最初に会った中国人

”70年代に大学に進学するまで私は中国人に遭ったことはありませんでした。
母方の祖父が上海で戦死して、母と上海に慰霊に行きたいなとの話をしていた位です、叶いませんでした。

大学に入り第二外国語で中国語を選択し、教えてくれたのが「亡命中国人」の講師」でした。
四声から丁寧に教えてくれましたが、中国にさほど興味は湧かず尻切れトンボで終わりましたけど、簡単な中国語は聞き取れ読めます。
「簡体」中国語でしたよ。漢字ではありません。
亡命中国人講師に聞くと中国語は概ね4つあって、簡体中国語は北京語だと教えて貰いましたね。
これからは中国語はブームに成るから学んでくださいと言われたのを覚えています。

聞き漏らしたことが有りまして、どの中国からの亡命ですか、一体どの中国?
大陸中国?台湾中国?香港中国?上海・マカオ?

この頃にニクソンショックが起き台湾政府と国交を絶ち、北京政府と国交を結んだ頃なので大陸中国寄りの政策を取り始めたのです。

変な歪な国なのですよ。
蒋介石と毛沢東の争いで出来た国です。
台湾にある蒋介石像は北京を向いているし、毛沢東の紫禁城は東南アジアを向いているし。
漢字を読めない北京中国人もいますからね。

講師は台湾・台北(蒋介石)から逃れてきた亡命中国人でした。
中国からの亡命って幾つも種類があるんですね。

講師は台湾で言う「白色革命世代」からの亡命でした。
蒋介石から逃れて日本に亡命したということです。
今の日本人には判り辛いのですが「台湾中国人」にも大陸中国(毛沢東)・台湾中国(蒋介石)・本来の台湾人が居るのですよ。

台湾の歴史は1600頃にオランダ支配から台湾中国人の父・日本人の母から生まれた袁世凱?一派が独立を勝ち取ったのですね。
根拠地は台南の高雄。
本来台湾人は台北ではなく台中・台南・台東が主流なのは、この経緯です。

何とも歪な中国です…