いろんなことを勉強しましたよ。(*^▽^*)
東海道と中山道。
東海道は表街道・メインストリート。
便利な立地なので開拓されつくしてしまって面影がほとんどありません。![]()
対して中山道は裏街道。
険しい木曽の山の中を巡ります。![]()
あまり人が通らない道々なので今でも多くの宿場町が残っています。![]()
尾張の殿さまは、東海道の道々に松の木
を植えさせたのだそうです。
なにか重大事が起きた時、その木を切って道を遮断することができるため。
岡崎の八丁味噌ってあるでしょう?
万が一 戦が起きた時の非常食。
これさえあればおかずがいらない。
岡崎城から八丁いったところに味噌屋を集めたのですって!(^∇^)
東海道から美濃ははずされています。
何故なら美濃は関が原で負けたから。![]()
西暦1600年9月15日。関が原の合戦。
天下分け目のこの合戦はわずか7~8時間で終わってしまいました。
その後の徳川300年の始まり・・・![]()
今の古戦場跡と石碑。
←この配置で並んでいたのです。ん~っロマン![]()
ところで。
関が原の合戦で徳川についた東軍の武将の石高は上がり、西軍・石田三成についた武将の領地はことごとく没収されました。![]()
そのなかで、金沢・加賀はどうして100万石を維持できたのでしょうか?
徳川は隠密を使っていました。( ´艸`)
いろんな藩の様子を調べていたのです。
そのなかで加賀は、文化を重んじ多くの伝統を伝えました。![]()
輪島塗、加賀友禅。
そして美しいお庭・兼六園。
対して、幕府にとって武芸に励み政をきちんと執り行う薩摩などは目の仇。![]()
きつくきつく当られたのだそうです。(-。-;)
対して、この加賀のように政治にまったく関わろうとしなかった藩には比較的寛大だったのです。
それでも、美濃にだけは厳しかった。
この土地を貶めたい。![]()
尾張三河の大名たちに合戦の褒美として散り散りに70~80に分けて土地を与えてしまったのですって!( ̄_ ̄ i)
そしてこの土地の名産の文化を奪っていったのだそうです。
美しい美濃紙。
上春知(こうずち)港から川を伝って運び去られた。
そしてほかにも、自費で防波堤を造らせる・・・![]()
ほんとにひどい話です。( ̄Д ̄;;
さてさて、今回訪れた関宿。
先述のとおり、開拓され発展した町が多い東海道には昔の面影を残す宿場町はほとんどありません。
唯一残されているのがこの、関宿。
実は近年、心有る有志によって2億円もの寄付を集めて修復されたものなのです。
「〇〇が関の山だよ。」の「関」なのですって!
初めて訪れました。![]()
こういう空気は気分が落ち着きます。![]()
やっぱり、日本人なのだなあ。。。ヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ









