かづきの逆ギレポジティブな日々 -2ページ目

かづきの逆ギレポジティブな日々

思い通りにならない人生でも、
大切なものがあれば、幸せに生きられる!(*^▽^*)
そんな私は俳優の小西遼生くんや牙狼にハマり中vv
痛いですが、いろいろバカみたいに語ってます~(;^_^A

退院して自宅に戻り「日常が戻ってきた(≧▽≦)」となるはずが…退院してからの生活の方がすごく大変でした(ーー;)
入院している方が、何かあっても誰かがいるからすぐに助けてもらえるし…
気力は前に進もうとしていても、腕が思うように動かない状態で何ともならないのがもどかしかったです。
 
退院後の診察のあと、職場の上司へ報告。しばらくはリハビリ外来で通院することになり、車の運転は7月以降にならないと許可できないということを伝えると、そのあとすぐに同僚のパートさんから電話がかかってきて、
「どうにかできないの!?今すごく忙しくて大変なの!!」←ムチャ言うなよ(◎_◎;)
確かにその当時ものすごく忙しくなっていたので、こちらとしても申し訳ない気持ちでいっぱいだったのですが、骨折して車運転できない人間に、すぐにでも出社して仕事しろって無理難題押し付けるな!!!と腹立たしい気持ちでいっぱいになり、すごくストレスでした(ーー;)
そのことを店長にも伝え、更にその上の上司や本社の専務にも「どなたかかサポートお願いします」と伝えることしかできず、とりあえず6月半ばの復帰を目指して、私はリハビリを頑張るつもりでした。
 
実際その電話かけてきたパートさんが…と言うよりも、別の人があまりの忙しさにイライラして周りにあたりまくっていたので、それを鎮めるためにも出てきて欲しいという、なんとも自分勝手なお願いに呆れ果てて「なんでこんな自分勝手な人達のために、私が苦労して仕事しなきゃならんの」と初めてこの職場をやめたくなりました。
今もその気持ちは全て拭えていないので(本人は過ぎ去ったことは忘れてケロっとしてるけど)すぐどうこうという訳ではないけれど、もし今後同じようなことが起きた時は、やめる決心を固めています。
 
つらいのも忙しいのも、てめえだけじゃねえんだよ!!!
人の苦悩も知らずに、自分のことばかり主張しやがって!!!
いい年して「自分自分」ばかりで恥ずかしくないのか!?みっともねえなあ!!!🤬💢
 
そう怒鳴ってやりたい気持ちを必死に抑え込んでいた日々(今もたまに心ん中でそう叫んでる)
私も含め、誰もかれもが気持ちに余裕が持てなくなっていた2024年夏
 
5月から8月半ばにかけてのことは、思い出したくもないつらいことばかりでした…
 
そんな苦しい中でもくじけずにリハビリ通えたのは、Aさん始めとするリハビリスタッフさん達がとても親身になってくださったからです。
職場行くよりも、リハビリ室に通う方がずっと精神的に楽でした(笑)
 
6月半ばまでは休職、病院に通う以外は家にいましたが、体力不足になるといけないので、朝と夕方近所を散歩していました。
最初は少しずつの距離から、だんだん延ばしていって、車と自転車と段差に気を付けて散歩を続けました。
幸い車の通りが少ない地域があるので、そこをグルグル歩いてました。近づいてくる車や自転車の音に集中するため、音楽は聴かずスマホも見ないようにして、周りを常に意識してました。
転ばないように、事故に合わないように…とすごく慎重に歩いてたんですが、まれに犬の散歩をしている人とすれ違う時がちょっと怖くて(;^_^A
子供の頃から犬が苦手なので、犬から距離を置いて避けるようにしてたんですが、ある時住宅の前を歩いてたら、敷地から放し飼いにされていた犬が飛び出してきて吠えかかってきたので、怖くて後ずさりしました(T▽T;)
すぐに住人が出てきてなんとか襲われずにすんだのですが、転ばなくてよかった…(T_T)
田舎なので、敷地内や近所は放し飼いにしているところが結構あるのです(ーー;)
 
今朝久しぶりに散歩してみました。その当時歩いていたところを歩いてみて、あの頃は田んぼに田植えされたばかりの稲が、今は立派に実りの時期を迎えているのを見て、ああ、季節が変わって行ったんだなあ~としみじみ実感できました。
休職中の散歩のおかげで、復帰後駅から職場までの長い道のりも、なんとか歩けるぐらいの体力がついていたと思います(*^_^*)
 
でもその頃はまだ、前向きな気持ちがあって頑張ろう!ってなってたんだと思う。
 
6月仕事復帰して、通院してから職場へ行って仕事して帰宅という生活スタイルになりましたが、雨の日は危ないので休みにしてもらい、復帰と言ってもまだ完全ではない状態でした。
リハビリもほぼ毎日通っていたけれど、肘の曲がりが90度までいかない…
 
もしかして…一生このままで、もう車の運転できないかもしれない…
 
努力しているのに成果が出ないのがつらくて、それでもリハビリに行かないと本当に動かなくなってしまうのが怖くて、なんとか頑張って行ってました。Aさん達の顔見てお話できるだけでも、精神的に少し軽くなっていたから、リハビリ頑張って行けたんだと思います。
そのぐらい、その頃は孤独でした。時間がたくさんあるから、こんな時に読みたい本がたくさんあったはずなのに、本が重くて読んでても集中できない。スマホゲームも同様に疲れてしまう。
唯一できる楽しみは、Amazonプライムビデオで過去のドラマを一挙見すること。
勇者ヨシヒコシリーズを始め、いろいろ観ました。また機会があれば、その時気に入ったドラマの感想や紹介を書きたいと思います。
 
今もまだ右手ファースト生活なので、ベッドの上はクッションだらけです(^▽^;)
左側にリモコンやティッシュなど置いてあります。後ろに写ってる孫の手も必要不可欠なもの(笑)
一番お気に入りのクッションは、丸いピンクのものです。ダイソー500円商品だけど、スベスベの手触りが心地よい(*´ω`*)
 
 

 
 

