あんまり関わり合ったことが無いもので

大学での第二外国語は中国語でした。
四声から始まるんですが、途中から学ぶ気が出なくなり途中頓挫しました。
面白くなかったですもの、中国語。

何でだったんだろう?と今になって振り返ると、あれは中国語ではなく「北京語」だったからだと気付きました。
その頃から中国語は4つ有るよとは聞いていたのですが、「もどき」を正当な「中国語」と学んでいたので学ぶ気が無くなったんだな~。
今は損した気持ちで一杯です。
かけがえのない青春時代の一コマです。

第一外国語は英語でしたが、いま喋れないとしても必要があればコミニュケーションできますから此れは学んで良かったです。

中国人との絡みは昭和末期の向島団地、平成中期に、とある中国人向け日本語学校に出入りした時になるのかなぁ?大陸中国が大きくなり始めた時の頃です。
在校生と話す機会があって、中国ってどうなの?と聞きますと「共産党の国だから」でしたね。
口ごもった言い方だったので色々と聞きまくったら「10人に一人、監視役の隠れた共産党員留学生がいる、共産党はそんなものですよ、本音は話せない」と教えて貰いましたね。
ま、中国人ネットワークのあるある、なんでしょうが私は「石亀返せ」なので何とも言いようが無いです。

その後に祇園で関りが出来るのですが、本来の大陸中国人そのものでした。
これが中国人?
昼の顔と夜の顔が全く違います。
ネットワークってすごいなぁ!です。
例えると「日本人になり切る中国人の姿」を見れました。
「お金のためにはここまでやるか…」
絶句です。

正直に「中国人と関わるのは止めた方がいいですよ」でしたね。

言葉と食べ物には確固たる信念が必要ですよ、のお話です。

昭和後期から平成中期の思い出でした