ラベンダー畑、ヴィレッジ、そして地元の合唱団主催の「ほんわかコンサート」
 毎週末ごとの本番を終えて、束の間ののんびり気分を味わっている。

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 合唱団の練習にはほとんど参加できずに、本番前のリハーサルのみ。代理指揮を勤めたが、久々に振って気分爽快。

 このコンサートは東北大震災をきっかけに復興支援を目的に企画されたもので、コロナ禍で中断されはしたが、また再開した。

 浪江町からも農家の方が駆けつけて、紙芝居を上演してくれた。乳牛を育てている農家の実体験を元に牛の目線で物語が作られている。
 悲しい最後で胸にグサリとくる紙芝居だった。

 指揮者の先生のピアノ独奏(譜面台に置いてあるのはタブレットだった、やっぱりね)、近隣の高校生の津軽三味線、二胡の演奏、など盛りだくさんで、最後が私たちの合唱。
 「君を乗せて」と「いのちの歌」の2曲だが、どちらも歌っていて気持ちが高まるいい曲だ。

 暗譜でないのが助かるが、めっきり目が悪くなっているので、歌詞を見てもひらがなを読み違えるが、各フレーズの出だしは指揮から目を離すまいと必死だ。

 そのうち後ろの人が歌いながらグスグスと鼻をすすり始めた。
 曲に感激してるだけではなく、長い時間をかけて苦労しながらここまで辿り着いたことへの感激もあったと思う。本番だけ参加の私としてはちょっと申し訳ない気分だが、せめてこの一瞬は喜びを共にさせてもらった。

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 花之介、小学校最後の運動会。

 決勝の係で三等の担当だという。徒競走でゴールに駆け込んで来る低学年の子と手をつないで三等の旗の元へと誘導する姿を見ると、よくぞここまで!と胸が熱くなる。
 そして花之介自身の徒競走は何と三等だった。素晴らしい!

 親子競技は、とうさんとの出場。さとし君はかなり背が高いから、並んで走るには釣り合わないと思いきや、ここにきて急激に身長が伸びた花之介はけっこうな勢いでとうさんに迫っている。
 私の場所からはよく見えなかったが、与えられたミッションは風船を割る、だったそうだ。

 そしていよいよ待望のソーラン節。

 去年は練習期間中、なかなか参加できなくて保健室で先生に話を聞いてもらったり、間際で兄ちゃんに特訓をしてもらい、何とか本番に間に合い、そして見事に踊った。

 今年は何の心配もなく、グラウンドの向こうに集まりスタートの隊形を取っている子どもたちにビデオカメラを向ける。
 メイとさとし君はそれぞれ位置を変えながらスマホで撮影するので、私は敬老席(!?)に陣取ってカメラを構える。私が撮るよ、と言うには勇気がいるが、まあダメ元で。

 花之介は短パンがはけず、体育はいつも長ジャージなので、探すのが便利だよね~とメイと笑う。
 長いと言ったって、膝の抜けたつんつるてんのジャージからニョッキリ伸びた長い脚が見えて何とも可笑しい。

 そして、子どもたちが裸足で中央に走り出て来ると、津軽三味線の歯切れの良いイントロがグラウンドに響き渡る。それを合図に皆、一斉に腰を落とすと、手首をしならせて波を表す動作を始める。鈴之介の時から代々受け継がれてきたこの踊りも今年で見納めだ。
 ばばバカではあるが花之介の踊りは生き生きしてかっこ良かった!
  
 こんな日が来るとは、そして子どもは、こんなにも変われるんだ、と感動した一日だった。

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 さあて、ばーちゃんもネジを巻き直して、新たなスタートだ。

 長いこと、ハノン封印した、と言うよりも、ハノンなどに時間を割いている余裕などなかったのだ。又、始めよう。

 ソロのためには、少しでも指が動くようにとトレーニングは欠かせなかった。
 だが、伴奏の練習では、指が動く事よりも、ひとつでも多くコードに馴染む事、ひとつでもアドリブフレーズをコピーして使いこなせる事、が大事だった。
 面倒で、根気のいる作業だったが楽しかった。

 ヴィレッジでの本番が終わった翌日、ピアノの部屋に入ると、何か得体のしれない気がボワッと降り掛かってきた。何だ、この空気は!?

 集中して練習した時の怨念がそのまま残っていたのだと小人が言う。
 怨念?辛い目に遭った訳でもないのに。せめて執念とか言ってくれない?

 よし、決めたよ、と小人たちに告げる。
 「残るピアノ人生は、伴奏者として」に舵を切る。