 
ベッドから落ちるのが怖いので、ベッド柵もAmazonで購入(笑)
買い物に行けない生活だったので、何でもネットで購入していました。
 
肘以上に肩が硬くなっていて、右手をまっすぐ上に上げることができない状態です。
もともと猫背で肩が前のめりになってしまう巻肩だとリハビリの先生に指摘されたので、肩甲骨を動かしてほぐす練習もしています。
そんな中インスタの広告で「巻肩の人のための枕」というのを見つけ、購入してしまいました(^▽^;)
 
 

 
 

 
両側を肩の上に乗っけて使うらしいのですが、結構この体勢で寝てるとしんどいので、頭だけ乗っけて腕は枕の上側に乗せてます(;^ω^)
真ん中部分が背骨辺りを支え、自然と肩甲骨が開くので、巻肩にならないらしいのですが、効果はいかに?(^▽^;)
今まで低い枕を使っていたから、余計肩が前のめりになっていたかもしれない。
骨折から半年ほど経って、日中はだいぶ痛みを感じなくなってきてますが、就寝している時は相変わらず痛くなるので、クッションはやはりまだ必須です(;^_^A
未だに寝る時腕の置き場の正解がわからず、あれこれ考えて眠れない時もあります(笑)
クッションはリハビリの自主トレにも役立つので(リハビリ室でやる時は、クッションではなくバスタオルを何枚も使用する)気づいたらこんなにも増えていました(^▽^;)
(ちなみに旦那さんは別室で寝起きしてますので、この広いベッド独り占めです(笑))
 
現在肘の曲げは最高105度、もう少しで110度行くかなというところです。
リハビリスタッフさん皆マイ定規(肘や腕の曲がりの角度を測る)を持っていて、それで毎回測定するのですが、折れてない左腕が通常の曲げだとどのぐらいの数値なのか測ってもらいました。
左手でペタっと左肩を触る角度は140度だそうです。つまり、ここまで行くのにはあと30度必要(;´Д`)
100度に達するにも何ヵ月とかかったのに、あとどれぐらい頑張れば、ここまで曲げられるようになるのか(´Д⊂ヽ
Aさんが言うには「マッチョな人だと肩に手がつかないこともあるから、食事や顔洗うのに必要な角度は140まで行かなくても130度ぐらいで大丈夫」とのことです。
整形外科の先生達が口を揃えて「ひどい骨折」「かなりシビアな折れ方をしてた」とおっしゃるほどなので、もしかしたらこれ以上曲げられない後遺症が残ってしまうのかもしれないですが…
なるべくなら、元に戻りたい。なぜならばもし左手をケガしてしまったら、自力で何もできなくなってしまうのが怖いから(≧д≦)
 
ひとまず今の目標は、顔が洗えるようになること。
食事はだいぶ右手を使えるようになってきてますので、次なる目標は顔を洗うこと。
今だと頑張っても、おでこを親指の先で触れるぐらいです(;^_^A
髪はかなり頭を下げて、シャンプー用のヘアブラシで洗えるようになりました。
なので、今後はダイレクトに顔を触れるぐらいになることを目指します。
 
今は左手で顔洗っても、あまり上手く洗えないので、主に洗顔シートを活用してます。
今年の夏は暑かったので、汗拭きシートやドライシャンプー用のシートも大活躍でした(*^_^*)
 
 

 
ウェットティッシュもそうだけど、こういったシートって開けるとすぐ乾燥してしまうので、チャック袋に入れることにしました。
 

 
今は何でも100均で購入できるし、ドラックストアもいろんなものが置いてあるので便利です。
 
あと今回の骨折で購入したものがたくさんあって、車に乗れない時期、電車やバスの時間を確認するために、腕時計が欲しかったので、ネットでスマートウォッチを購入しました(*^_^*)
心拍数や歩数も測れるし、スマホと連動してLINE通知や電話受信もしてくれるからとっても便利ーーヾ(≧▽≦)ノと思っていたのですが……
 
購入してから1ヶ月ぐらいして、充電全くできなくなってしまいました(T▽T;)
充電できなきゃ何の役にもたたない、ただの腕時計型リストバンド(笑)
 
現在時刻を知る最低限の機能が欲しかったので、通院途中駅前のダイソーに飛び込んで腕時計を探し、300円で購入しました(^▽^;)
 
 

 
シンプルtheベスト(笑)
時間を見るだけなら、最初っからこれでよかったじゃん( ̄▽ ̄;)
思えば携帯電話を持つようになってから、腕時計っていうものをしなくなりましたね。
だって携帯見れば時刻がわかるから。そう思っていたんだけど、片手不自由な状態でスマホをカバンから出しているのがとても大変だったので、やっぱり腕時計って便利なものだと改めて思わされましたm(_ _)m
 
 
あと照りつける強烈な日差しから、私を守ってくれる日傘も買いました。
新しく買い直さなくても持っていたけれど、それらは皆柄の部分が短いものなので、肘が曲がり切らない右手で持てないのです(左手はフリー状態にしておきたい)
なので、大きめの晴雨兼用の傘を買いました。右手で持って肩で支えれば、十分差すことが可能です(*^_^*)
 
 
ホント大活躍してくれました(≧▽≦)
今後も大事に使って行きたい1本です。
 
 
そして、今年の猛暑を乗り切らせてくれた(実際乗り切れなくて一回倒れてるけど)大流行しているハンディファン(≧▽≦)
手持ちのものは今の私にはNGなので(^▽^;)首から下げられるタイプのを楽天で買いました。
 
 

 
が……!!!
こちらも届いて1週間で動かなくなりましたΣ(゚◇゚;)
なんでだ!!?なんで買ってすぐ壊れるんだーー!!。°°(≧□≦)°°。
 
幸い保証期間内(そりゃ1週間で壊れるのは早過ぎる)だったため、お店にメールで問い合わせたら、新しいものを送りますと返信があり、届くまでハンディファンなしで乗り切ろうとしたところ……届く前に乗り切れず熱中症でダウン(T▽T;)
あの頃はいろいろ悪いことが次々重なってしまったな…(T_T)
 
と言うか、連日37℃38℃猛暑日っておかしいだろ!?
そんな中一番暑い時間帯に、25分かけて歩くってどう考えても危ないだろ!!?
 
