「日常」って尊いよね。。。
いや、そうじゃないwwwww
Amazonに本を頼んだ。
おなじみ、カブ乗りダーがみんな読んでる(?)
「スーパーカブ 6」
もうひとつ。
「このミス」にピックアップされてミリオンセラーになった
「珈琲店 タレーランの事件簿 6」
なんかどっちも「6」だが別に意味はないw
「スーパーカブ」は甲府。
「タレーラン」は京都。
京都モノはホームズだの拝み屋だの、1冊モノも含めるとミステリーだけでもかなりの本がある。
甲府はあまりないねw
もしかして志摩リンがカブに乗ってたら最強だったかもしれんなぁ。
京都はアニメの聖地にも事欠かないし、やっぱり皆さんの興味の対象なのかなぁ?
まぁ、それはともかく。
Amazonに本を頼めばやってくる。
仕事を頑張り、ヒマな日に本を読む。
それが当たり前の「日常」だと思っていた。
先輩が倒れた。
その日はスタッフに「頭が痛い、めまいがする、しゃべりにくい」と漏らしていたそうだ。
スタッフの一人が皆さんと同じことに気付いた。
「早く病院に行かないとダメ!」
アンギオ検査の結果、緊急の手術。
2週間ぶりに目を覚ました先輩はアイコンタクトしかできないと言う。
仕事への復帰は無理だろう、と。
幸い、病院に行ったことで先輩は「最悪」を免れた。
ただいつも通りに過ごしていた。
何の変哲もないの日常が続くと思っていた。
本人も、ボクらも。
突然なくなる日常。
日々を平穏無事に暮らせることに感謝しなくてはと思う。
それ以上に「日常を無くさない生活」をする努力も必要かもしれない。
それでもやってくるのが病魔なのか。
先輩は「リハビリ」が新しい日常になるのか。
人は誰しもが突然日常を無くすことに決まっている。
それは怪我かもしれないし、病気かもしれないし、死かもしれない。
失業や災害だってそうだろう。
どんなに努力しても永久の日常なんてないと判ってはいる。
さもなければ死を含めた人生そのものが日常なのか。
波乱万丈など些細なことなのかも知れぬ。
それとも、ボクはもはや死んでいるのだろうか。
死という宿命と重なり合って存在している、ただの細胞の集まりか。
そんな哲学的なことを考えながら、今日も「日常」が始まる。
この「日常」は今この瞬間が最後なのかもしれないけれど。





