「信長の原理」垣根涼介 | レプリカ

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沢村一哉は中学生オタク時代から使っているペンネームです。いまは「かずや」ではなく「イツカ」読みに変えました。





前作「光秀の定理」が、とても面白かったので、ハードカバーで購入しました。安倍総理も購入したとSNSにアップされていましたね。総理はもう読み終わったのでしょうか。

続編というわけでは無かったです。作者さんによる明智光秀のキャラ設定は前作と同じでしたが、前作のエピソードを引用されるようなことは無かったです。そもそも前作は光秀が織田信長に重用される以前までの話が主体でしたね。

今作は織田信長の幼少期から本能寺の変までを時系列ごとに追いかけていきながら、一人称視点が信長や信長の家臣、敵に移りつつ、それぞれの心理描写を深く掘り下げて、それぞれの行動理念を詳しく描いてありました。

テーマはタイトル通り「原理」の追求です。表紙に蟻がおまんじゅうに集る絵が描いてあります。
信長は幼少期、蟻を観察しながら、働きアリのうち餌をせっせと運ぶ「本当の働き者」は2割だけで、残りの6割は「働き方が鈍く」2割は「怠けている」ことに気づきます。
そしてそれは戦争での武人たちの働きも同じで集団は必ず、この2:6:2=1:3:1の原理で優秀なもの普通なもの怠け者に分かれていると考えます。どんなに優秀な人材を集めても切磋琢磨させ鍛えても5人の優秀な側近を自分につけたとして、1人は堕落することに信長は腹を立てます。この原理に抗う術は無いのかとずっと考え続けるのです。

物語は表面的には織田家を企業のように見立て、小さかった会社が大企業にのし上がっていくうえで、社長の信長が超現実主義で非道なことも繰り返し組織を大きくしていくようなイメージを持ちました。
家臣視点では熾烈な出世争いのなかで落ちぶれたり這い上がったり、じっと耐えたり、逃げ出したり、競争相手を陥れたり、裏切ったりと、男達のドロドロの争いと嫉妬と、時には熱い友情なども描かれます。
それもじゅうぶん面白いのですが、信長をはじめとした登場人物の何人かが「神は居ない。だが人間が想像できない大きな何か=原理はある」ということを考えているのです。

信長は原理を支配しようとしました。
秀吉はそれはこの時代の人間にできることではないと考えます。1000年先でも不可能であろう、と。信長の正室、帰蝶も、そう信長に語りました。秀吉はそういう原理があると知った上で、対処することで自分にできる範囲でうまく活用すればいいと語ります。
光秀はハッキリと原理について気づいてはいませんが、なにか大きなものに世の中は動かされていると肌身に感じています。

そうした原理についていろいろな人物視点、様々な描写がありました。

1番気に入ったのは松永弾正と信長の話ですね。個として好きあっていて、原理への理解も一致していて、ただ弾正は原理に逆らわず身を任せる、そして原理を支配しようとする信長に何様のつもりだ、馬鹿者が! と憤る。
この描写で彼の「裏切り」へのイメージが利害や調略や恨みなどとは違った次元に思えてくるのです。面白い感覚でした。

深い心理描写のおかげで、史実が点と線では無く面で見えてきます。大きな縮図を俯瞰してみているイメージができあがり、それぞれの行動や、その時に詠んだ短歌や文のやり取りが引用されると、なるほど、と感心できます。歴史の教科書がこんなふうだったら、私は歴史苦手って思わず逃げなかったのになあと思いました。垣根涼介先生が歴史の教師だったらよかったのに。

きっと歴史が好きな人は、昔からこの面で見る視点が身についていて、文献や史跡に触れると、頭の中に世界がぶわっと拡がるのでしょう。それはとても楽しいでしょうね。羨ましい。私も今からでも少しずつそういう力を身につけたいです。