倒れたのがリハビリ中だったのが幸いだったというか、病院内なのですぐにストレッチャーに乗せられて、救急病棟へ運ばれ点滴をしてもらいました。
倒れる前の日も気分悪くなって仕事を早退させてもらってたので、その話をAさんにしながら最初のうちは何ともなかったけれど、だんだん意識がぼんやりして受け答えができなくなって、トイレにも行きたくなって一旦リハビリを中断。
トイレから戻ってきてお水もらって飲んだけど、顔色が真っ青だったらしく横になって一回血圧測ってみようとなり、Aさんがバタバタと血圧計を取りに行って、その間リハビリの先生が「どこが気分悪い?」「熱は?」と付き添って看ていてくれました。
 
Aさんが血圧計を持ってきて測ろうとするも「圧がかからない!なんで?」と何回も測ろうとしてるのを見て「…A…さん、そっち、右…ケガしてる方…」「あああ!!!ホントだ!ごめんなさい!!!」
こんな緊迫した状況でケガしてる方の腕で血圧測ろうとするAさん、いつもしっかりしてるけどたまにドジっ子(笑)そこがカワイイ( ´艸`)
左腕で血圧測ったら220もあって、スタッフさん皆が慌て始めました。他の患者さんもいたのに、スタッフさん達が集まってきて、診察医の先生を呼んできたり、熱中症なら冷やさないとと動いてくれたりしてました。
リハビリ室は新棟の端にあって、救急病棟は旧棟の端なので、ものすごく遠いところをAさんと主任スタッフさんがストレッチャーで運んでくれたのです(T_T)
朦朧としながら「もうちょっとなんで頑張ってください」「ここ段差あって少し揺れますよ」と声かけてくれるAさんに「すみません…」とだけ言うと「謝らないで」と言ってくれて泣きそうになりました。
 
頭痛と吐き気もあったので、脳のCT撮って脳出血がないかも確認してもらい、そっちは異常なしだったので、過労と脱水症状で軽い熱中症になったのだと言われました。
それまでリハビリ・仕事・母の面会と3つの事を頑張ってたのがそれでプツッと切れてしまい、リハビリ以外のことを一旦お休みしようと決心しました。それでクビにされるんだったら、もういいや、辞めて他探そう…とも思いました。
一番大事にしないといけないのは、仕事でも他人からの評価でもなく、自分自身の健康なんだと…
まあ、何をどう言ったところで、自分の主義主張ばかり叫んで他人の痛みに寄り添う気もない人とは理解し合えないと、そう割り切った感もありました。
 
自分本位な人の事よりも、自分を大事にしてくれる人のために頑張りたい。
そう思えたのは、その時のブログを読んだちいちゃんが心配して「香月ちゃんは十分頑張ってるよ!」とLINEでメッセージをくれたからです。
私の周囲にいる人全員が味方ではなかったけれど、ちゃんとわかってくれる支えてくれる人もいるんだってわかって嬉しくて号泣しました。
それにすごく一生懸命親身になって、一緒に頑張ってくれるAさんのためにも頑張って右腕動くようになりたいです。
 
熱中症で倒れた後、しばらくは部屋に引きこもって涼しい部屋で一日中配信ドラマを流してました。
観てるっていうより、ただ流していただけだったなあ…
唯一勇者ヨシヒコを観てる時だけは、右腕のことも仕事のことも、何も考えなくていい時間だったなあ…
 
 
 
お盆明けまで仕事を休ませてもらい、8/15の再診察で麻酔を鎖骨辺りに打ち、右腕の力を抜いた状態にして、先生が曲がるところまで曲げて確認しました。
麻酔を打ってるから痛くないはず…と思ってたのに、麻酔の意味あるんかーーーい!!(≧д≦)ってぐらい痛くて泣き叫んでました。本来この治療は、熱中症で倒れた翌日に行う予定だったのです(;^_^A
多分体調悪くなったのは、この麻酔術が嫌で嫌でストレスを相当感じてたのもある(笑)
リハビリスタッフさん達は、こういった無理やりな治療にはあまり賛成していなかったので、時間がかかってもいいから、痛くない範囲で自然に曲がって行くようサポートしていきたいと、先生に申し出てくれたおかげもあって、それ以降の診察ではあまりグイグイ言ってくることはなくなりました(;^ω^)
痛い思いをして頑張ったから…その見返りじゃないけど「先生、お願いですから、車運転の許可をお願いします!」と頭を下げてしぶしぶ許可をもらいました(^▽^;)
 
車運転可能となったのがとてもとても大きかったです。
それまで苦労していた通院・通勤が格段に楽になった分、精神的ストレスが減って仕事もしやすくなりました。
買い物も行けるようになったので、それまでできなかった料理も少しずつできるようになっていきました。
車運転解禁を皮切りに、ペットボトル飲料を右手で持って飲めるようになり、右手で持ったスプーンでご飯を口に運べるようになったり、シャワーやドライヤーも右手でできるようになっていきました。
それまでどれだけ頑張ってもできなかったことが、少しずつできるようになっていったのです。
 
『夜は明ける前が一番暗い』
 
そう誰かが言ってました(by「遺留捜査」糸村警部補)
誰の名言だったかはわからないのですが、まさにこれの通りだなあと不思議に思います。
 
そして今現在は、8割方右手でご飯が食べられます。
まだおにぎりとか直接口に運ぶものは届かないけど、箸やスプーンなどを使えば、口に入れられます。
メガネも触れるようになりました。かけるのも外すのもまだ左手のサポートがいりますが、なんとかできます。
これがスムーズにできるようになれば、顔を洗うこともできるようになる。
 
リハビリの先生が「装具の付け時ね」と言って、Aさんが頑張って手作りの肘曲げ強制ギプスを作ってくれましたーヾ(≧▽≦)ノ
 

 

 

 
 
 

 

ギプスを作る時の透明なシートを腕に巻き付け型を取り、そのシートを冷やすとプラスチックみたいに白く硬くなります。

大きさを調整して、関節の代わりとなる金具を取り付け、腕に固定するためのバンドをマジックテープで止めます。

そして手首側と肩側にゴムをはめる部分を取り付けて完成(*≧∀≦*)

最初の頃、着け終わって外したあとにゴムがどこかへ行ってしまって失くしかけたので、ゴムの部分に蓋をつけてもらい、肩側に常に付けておいて、それを引っ張って手首側に取り付けます。

