定例飲み会 2022/9/15 -桜月花音- | 京徒然

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何となく放置していたら1カ月遅れの記事になってしまった。

 

ブログ内の時間は2022年9月15日に巻き戻される。

 

 

今回も例によって15日に「のんちゃん」こと桜月花音が扮する「のんママ」の店、スナックのんが開店した。

 

月に1度、2~3時間だけ開店するこのお店は会員制で、Youtube「のんチャンネル」のメンバーシップに登録してないと入店できない。

 

 

今回もいつも同様、のんママがお客様を迎え、着席を促したところで配信が始まった。

 

 

設定上「のんママ」は「のんちゃん」とは違う人物で、酸いも甘いもかみしめた大人の女性と言うことになっている。

 

なので、現在の「のんちゃん」は他人扱いされるし、20代の話題は過去形で語られる。

 

 

で、まぁ、なんでこんな話になるかと言うと、ボクが某興味深い記事を見たからだ。

 

その記事は「VTuberの哲学」と題され、序論としてVTuberの分類が書かれていた。

 

 

書いたのは山野弘樹氏。

 

ホロライブの3期生から徐々にVの世界に足を踏み入れたと言うから、Vに関するキャリアはボクと同じ程度だろう。

 

 

山野氏の分析によると、VTuberは4つに分類されると言う。

 

それが下記だ。

 

 

(A)配信者タイプ

 (A-1)顕在的配信者タイプ
 (A-2)潜在的配信者タイプ
(B)虚構的存在者タイプ

 (B-1)明示型虚構的存在者タイプ
 (B-2)非明示型虚構的存在者タイプ

 

 

(A-1)顕在的配信者タイプ

これは「日常生活の中で発揮されているアイデンティティの延長線上に位置づけられる活動を行っているタイプ」だとおっしゃる。

 

例として「HIKAKIN」さんや「ガッチマン」さんを挙げられている通り、そもそも現実社会との関係性ありきで配信しているVTuberさんを指している。

 

ただし、その姿まで実在するものに近いかと言うとそうではない。

 

 

(A-2)潜在的配信者タイプ

こちらは「日常生活の中では隠蔽・抑圧されているアイデンティティを実現するために活動を行っているタイプ」とされている。

 

例として「バーチャル美少女ねむ」さんや「蘭茶みすみ」さんの名前が挙がってるが、いまいちピンとこない。

 

「隠蔽・抑圧されているアイデンティティ」と言うのがネックで、「現実世界と接点があるが隠蔽された部分もある」と言うのであれば、ホロライブやにじさんじの多くのライバーさん、のんちゃんもここに入る。

 

山野氏の解説の通りだとすると、「のんママ」はこのジャンルに入る。

 

配信者タイプで現実との接点はあるが、仮想世界の全く架空の人物と言う意味で。

 

 

前提として『「配信者タイプ」とは、「VTuber」と「配信者」(俗に「中の人」と呼ばれる存在)が同一の存在として提示されているタイプのVTuberである。』と定義されているので、「隠蔽・抑圧されているアイデンティティ」、つまり「日常生活ではしないこと」をするVTuberさんのみ「潜在的配信者タイプ」だとすると、今活躍しているVTuberさんのほとんどが「顕在的配信者タイプ」と言うことになり、現実、中の人が買い物に行ったりレジャーに出かけたりすると言う定義になるだろう。

 

 

対して『「虚構的存在者タイプ」とは、「配信者」によって、ある特定の「虚構世界」(例えば「吾輩は猫である。名前はまだ無い……」といった一連の「虚構内的言説」によって構成された想像上の世界)に位置付けられた作中人物として「VTuber」が演じられるタイプのVTuberである。』と論じられている。

そもそも設定の中でしか動かず、想像上の世界にいる、と言う存在は、おそらく「キズナアイ」が該当するだろう。

 

 

(B-1)明示型虚構的存在者タイプ

「原典として「虚構世界」が制作されており、そうした「虚構世界」の権威性が裏切られない形で演技されることが求められるタイプ」と定義されている。

 

例として『ウマ娘』の「ゴールドシップ」や『KOF』シリーズの「麻宮アテナ」が挙げられ、「決してその言動は期待を裏切らない」としておられる。

 

まぁ、設定があるのだからそうでないと困る一方、我々は彼女たちを見るに当たって「設定にはない裏話」や「裏設定」の暴露なども期待しているので、線引きが確実かと言うとそうでもない。

 

 

