先斗町(ぽんとちょう)ブラブラ歩き | 京徒然

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先斗町。

京都でも有数の花街、とういか、今は割烹・料亭・鍋物屋などのほかに、気軽に立ち寄れる店が多く立ち並ぶ「飲食店街」のイメージが強い。

 

 

Wikipediaには

『もともとは鴨川の州で、江戸時代初期の寛文10年(1670年)に護岸工事で埋立てられ、新河原町通と呼ばれていた。 繁華街としては茶屋、旅籠などが置かれたのが始まりである。

 

芸妓、娼妓が居住するようになり、何度も取り締りを受けたが、川端二条にあった『二条新地』(にじょうしんち)の出稼ぎ地として認められ、明治初期に独立した。 明治5年(1872年)に鴨川をどりが初演され、先斗町は花街としての花を開かせた。』

 

・・・とある。

 

 

『一説によれば、先斗という地名の語源はポルトガル語のponto(「先」の意)にあるとされる。しかし、正しいポルトガル語は"PONTA"なのに「ポント」と読まれることや、なぜ「先斗」の字があてられたのかはっきりしない。

先斗町が鴨川に突き出た岬のような場所にあったことから、江戸時代には「先」や「最初」を表す先斗に、前述のポルトガル語が訛った「ポント」との読みをあてていた。1915年(大正4年)に出版された『京都坊目誌』には、「当初は、東側ばかりに家が建ち、西側にはなかったことから、先斗(さきばか)りという意味で先斗町と呼ばれるようになった」と記載されている。

また、鴨川と高瀬川の2本の川に挟まれていることを、2枚の皮に挟まれている鼓にたとえ、鼓の「ポン」と鳴る音に掛けて、「ぽんと」となったという説もある。

掛け金をゲームの最初だけ(さきばかり:漢字では「先斗」と表記)に全部かけるという意味のカルタ賭博用語が語源であるとする説がポルトガル語やスペイン語に精通した元銀行員によって発表され、「地名研究第11号」(京都地名研究会発行)に掲載された。』

 

・・・など、名前をめぐっても「ポン」というちょっと京都らしいのからしくないのか判らない謎な部分が物議をかもしている。

正式には「先斗町通(ぽんとちょうどおり:三条から四条)と西石垣通(さいせきどおり:四条以南木屋町まで)」と呼ばれる。

 

 

先斗町も京都人なら必ずと言っていいほど、夜に出没するハメになる。

寺町・新京極・裏寺・河原町・西木屋町・木屋町・先斗町、こういった繁華街群を東京ではどこになぞらえばイイかわからないが、大阪ならキタみたいなモンだろう。

 

これを日のあるうちからウロつくことも少ないのであるが、今回ちょっと散歩してみた。

先斗町は本当に細くて店が多く、人通りも多い。

 

ニュースで2年前の7月に起こった火災のことを覚えていてくれている方もいらっしゃるだろう。

非常に難儀な通りなのだが、実際、↓この狭さだ。

 

 

 

先斗町は本通りに多くの脇道、つまり路地が交錯した、ほんとに雑然とした町だ。

この本通りや脇道に、所狭しと店が軒を連ねる。

 

 

本通りもこんな細い感じであるが、これに↓のような路地が何本もある。

 

 

木屋町あたりまで抜けられる道もあるが、多くは袋小路だ。

 

 

 

↑通りには避難や人込みを避けるために通り抜けされる方のために、「通りぬけできる・できまへん」が表示されている。

「できまへん」なあたりが京都なんだが、「そう言われてもなぁ」と思わんでもないw

 

 

 

 

昔ながらの祇園の料亭もあれば、洋風居酒屋もあるし、ラーメン天下一品「先斗町店」とかもある。

まぁ、でも、やっぱり先斗町と言えばお茶屋さんかなぁ?

 

 

この提灯が目印になってる。

今日は見かけなかったが、舞妓さんや芸妓さんは、こういうところにいる。

 

 

先斗町の北端には歌舞練場があるから、嫌が応にも「花街」だなぁ、と思うワケだが。

 

ところで、↓コレは何の店なんだろうね?

まぁ、ビアスタンドかね?

 

 

てゆーか、このビールサーバーのコックを倒すと「ピンポーン♪」ってなるのかね?

なんか、こう言うの見ると、「変わってる」より先に「より無駄な用途」を想像してしまうのは、やはり『いかにイコジでイケズな京都人』でも「関西人」に他ならない証拠なんだろうw

 

ちなみに私はこう言うのを見ると、両手で持って「ガンダム発進」するタイプだw

 

 

先斗町を三条あたりまで出ると、普通の繁華街になる。

ちなみに↑これは通称「親不孝通り」で、数々の親不孝の入り口部分に当たるw

 

ここに写っている「吉田屋」は私が学生時代によく行っていた喫茶店の1つで、親不孝通りの貸しスタジオでバンドの練習をした後、ここにたむろしていた(高校時代の話である)。

なるほど、親不孝だww

 

 

先斗町からちょっと西へ離れると、一気に「花街」から「繁華街」へ移動する。

先斗町・木屋町・西木屋町・河原町・裏寺・新京極・寺町、この一連のこのカタマリを「繁華街」と言わなければ、京都に他に繁華街はない。

 

京都駅前が繁華街?

アリャ地下街だ、繁華街じゃねぇw

 

河原町三条には、「喫茶葦島」があったり。

 

 

 

 

四条河原町には「築地」があったり。

 

 

 

 

私のブログに出てくる「健全なゾーン」にもお目にかかれる。

 

あと、この辺りは古来から花街・色町・繁華街だったワケで、わりと史跡などもある。

 

 

 

 

町のド真ん中にイキナリこんなものがあったりする。

 

 

フランソワ喫茶室も普通にある。(あたりまえw)

 

今日は京都の町中をウロウロしてみた。

たまにはこう言うのもアリかな?

 

バイクに乗ってると行けないトコって意外にある。

車よりマシだけどww

 

 

さて、鴨川の風景を見たら、宮川町の花街を見物して帰ろう。

 

 

 

 

宮川町までくると、だいぶ祇園とは離れるんだけど、最近「甲乙丙」とか区別しないからねぇ。

ここ宮川町も古い花街だけど、昔は「祇園から遠い」ってだけでランクひとつ下だった。

 

今は「京おどり」とか華やかだよ。

よく外人さんが「鮒鶴」とかに泊まって芸者さん見物とかするらしいけど、宮川町はその中心的存在だ。

 

 

私も昔、宮川町に知り合いの「おぼっちゃま」がいてよくお世話になった。

あ、まぁ、勘違いしないでいただきたいのだが。。。

 

1. 京都に住んでいるからと言って、誰でも芸者遊びができるということではない。

2. 私は貧乏である。

3. 舞妓さんにお手を触れないでくださいww

 

またぶらっと出かけたら京都の町を裏側まで案内するね。