 

Aさんお手製の装具スゴイです👏👏👏✨

 

これを1日2回、20分間取り付けます。星飛雄馬大リーグ養成ギプスみたい(笑)

 

 
ゴムは緩めにしてあるそうなので、そこまで痛くはないですが、しびれや痛みを感じたら無理せずすぐに外すよう言われました。
20分って意外に長いので(^▽^;)10分を2セットでもいいそうです。
 
Aさんが頑張って作ってくれたこの強制ギプスを付けて、肘が曲がるように頑張りますo(≧▽≦)o
 
10月半ばの連休最終日です(*^_^*)
朝晩はめっきり秋らしくなってきたものの、昼間はまだ半袖でちょうどいいぐらいの残暑(;´Д`)
湿気もあるので蒸し暑くて、まだ扇風機が活躍中です(笑)
 
さて、右肘を骨折してからもうすぐ半年になります。
現在の状態と、これまでのことを振り返りつつ、今まで書いてこなかった詳細を時系列追って書いて行こうかなと思います。
まだ記憶に残ってるし、ようやく落ち着いて今回のことを振り返れるタイミングになったのかな(;^_^A
 
事の始まりは4/24水曜日(仕事は休日)小雨がしとしと降っていた肌寒い日のことでした。
毎月行きつけの総合病院に薬(デパス)を処方してもらって取りに行ってるのですが、その日はネキシウムの方も無くなりそうだったので、朝から脳神経内科と消化器内科をはしごして、診察を終えて薬をもらったのが14時近くなってしまいました。
(待たされるのはいつものことだし、待ってる間は図書館で借りた本を読んでいるのでそんなに苦じゃなかった)
お腹空いてたし、ちょうどマックでチキンタツタが発売開始されたばかりなので、チラシに入ってたクーポン券を持って「今年初のチキンタツタ~♪」とウキウキしながら、病院近くのマックへ行きました。
 
そこはボウリング場と隣接しているビルで、駐車場は屋根付きでいつも薄暗い。天気が悪かったせいで、余計にいつもよりも暗かったのです。
その時はそんなことも気にせず、シュンゴリトートバッグに入れたクーポン券を確認しながら、マックの方へと歩いて行きました。
空腹で焦っていたのもあって、足元をよく見ずに早足になっていたのもいけなかった。
出入り口と駐車場の境目に高さ15センチぐらいの縁石があり、そこに足を引っかけてそのままの勢いで前に倒れました。
 
トートバッグの中のクーポン券を取り出そうとしていた状態で倒れたので、右腕が思い切りコンクリートに叩きつけられました。
右腕を地面に打った反動で顔面の左側もぶつけましたが、全ての衝撃が右腕に吸収されたおかげなのか、顔面も頭もさほどひどくなく、また足も擦り傷ぐらいでどうもなかったです。
転んだ瞬間は「痛い」というより「やっちまった(T▽T;)恥ずかしい」という情けなさで起き上がろうとしたのですが、だんだん痛みが強くなってきて体が起き上がらない…ヤバい、どうしよう…
その時点で周りに人はいなかったので、こんな恥ずかしいとこ見られなくてよかったと思う気持ちと、早く起きなきゃ!という焦りと、動けないどうしようと困惑の気持ちで横たわっていました。
そしたら「どうしました!?大丈夫ですか?」とドライブスルーの方で作業していた女性の店員さんが駆け寄ってくれました。
動けない私を見てお店の方へ行き、もう一人女性店員さんが駆け付けてくれました。
助かった…という気持ちと、恥ずかしい気持ちと、お仕事の邪魔をして申し訳ない気持ちでした。
 
「救急車呼びますか?」「動かさない方がいいね」「救急車来るまで少し辛抱してね」と声をかけてくださって、ありがたいけど申し訳ない(゜´Д`゜)と何度も「すみません」と謝っていました。
お店のオーナーさんらしき男性も駆け付けてくれて、救急車を呼んでくれました。その間最初に私を見つけて下さった方が、ずっと背中をさすっていてくれました(T▽T;)
そして救急車が到着、人生初の救急車乗車(ノД`)・゜・。
頭を打ってるかもしれないので、頭を固定した状態で乗せられて、さっきまでいた総合病院へ戻ってきてしまいました(´Д⊂ヽ
 
救急病棟でまずレントゲンを撮るために服を脱がされたのですが、その日肌寒かったので、長袖Tシャツの上にトレーナー、さらに薄手のコートを着ていて、それら全部脱がされる時メッチャ腕が痛くて非常に大変でした。
まさかその時点では骨折れてると思ってもないから、打ち身ぐらいであってくれ(≧◇≦)と祈っていたのですが……
「折れてます、相当ひどい折れ方をしているので、手術が必要です」と言われてしまいました。°°(≧□≦)°°。
 
病院から旦那さんに連絡が入り、仕事を片付けて病院へ来てくれました。
お互い携帯のGPSを入れているので、お昼ぐらいに私の位置を見た時病院にいたことをわかっているから、その病院から「奥様が救急車で運ばれてきました」と連絡あって「病院にいたのに、なんで救急車??」となってたそうです(^▽^;)
整形外科の先生は明日にならないと診てもらえないので、骨折している側にスポンジみたいなのを当てて包帯で固定、三角巾で首から吊った状態で一度家に帰りました。
マックの駐車場に自分の車を停めたままだったので、旦那さんがタクシーでそこまで行って乗って帰って来てくれました(ノ_-。)
 
翌日整形外科の先生の診察で診てもらい、GWの連休に入る頃だったので、手術は1週間後となりました(その間自宅療養)
半分ギブス(のちにシーネと呼ぶものと判明)で包帯を巻いてるので、その頃は痛みよりも蒸れて痒かったです。
職場に連絡してやり残してた仕事を自宅のPCで作業してメールで送ったり、入院の準備や髪を切りに行ったりして、5/1に人生4度目の入院。
今回は1年前にできたばかりの新しい病棟だったので、病室も外来病棟もすごく綺麗でした(*^_^*)
 
