父が亡くなったのが3年前。


その2年前に病気が分かり、すぐに手術をしたけれど


時すでに遅し。


ガンのレベル5のうち、4まで進行していたそうだ。


しかし、何事にもポジティブだった父は、


手術をしたから治った!助かった!


そう喜んだ。


執刀医の先生方に助けていただいた命、


これから余生を楽しもう、と母に語っていた。


術後から半年ぐらいでかなり体力が戻っていた。


でも、病魔はすでに父の体を蝕んでいた。


徐々に物が食べづらくなり、戻った体力も落ちてきた。


リンパに飛んだガンは、とうとう骨をも侵し、


亡くなる3ヶ月前、歩けなくなり、最後の入院。


母と私に、父の余命がついに告げられた。


それから母は父に付きっきり。


家族3人で細々と営む店を私一人でこなす。


仕事中であろうと、一日何度も涙をこぼした。


もう絶対に歩けないはずの父が、歩きたいとリハビリを始めた。


父のポジティブさが、余計に苦しかった。


母も隠すことに限界を感じ、先生に告知をお願いした。


余命2ヶ月。とうとう父に告知。


告知から父の様子がおかしくなった。


約一週間、幻覚をみたり。。。


さすがに事実を受け入れるのに時間がかかった。


でも、隠し事を嫌った父は、全てを把握したいと言い出した。


それからは、先生も看護士さんも私たち家族も、何でも話した。


弟夫妻を呼び出し、お墓のことなどを託し、


外泊許可をもらい、祖母へ自分の口から報告。


自宅で自分の仏壇をどこへ置くか確認。


最後となった自宅での一夜、ずっと食べたかったというたこ焼きを食べた。


病院へ戻ってからも、母といろいろと話し合った。


葬儀の場所や焼香順、何もかも自分で決めて、母に託した。


亡くなる一週間前、ついに父が弱音を吐いた。



まだ死にたくないよ。


まだまだやりたいこといっぱいあるのに。



さすがの父も、病気には勝てなかった。


最期の三日間、親戚や友人たち20人がずっと見守った。


その間、私一人が仕事をしていた。


何よりも仕事が大好きな父に、店の全てを託されたから。


枕元で泣いているより、父が喜ぶと思った。


そして、最期の夜、甥っ子の声を聞いて息を引き取った。



じぃじぃ、よく頑張ったね



声の出せない父が顔を歪めて涙を流した。


その数分後、先生の悲しい報せ。



私たちに泣いている暇はなかった。


父が全てを決めていった最後の大仕事が待っていた。


私たち家族も、最期の瞬間を見守った数十人の人達も、


最期の瞬間と、骨になる瞬間以外、涙はなかった。


父はもちろん、みんな、達成感とも思える思いだった。



出来ることは全てやった。



全員が父の決めたことを粛々と遂行する。


それが父への最高の弔いだから。



この思いが、今の私を支えている。


毎日仕事を日付が変わるまでしようと、


休日もなく働こうと、なんとか我慢できる。


頑張ったら父が褒めてくれる、そう信じて。。。







人が亡くなるのは、本当に呆気ないものです。


そして、その呆気ない一人の死に、たくさんの人の想いがあります。


頑張っても頑張っても、生きたくても生きたくても、


生きられない人がいます。


自分で自分の人生に幕を引くのは簡単なのかもしれない。


でも、それでいいのでしょうか?


もちろん、生きていくのも大変です。


生きていれば辛いこともいっぱいあります。


私だって、正直辛いです。


でもね、楽しいこともあるよね?


辛い思いをしてると、ちょっとしたことでも幸せに思える。


スーパーの惣菜に半額シール貼ってあるだけで、どれだけ幸せか!(笑


そういうプチ幸せで今の私は生きていける。


ものは考えようです。


後ろばかり見てても、前には進めません。


幸せの天使には後ろ髪がないって言いますよね?


きっと、キューピーみたいに前髪しかないのよ。


だから、その天使を追い越して前髪を掴まないといけないんです!


その天使がいつ現れるか分からない。


だから、後ろ見てる暇なんてありませんよ?


私がもし見つけたら。。。


羽交い絞めにしてでも前髪掴んでやるんだからっ v(^-^)v




どうか皆さんも、天使の前髪掴んじゃってくださいね(o^-')b





長くなりましたが。。。最後まで読んでくださった方に感謝☆