、上杉謙信と武田信玄の「川中島の戦い」や織田信長の「桶狭間の戦い」などがあった時代です。その織田信長の武名が天下にとどろき諸国を制覇、ここ近江の守護代となったころのこと。近江源氏、佐々木義賢も永禄十二年に信長に滅ぼされ、その一族も各地に散在を余儀なくされました。

その中に三歳になる義賢の曾孫もいました。義賢は滅ぼされた際、乳母である”福井との”を招き、ひそかに後事を託しました。
乳母はその旨を守り、郷里草津に身を潜め、幼児を抱いて住来の人に餅をつくっては売り、養育の資として質素に暮らしました。周囲の人たちは乳母の誠実さを感じて、誰いうことなく「姥が餅」と言いはやしたといわれています。』

 

 

『関ヶ原の戦いを経て徳川方が勝利し、江戸幕府の誕生に向かうころ、家康が大坂の陣におもむいた際、当時八十四歳で健在だったその乳母が餅を献じました。家康は乳母の長寿を喜び、その誠実な生き方を称えました。家康勝利の凱旋後も、家康はかごをここで止めたので、以来、公卿や諸大名が必ずここで餅を求めたといわれています。

その後当時の文化人といった人たちが競うように「姥が餅」を取り上げ、その評価はたちまちのうちに全国に広まりました。
たとえば、蕪村が食べ俳句に詠みました。』

 

 

『また、近松は浄瑠璃にして常磐津「名物姥が餅」に、そして広重、北斎の浮世絵や東海道名所図会にも登場し、伊勢参宮名所図会にも描かれてうばがもちは草津名物としてすっかり定着しました。
さらには次のような子守唄にも唄われました。

「尋ね来てみよ 草津の矢倉 娘育てた乳母が居る」


この乳母には後日談があり、家康の威光か、そののち102歳まで生きたとも伝えられています。
永禄年間より数えて四百年あまり。乳母が幼君に奉じた乳房を餅の上に表した独特な、しかも風雅な姿と味は今も草津名物として脈々と息づいています。』

 

まぁ、だいたいこのような「うばがもち物語」が紹介されているはずだ。

 

 

まぁ、やたらと古い名物だと言うことはうかがい知れるだろう。

 

 

ちなみに「うばがもち」の値段は大量に買ってもお得にならない不思議仕様w

 

6粒入り:350円(税込)
12粒入り:700円(税込)
18粒入り:1,050円(税込)
24粒入り:1,400円(税込)
36粒入り:2,100円(税込)

 

このようになっている。

 

 

「うばがもち」は通販でも買えるらしいのだが、詳細はここかなぁ?

 

お味をご存じの方ならヒョイとお買い物できるってもんだが、何て言うか、歴史は古いが名前は売れてないようなお菓子なので「とらやのようかん」みたいな感覚では買えないよねぇw

 

 

ちな、楓さんは意外にもコレが食える。

 

って言うのが、楓さん、山芋アレルギー。

 

上に乗っかっている白い「練り切り」と言うヤツが、白餡に山芋の練り切りなんだな。

 

でも、かなり少量らしく、5~6個食っても影響が出ない。

 

そもそも山芋は蕎麦と違って一粒一滴でどうこうはならないレベルっちゃそうなんだけど。

 

同じ理由でサッポロ一番塩ラーメンも食える。

 

欲を言えば昔懐かしい、お砂糖のかたまりが乗っかってるほうが嬉しいのだがねw

 

 

でも、結局は食わないんだよww

 

ダイエットしてると甘いモノを食うのははばかられるw

 

そもそも炭水化物すら1日100g程度しか食ってないので、餡とかもう糖分の塊に見えるw

 

 

で、お土産に買てきたはイイものの、結局自分は食わないんだよw

 

もっとも、「うばがもち」は娘の大好物なので、6粒×4箱中、3箱は娘が消費するけどねww