手術するとしばらく動けないため、前日中に髪を洗って欲しいと頼むと、外国人看護助手の方が病室までやってきて、お風呂場横の洗面所で髪を洗ってくれました。
男性だったので最初はちょっと警戒していたけど、すぐそばにナースセンターもあるし…と思って髪を洗ってもらったら…
終わったあとケープをちゃんとしていたのに、入院着がびしょ濡れ(笑)
その人もビックリして「ゴメンナサイ、着替エ男ダメ?女ヨブネ」とカタコトの日本語で言ってくれまして、女性外国人スタッフさんがやってきて着替えさせてくれました(^▽^;)
後日洗髪してもらった時、別の女性外国人スタッフさんにそのことを話したら「アノコ緊張シテタミタイ、女ノ人ノ髪洗ウ初メテダッタカラ、ナンデヌレタカワカラナイヨーッテ(笑)」と外国人スタッフさん達の間で笑い話になってたそうです(*^_^*)
皆さんフィリピンの方だそうで、いつも陽気で明るく接して下さるので、こちらもだいぶ救われてました。
以前入院した時(5年ほど前)は、あまり外国人スタッフの方はいなかったと思いますが、今回は看護師さんの他に外国看護助手の方々、看護師さんに付いて勉強している看護学生の方など、いろんな人のお世話になりました。
 
手術は5/2のお昼過ぎ14時からの予定でした。その日は朝から絶食(水分も脱水予防の飲料水を飲んだだけ)
看護師さんから呼ばれるまでの間、すごく落ち着かなくて緊張してました。
最初先生の話では2時間ぐらいなので、家族の付き添いとかもなし(なので旦那さんも仕事に行ってた)
手術終わったら、家族に連絡が行く事になってました。子宮筋腫の手術以来なので、すごく怖かった(T▽T;)
全身麻酔が効いて眠るまでの間、家族友人知人推し(笑)の名前をずっと心の中で呟いてました(笑)
 
手術が終わり手術室で起こされて、そのままベッドに乗せられて病室へ戻りました。
その時に初めて看護師さんに「6時間かかりました」と言われてビックリ!Σ(゚◇゚;)
旦那さんが何度もLINEしてたらしく、引き出しの中に入れたスマホのLINE通知が何度も鳴ってましたが、動けない状態なので返信することもできませんでした(T▽T;)
そして長い夜が始まり、前回もちょっと書いた脳内とんちゃん(笑)の妄想で気を紛らわしたりしてました(^▽^;)
 
翌日、気持ち悪さと痛さであまり眠れてなかったけれど、手術後のレントゲンを撮るために、車いすに乗せられてレントゲン室まで外国人スタッフさんに連れていってもらいました。
入院している病棟にもレントゲン室はあるのだけど、その日は祝日で外来は全てお休みだったので、旧棟のレントゲン室まで行く事になり「旧棟シカヤッテナイナンテ、キイテナイヨー」とスタッフさん嘆いてました(笑)
旧棟と新棟を結ぶ渡り廊下を車いすで移動、窓の外はすごく晴れていて「いいお天気ですね」「ソウネ、仕事休ンデドコカ遊ビ行キタイネ(笑)」と話してました(*^_^*)
 
その時のレントゲン写真↓↓↓
上が二の腕の方、下が手首の方です。ボルトがいっぱい入ってるーー\(◎o◎)/
 
 

 

手術して下さった先生が説明してくれたのですが、関節部分が粉砕していたそうで😱どういうふうに骨を繋ぎ止めるか難航したそうです(T▽T;)

ちなみに下側の2本の骨は折れてないんですが、奥の方を見るためにわざと折って(え!?Σ(゚◇゚;))そこもワイヤーなどを使ってつないだそうです。

めっちゃ大手術やん(゜´Д`゜)こんなになるとは思わなかった(ノД`)・゜・。

私はただ、マックのチキンタツタが食べたかっただけなのに~~~~。°°(≧□≦)°°。

 

今後毎年チキンタツタの季節になると、この骨折のことを思い出すのでしょう(´Д⊂ヽ

 

手術翌日からリハビリスタッフさんが病室を訪れて、リハビリの説明をしてくれました。

入院中は午前と午後、理学療法士さんのリハビリと作業療法士さんのリハビリを受けることになりました。

私も今回のことで理学療法士と作業療法士、2つの資格があってそれぞれ違う役割があるんだなと初めて知りました。

詳しい違いなどは下記のサイトをご覧ください。

 

理学療法士と作業療法士の違いは?

 

理学療法士さんは身体的な動きの治療やサポート、作業療法士さんは日常生活に関わる動作を取り戻す指導プラス精神面のサポートという違いらしいです。

 

私の短大時代の友人が理学療法士をやっていると共通の友人から聞いたので、LINEでいろいろ相談にのってもらってました。

リハビリを受けている間、彼女も普段こういう仕事をしてるんだなあ~と改めて彼女のことを尊敬してました。

入院中主に担当してくれた理学療法士さんは、若くて爽やかな青年でした(*´ω`*)

彼以外もその病院のスタッフさんは、20代ぐらいの若い人達が多かったです。

優しい柔らかい雰囲気の人だったので、今時のアイドルっぽくて患者さんの中には推しになる人もいるかもしれない(笑)

 

そしてもう一人、作業療法士さんの担当は、前にも書いた「師匠」と密かに呼んでいるベテランスタッフKさん(笑)

上に貼り付けたリンクの内容を見て、作業療法士さんが精神面でのサポートもするということに納得でした。

Kさんはいつも「できるようになりましたね!すごいです、素晴らしい!」と褒めてくれたんですよね(´Д⊂ヽ

前向きになってやる気になっていったのは、間違いなくKさんの指導&サポートがあったからだと思います。

退院後もずっと師匠にサポートして欲しかった…という気持ちもありましたが、リハビリ外来と入院リハビリと担当が違うみたいなので、退院後はリハビリ外来行って顔を見かけた時にご挨拶するぐらいになってしまい、少し寂しいです(ノ_-。)

でもリハビリ外来のスタッフさん達、特に担当のAさんもすごく素敵ないい人なので、総合的に見てあの病院のリハビリスタッフさん達はいい人ばかりなのだなと思います(*^_^*)

 

