メインボーカルなのです

コンビの相方は作曲兼ギタリスト、三人目の彼はタンバリン・パーカッションです。
通じる言葉が音楽なのです。

この映画を見て直ぐに思い出したドキュメンタリー映画があります。
題名は「典子はいま」です。
昭和年代後期に熊本で生まれ育った人は知っていると思います。当時の熊本のTVはNHK・テレビ熊本・TKU3局時代です、3局のアーカイブに残っています。
ヒロイン典子は実在の人物です、女性です。
彼女には両腕がありません、肩からありません、産まれた時からありません。

彼女は足で歯ブラシを使って歯磨きします、顔も洗います。
食事も足で箸を使って食べます、足で御飯を盛り、お味噌汁も足でお鍋からすくいます。着替えも足で着替えます、用便も足でやります。ノートも足で鉛筆を使って書きます。ハーモニカもリコーダーも足を使って吹きます。
私と同年代の女の子です。
彼女はプールで自由形・背泳ぎ・バタフライ・平泳ぎもします、着替えも足でします。
学業成績はトップです。

志乃ちゃんは名前が言えない吃音だけどボーカルで歌えます。典子ちゃんは両手が無いけど泳げます。

喋れないとか、手が無いとかは周りの決めつけです。
本人達は喋れない、両手が「無い」は当たり前の事なんです。
回りが決めつけてはいけないのです。
もし決めつけが許されるのであれば本人だけです。

似たような話があります。
京都橘高校吹奏学部は”2018ローズパレードに参加し、フルートの彼女は片足が義足です、膝上からありません。彼女はコース9キロ・2時間20分を義足で演奏しながらダンスしながら参加しています。
いま保母をしながら子供たちにフルートを教えているそうです。
パレード前日に別の場所ステージで演奏をしている最中に現地米国のMCから英語でインタビューを受け、不思議そうな表情で返しています、英語が分からないのではなく、彼女にとって当たり前のことがMCには当たり前じゃないことが不思議だったんでしょう。

彼女と志乃ちゃんは音楽を通じています。三人とも当たり前を受け止めているみたいです。私達の当たり前は通じません。

彼女達の感性って通じましたか?…