薬が効いてきてか


だんだん落ち着いて話をするようになってきた



薬を飲めば少し寝れる


あとは寝てない時間にずっと画面をみていることだ


スマホにテレビにパソコンの画面を操作している



それが兄のハイ状態。


そこから引き離すことができるのは入院しかない

この環境からはなさないと!!


私もずっと寝れないじゃん!!!



と、お昼ごはん食べながら

診察前に兄へ話した


『入院して無音の世界で脳を休ませようよ』



そう私が言うと

激しく抵抗した


入院だけはだめ



それもわかる

入院したらまた

はきのない大人しい兄

ただ生きてるだけのような兄になってしまう気もする


入院だけは避けたい


それは私も同じだ



だけど入院してほしい

限界な自分もいた。


私は泣きながら兄と話をした



入院するくらいならしんだほうがいい。と兄。



そうだよね。



そして診察


穏やかにはなったけど寝れてないこと。

優しさから来る行動だとは思うけど

朝から母のみたいような古い映画を流すこと

(朝イチから昭和の古い映画を見せられるこちらは辛い)

認知のある母と同じ会話が止まらないこと

兄がハイ状態で母が怯えていること(昔のハイ状態の兄とごちゃ混ぜになっている母)

私もつかれていること


先生も入院をすすめた



やはり兄は強く抵抗



そしたら先生からの提案で

では

『家で入院しましょう』


夜22時から朝の7時までは部屋で隔離

スマホとパソコンは妹さんに預けること

外出はしない


入院していると思って過ごしてください。



はい。わかりました

と答えてる兄は

どこか可愛らしい



とにかく先生は

正月休みまでにどうにかしたいと


毎日の診察を特別にしてくれている。

普通はまずないとのこと



薬の調整

注射も取り入れ


だんだんとハイはなくなった



診察からえると


自ら『17時までパソコンさせて』


と私にきいてくる


そしてスマホとパソコンを私に預けにきて

部屋にこもる



夕飯食べて

薬飲んで


部屋に戻る

しばらく大人しいなと思ってたら

『寝てた』とリビングにやってきて

一緒に

デザート食べて、少しの間こたつでテレビみて


21時頃部屋に戻っていった



寝る前の薬も

自ら飲みに来た



母にも分かりやすく

メモを書いて目につくところにはった


なるべくそっとしてあげること

会話はひかえる

かまってはだめ


全ては『脳を休ませるためよ』と書いた


母はいつもそれをみて

『私は看護婦さんね!』と

ちゃんと距離をとってくれてる



いつも日付が変わる時間に風呂にはいる私たちだけど


22時には入り終えて

11時には消灯できるようにした



なんか

この規則正しいリズムが心地よい❗



つかれていた私も

頑張ってる兄をみてて


この事は逆にこれからの我が家にはいいことに変わるのかもしれないと



すん!!と

疲れが吹っ飛んだ


過去2回の兄の躁うつ病は

離れていたから

すでに強制入院しかないほどになっていたから

話をすることがなかった

退院してきてからは重いうつ状態だから

自分の本音をはなすことはなかった



でも今回

そばにいたから


鬱からハイに変わる瞬間も

ハイ状態の兄がちゃんとそれを理解して


私の言うことをきいてくれて

薬も病院も

ちゃんと受け入れながら



過去の話

子供のこからの話

鬱の気持ち

とにかく兄が話ベタな兄が

叫ぶようにはなしてくれた一つ一つの言葉が



私に伝わったことが


吐き出せたことが


少しはよかったんじゃないかなと



この山を越えられたことが


この先また

躁や鬱がきても


兄を癒せるような気持ちになった


今回はいろんなこと、兄の本音を学び

周りの人の愛情や励ましに感謝できたし


悪いことではなく


逆なのかもしれないかもな。とも思えてる


今回の私の体験は

同じ病気を抱えてる家族の気持ちに寄り添えるはずだ



今日と明日の診察でおわり。

正月明けまでクリニックは休みだ。



ほんと言うと不安もまだある



5日も診察に行けないうちにまたハイになられたら困るなー。