リハビリスタッフさん達が、右手が使えない不便な状態でも生活していけるコツや便利なものがあると教えてくれました。

まず何より骨が固まるまでの間右腕を支える大事なものとして、三角巾の代わりになるアームスリングを貸してくれました。

腕の骨折のイメージアイテムでもある白い三角巾、あれってずっとしてると結構しんどいんです。

腕を包み込み首の後ろで結んで固定してますが、結び目が首の後ろに食い込む(≧◇≦)

それがきつくて痛いので緩めたりすると、腕が下がってしまう。緩めるのは左手だけでできるけど、結び直すのはできないので、誰かにやってもらわないといけない。

それを伝えると、リハビリ室にあったものを退院するまで貸してもらえました。

三角巾に比べて負担が少ないので、Amazonで検索して購入し、退院する日に持ってきてもらって、それからはずっとそれを使ってました。

 
 

 
メッシュタイプなので通気性抜群(≧▽≦)
値段もそんなに高くなかったです。でも付けていたのは1ヶ月ぐらいでした(^▽^;)
ずっと付けていると安定するけれど、腕の筋肉が固まってしまうので、動かすためにも早めに外すよう先生に言われてしまいました(;´Д`)
これをしてると腕が安定するだけでなく、周りから見てケガをしているのがわかるので、ぶつかり防止のため電車に乗る時などはつけるようにしてました。
 
あと病院のコンビニで売っていたお風呂用のアームスリング。こちらは600円ぐらいで買えました。
 

 
今はどちらももう使ってないのですが(下のやつはもうだいぶボロボロになってるし)今後また何かあった時のために残してあります(*^_^*)
 
あと食事をする時が結構大変だったので、左手で食べやすいように入院中の食事はおかずが一口大に切り分けられていて、フォークやスプーンがついてました。
最初の頃ご飯ではなくおにぎりにしてくれていたのですが、手がベタベタになってしまって結局フォークで崩しながら食べていたので(^▽^;)普通のご飯に戻してもらいました。
骨折した日から左手でフォークやスプーンを使って食べていましたが、さすがに箸は使いこなせない(ノ_-。)
だから麺類は治るまで食べられないかなあ…(゜´Д`゜)と思っていたら、ある日の昼食に焼きそばが出て( ̄▽ ̄;)
う~~~ん、どうする?どうやって食べる?と考え、パスタみたいにフォークに巻き付けてなんとか食べられました(;^_^A
基本的にあの病院のご飯は美味しいし、1Fにコンビニも入っているので、食事には困らずにすみました。
リハビリスタッフさんが、左手だけで食べると食器類が安定せずに食べにくいので、滑り止めのマットを食器の下に敷くと、食器が動かずに食べやすくなると教えてくれました。
退院後100均で滑り止めマットを買って、家での食事の時も使ってました。
ケガや病気の時は、不便な生活をフォローするための工夫が必要です(*^_^*)
 
入院中、右手が回復するまでどうやって生活していくか、今の課題や改善していくことは何か、いろいろ考えて現時点で「できること」「できないこと」の判断をしようとしました。
 
骨折時はがっちり右腕を固定されて包帯で巻かれていたので、指や手首も動かせなかったです。
そのため文字を書くことができず、左手で文字を書く練習もしてみましたが…全然うまく書けなかった(T▽T;)
指と手首さえ動くようになれば、筆記はできますとKさんに言われて、肘よりも先に指を動かすリハビリをしていました。
 
スマホは左手で操作、文字入力は音声入力も使ってました。
文字が書けないので、退院後に必要なもののメモや大事なことは、スマホのメモアプリに入力していました。
前入院した時は毎回の食事をカメラで撮ったりしてましたが、片手で写真撮るのも難しかったです。
スマホを左手で持つしかないので、シャッターは右手で画面タップしないと撮れない(≧◇≦)
最初はこんな感じで下の方しか撮れなかった↓
 
 
 
写真を撮るのもリハビリの内と思って、家から持ってきてたスマホスタンド(わらふくくん&トモアキザウルス)を被写体にして練習してました(看護師さんに「なにこれかわいい💘」と言われて嬉しかった)
 
 
Kさんに院内コンビニまで付き添ってもらって、買ってきたお水とご褒美スイーツ。
この前の日にも違う味のバームクーヘンを買っていたので、Kさんに「バームクーヘンが好きなんですね(笑)」と言われてしまった(^▽^;)
 
 
最終的にはここまでキレイに撮れるようになりました(*^_^*)
 
 
手術後数日間はベッドにいることが多かったけど、後半はなるべく病室の中にあるソファーの方に机も持っていって、そこでご飯食べたり、スマホでアマプラ動画やとんちゃんの配信ライブを観たりしてました。
リハビリの時間以外は割と自由だったので、毎食後病室を出て病棟のデイルームまで歩いたり、窓の外の景色を眺めたり、気分転換を計っていました。
 
さすがに1人で1Fまで行くのは何かあると行けないからと止められたので、コンビニでお金を下ろして振込する時などは、リハビリスタッフさんに着いていってもらいました。
入院中に振込期日が迫っていたものがあったので、コンビニ内の機械操作を左手でやろうとすると、なんか画面がタッチしにくい。
そのことをKさんに話すと「世の中の機械全般は、右手で操作しやすいようにできてるんですよ」と教えてくれました。
なるほど…そんなこと意識したこともなかった…と目から鱗でした。
圧倒的に右利きの人が多いのでそちらに合わせているものばかりだから、普段左利きの人は不便に感じてることが多いんだろうなあ(ちなみに主治医の先生も左利き)
 
財布からお金を出すのも一苦労。特に小銭が取り出しにくい(T▽T;)
Kさんが「しばらくはスマホ決済の方が便利ですよ」と教えてくれたので、退院後PayPayにチャージして買い物はそれを利用することにしてました(でもPayPay使えないところもあるのよねえ(ーー;))
買い物した荷物は「右手では持たないようにしてください」とも言われました。
手術から3ヵ月ぐらいは、右手に負担をかける動きは厳禁。一人で買い物するとなると左手で持たないといけないため、両手が使えない状態になってしまう。
「もし転んじゃったらどうしよう!」と不安を口に出したら「転びそうになったら、手に持ってる荷物を放してください」とKさんが教えてくれました。
そうならないためにも、なるべくカバンは両手が開くタイプの物(肩掛け)で、荷物はできるだけ少なくするようにと指導してもらいました。
財布、スマホ、鍵、ICカード入れなどをスプリングキーホルダーで斜めがけできるカバンにしっかり取り付けて、落とさないようにしました。
 