(B-2)非明示型虚構的存在者タイプ

「原典としての 「虚構世界」の権威性に従って演技されているのか否か、鑑賞者から判断し難いタイプ」とされている。

 

例として「鳩羽つぐ」さんが挙げられ、『私たちは「鳩羽つぐ」をまるで虚構的な存在者であるかのように鑑賞することができるが、彼女が一体どのような虚構世界に暮らしているのか、そして「鳩羽つぐ」という存在を演じていることに当の演技者が成功しているのか否かを、鑑賞者は判別することができない』としておられる。

 

元ネタの有無にかかわらず、元ネタが正体不明のキャラであったり、そもそも現実世界となんの接点もない上、キャラが立っているわけでもないので実際には「明示型なのか非明示型なのかすらわからない、夢の中にいるような存在と言うことになるだろう。

 

 

一方で山野氏は「典型的なVTuberによって形成されている「VTuber文化」自体が、こうしたタイプに還元されるような仕方では展開されていないという一般的な事実である。
今日の主流のVTuber文化において、「VTuber」と「配信者」(俗に「魂」や「中の人」と呼ばれる存在)は明確に切り離されている。」とも語っておられ、「HIKAKAKIN」氏や、「榎本温子」さんのように「実体(中の人)が知られている」と言う一部のVTuberを除いて、線引きに意味がないような論調でもある。

 

 

つまり、突き詰めて言えば山野氏自身も「VTuber」はアニメでも着ぐるみでもない、現実とパソコン、あるいはSNSのような発信ツールのはざまにいる存在と見ておられるようだ。

 

 

そこで山野氏は、先述の4タイプでの分類ではなく、より緩やかな2つのタイプにVTuberを分類しておられる。

 

 

(C-1)極端な非還元タイプ
(C-2)穏健な非還元タイプ

 

 

(C-1)極端な非還元タイプ
「配信者の日常的な行動や言動を明示的な形で組み込まないCタイプ」だとされる。

 

つまり、キズナアイちゃんやメリーミルクちゃんなど、ごく一部のVTuberのみ該当するタイプだと言える。

 

 

(C-2)穏健な非還元タイプ

「配信者の日常的な行動や言動を明示的な形で組み込むCタイプ」とされている。

 

つまり、ゲームしたり歌ったり、現実(仮想現実も含む)での出来事を話したり、飲んだり食べたりと言うことを日常的にやっているのがこちらと言うことだ。

 

そして、圧倒的多数のVTuberがこのタイプとなる。

 

 

山野氏は語る。

 

『こうした「穏健な非還元タイプ」のVTuberたちこそが、場合によってはバラエティ番組のような企画も行うことができ(例: 「ROF-MAO」)、場合によってはアニメーション作品のような演出も違和感なく行うことができる(例: 「ホロぐら」)ような、今日の「VTuber文化」の根幹部分を担うVTuberたちであると考えているのである。』

 

 

山野氏の「哲学」の序章では、こういった論述の他に、VTuberの姿・身体・衣装についても論じられている。

 

 

ご興味があれば一読してみるのも一興。

 

そもそも「VTuberって何なの?何してるの?」と言う疑問も解決するだろう。

 

 

山野氏はこの文章をこうくくられる。

 

『「VTuberの哲学」は、今日発展の著しい「VTuber文化」という広大な大海原を航海し、その海の色がどれだけ異なっているのかを観測する試みである。

そして「VTuberの哲学」は、すぐさま「フィクションの哲学」や「ビデオゲームの哲学」といった隣接諸分野にまで漕ぎ出すことになるだろう。なんとなれば、今日のVTuber文化自体が、「ゲーム実況」や「アニメーションの技法」などを駆使して成立している複合的な文化現象に他ならないからである。』

 

 

ま、哲学なんだからいろんな切り口や多種多様な意見があってしかるべきだろう。

 

今のVTuber文化を哲学的に見ると言うのは面白い試みだと思う。

 

 

さて、小難しい話をしているうちに今回の「スナックのん」も閉店のようだ。

 

 

のんママが酔っぱらいを店から追い出し、お店の明かりが消えるいつものくだりで配信が終了した。

 

VTuberさんを分類したり哲学的に考察したりすることの必要性はあまりないような気がする。

 

楽しみ方が一つではないから、哲学的に考えだしたりしたら、それこそ宇宙の法則を見つけに行くようなことになるだろう。

 

もっとも一方で、それそのものがもはや文化であり、市民権を得ている以上、それがなぜそうなったのかと言う哲学的懐疑はあるねw