 
そんなこんなで、手術から10日後の5/12に無事に退院して家に帰ることができました(*^_^*)
 
 
 
 
 
……しかし!!!
本当に大変だったのは、ここからだったのです(≧◇≦)
 
 
②へ続く
 
10月に入りましたね(*^_^*)
朝晩はさすがに涼しくなってきたものの、10月なのにまだ日中暑くて半袖でも大丈夫なくらいです(;´Д`)
世間的にも個人的にも大激動の2024年も、あと3ヵ月を切ってしまいました😱
今年は春から夏にかけて、楽しかった思い出がほとんどない😭
桜はかろうじて骨折する前に観れたけど、毎年観に行ってる、藤、バラ、紫陽花は観れなかった(ノД`)・゜・。
せめてこれからの季節、秋バラと紅葉は観ておきたいです(T▽T;)
 
さてさて、先週末とんちゃん in 名古屋3Days(≧▽≦)
私は土日しか行けませんでしたが、とんちゃんと大勢のとんとんずさん達と楽しい時間を過ごせてすごく幸せでした(T▽T;)
つらかった日々が長かったから、余計にこの2日間はすごく楽しかったです。
 
28日新栄のクローバーハウス、29日栄噴水広場の路上ライブ、どちらも電車と地下鉄で向かったのですが…
 
名古屋の街中、階段多っ!!!(≧◇≦)
 
そして人も多い(笑)まあ、休日の名古屋は人多いのはわかっていたんですが(^▽^;)
骨折以来、段差&階段が苦手になってしまい(上るのがしんどいとかではなく)車運転禁止中は、通院&通勤のため電車とバスを利用してたんですが、最寄り駅はさほど大きくもないので階段の数も知れてるし、エスカレーターやエレベーターの位置も把握していたので、そこまで恐怖を感じなかったのですが……
 
JRや名鉄の名古屋駅から、地下鉄東山線までの間地下街を通って行くので、階段がいくつもあって、その上移動する人の波に飲まれると非常に危ないので、人の流れが通り過ぎるのを待ってから、壁伝いに階段をゆっくり降りて行くようにしてました。
ケガが完治していないとはいえ、見た目には右腕にアームカバーしてるぐらいなので、後ろからぶつかられて転ばないとも限らない(゜´Д`゜)
 
9月初めにちいちゃんとみやちゃんに名古屋で会ってランチ&お茶したけど、その時は金山駅で会いました。
金山駅は大きな駅だけど、割とすっきりまとまっていて、周囲に飲食店も多いから、近くのマックとスタバに移動するのもそこまで苦じゃなく、夕方解散したあとも、すぐに各々電車やバスに乗れるので、非常に便利なところでした。
それ以来の名古屋だったので、名駅や栄の地下街はこんなに階段あったんだ…(◎_◎;)と今更ながら気づきました。
名古屋なんて短大の頃から通ってたし、夏は沖縄よりも暑くなるから(笑)地上を歩かずに涼しい地下街を歩いていたけれど、ケガ人には不便なんだなあと実感しました。
 
周囲を警戒しながらも、なんとか栄に着いて噴水の前に行くと、もうすでにとんとんずさん達がいっぱいいらっしゃいました(*^_^*)
 
準備中のとんちゃんをパチリ✨
 

 
あとからやってきたみやちゃんと「あのパンツの横のデザインカッコイイね💖」「うんうん、羽織ってる水色のシャツも似合ってて素敵💖」と話してました(笑)
 
私とんちゃんの名古屋での路上ライブ観るのは4回目ですが、この噴水前でのライブは初なのです。
この場所で観たのは、航大くんのとMDJの路上ライブ。とんちゃんのは名駅レジャック交差点と、若宮大通公園の高架下、あとMDJとSnugsと合同でやった栄バス停前の路上ライブでした。
 
この日お天気が曇り空で、今にも雨が降ってきそう(ノ_-。)
風が時折吹いていつもよりは涼しかったですが、湿度があったのでムシムシしてました。
なんとか終わるまで雨降らないでー(≧◇≦)と皆で祈ってました。
 
とんちゃんの後ろにある噴水、時間ごとで水が勢いよく流れたり止まったりしていました。
水音で歌が聞こえづらくなるかなと思ってたんですが、思ってたほど邪魔にならず、むしろ歌を盛り上げるための効果音?(笑)
とんちゃん越しに見える噴水の流れがすごく綺麗で、まるでセットの一部みたいでした(*^_^*)
 
 
 
 
休日だったこともあって、周りは人がいっぱい。噴水の反対側でも路上ライブしてたみたい。
親子連れが多かったので、小さい子が鳩を追いかけまわしたりしていて、すごくのどかで平和な光景の中、とんちゃんの歌声が響き渡ってました。
 
歌声を聴いて足を止めて聴き入ってくれる方や、歌い終わったあととんちゃんに声をかけて下さった方もいました。
4歳ぐらいの女の子がスマホでとんちゃんを撮影していて、その子の親御さんが別のスマホで女の子を映している姿もありました(笑)
島村楽器さんの店員さんが観にいらしてたみたいで、とんちゃんが挨拶していました。
名古屋にもいっぱい島村楽器さんのお店があるから、いつかストアライブしてくれないかなあ~(*´ω`*)
 
路上ライブなのでカバー曲もいっぱい歌ったり、ファーストアルバム、セカンドアルバム両方の楽曲もたくさん歌ってくれました。「両の手」が聴けたのが嬉しかったな(*´ω`*)
「リンネ」も久しぶりに歌ってくれて、去年の2月MDJとSnugsと合同ストリートライブをやった時、すごい雨だったんだけど(^▽^;)とんちゃんが歌う番になると、なぜか小雨になってました(笑)
第二部の時は雨は止んで曇り空だったんだけど、とんちゃんが「リンネ」を歌った時、サビに入るタイミングで太陽が雲間から現れて、サーーーっと日差しが入り込んできました。
その時もみやちゃんと一緒に観てたんですが「うわああ~~スゴイ✨」「日が差してきた(T▽T;)」と2人で感動してたのを思い出しました。
その話をみやちゃんとしてて「今回も晴れるといいね」「今日は無理かなあ~」と言ってたんですが……
 
なんと!!!最後の曲「今を結ぶもの」を歌った時、またもや太陽が雲間から顔を出して、とんちゃんを照らし始めたんです!!!嘘じゃないです、マジです!!!(笑)
まるで演出したかのよう、歌で天気までも操る(笑)
歌い終わってしばらくしたら、また雲に隠れてしまいました。そして雨は一度も降ることはなかったです。
本人もビックリするぐらい、晴れ男通り越して天気の子( ´艸`)
 
路上ライブが終了して特典会、とんちゃんに帰りの新幹線で食べてもらおうと、ちょっとしたお菓子を差し入れに持ってきたのですが、他の方々も同じように差し入れ持ってきてたので、とんちゃんすごい荷物になってました(笑)
 
栄のシンボル中部電力ミライタワー(旧名テレビ塔)をバックに撮影していくことになりました。
前日のクローバーハウスライブはスマホで撮影したので、今回はチェキで撮ってもらうことにしました。
皆いろいろポーズを決めて撮るんですが、私の時は2人で💖を作ろうとなり、手を曲げてハートの形を作ろうとした時、
「あ、僕こっち側行くね」とさりげなく私の左から右側に移動したんですΣ(゚◇゚;)
 
つまり、ケガをしてない左手でハートを作れるようにしてくれたんです。°°(≧□≦)°°。
すごい、すごい優しい気遣い(ノД`)・゜・。
 
 
 
とんちゃんのこういうところが、ホントにスゴイ(゜´Д`゜)
相手への思いやりをさっと行動に移せるのって、なかなかできることじゃないです(T▽T;)
 
そして改めてチェキ見ると、距離近っ(笑)
今まで撮ったチェキを名刺ホルダーに入れてあるのですが、初めて撮った時のから順番に見て行くと、徐々に距離も縮まって私も笑顔で写れるようになってきてた(笑)
最初のは完全に俯いてるし、そのあとのも緊張で顔が固まってて笑ってない😂😂😂
去年10月のおだ会で撮ったチェキが一番よく写ってるので、それをお守りとしてスマホケースに入れて持ち歩いてます(笑)
 
そのあと、ジュンコちゃんと娘ちゃんともまた一緒に撮ってもらったり、集まってたとんとんずさん達皆と写真撮ったりしました。東京へ戻って翌日引越しのために掃除しないといけないと、駅へ向かうとんちゃんを皆でお見送りしました(*^_^*)
 
今回もとんとんずさん達から、たくさんお菓子を頂きました(≧▽≦)
 
 
 
そしてロス在住、現在帰国中のジュンコちゃんから、たくさんアメリカのお菓子をもらいました(≧▽≦)
 
 
今話題の人、大谷翔平選手が所属しているチームの本拠地だから(笑)と、大谷翔平選手のタオルももらっちゃいました(笑)
 
 
たくさんのお土産ありがとう(n*´ω`*n)
ジュンコちゃんは同い年で学生時代まで名古屋に住んでたので、名古屋の短大に通っていた私と共通の話題も多く、お互いの青春時代を過ごした名古屋の思い出話に花が咲きました(*^_^*)
もしかしたら、当時どこかですれ違っていたかもしれない(*´ω`*)
そんな2人を結びつけてくれたとんちゃんにとても感謝しています。
4年越しにやっと会えて、本当に嬉しかったです💖
 
それから栄路上ライブには来れなかったんだけど、前日のクローバーハウスライブでちいちゃんから熱田神宮のお守りをもらいました(ノД`)・゜・。
 
 
 
「早くケガ治るように」と渡してくれて、家に帰ってから開けてみると、中にお手紙も入っていて…それ読んで「ぢいぢゃあああ~~~ん。°°(≧□≦)°°。」と嬉しくて泣きそうになりました。
ちいちゃんの優しさに感動です(T▽T;)
 
早速カバンにつけました(*^_^*)
 
 
このカバン、母の手作りバックなんです。
腕をケガしてからなるべく荷物を少なくして、財布やスマホがサッと取り出せるようにしようと、母からもらったカバンをずっと使っています。
 
実は4月から入退院を繰り返していた母が、9/28(土)つまりとんちゃんの名古屋ライブの日に最後の施設を退院して、ようやく家に戻ってこれたのです。
偶然なのか、なにか意味があるのか、私と母は同じ時期に入院手術をして、リハビリを頑張って苦しい時期を乗り越えて、ようやく元の日常に戻れたのも、同じタイミングだったのです。
先月転院前に会った時はだいぶ歩けるようになり、食欲も戻って元気になりました。
私も時同じくして、車の運転がOKとなり、肘の曲がりも良くなってきました。
ケガをして苦しんで、リハビリ頑張って良くなってきた時期が重なってるのが、なんとも不思議で親子なんだなあと実感しました。
父と弟、旦那さんには苦労かけたけどね(^▽^;)
 
私を心配し、支えてくれる大事な人達の優しい思いが、とてもとてもありがたいな、私は幸せなんだなと思います。
この人達との絆をこれからも大事にしていこうと思います。
 
 
そして、10月からとんちゃんは東京を離れ、地元石川に戻って行きます。
大事なお知らせも発表されました。
 
 
 
石川に戻ると聞いて、所属事務所との関係はどうなるのかなと思っていたのですが、やはり単身赴任(?)みたいな感じにはいかないですよね(^▽^;)
フリーに戻ることになっても、池田ヒカルさん達との繋がりはこれからも続いて行くみたいなので、これからの音楽活動も安心して期待したいと思います。
石川には公式企業とんとんずのリーダー(笑)まつやとり野菜みそYさんもいるし😂😂😂
Yさんクローバーハウスライブだけじゃなく、栄路上ライブも観に来られてました(*^_^*)
とんちゃんの石川での活動に、何か一役かって下さるのでは??と期待してます。
Yさん、とんちゃんをどうぞよろしくお願いいたします😆🙏💘
 
 
改めて、名古屋に来てくれてありがとう💖
これからの活躍もますます期待して応援していきます。
頑張ってね!私も頑張るからね!!