教師になったばかりの頃は、授業に行き詰まりよく悩んでいた。国語、数学、理科、社会、英語、いわゆる主要五教科の担当は、それぞれ数人いた。実技教科だって、体育教官室には陸上や柔道、剣道、それぞれ専門はあれど、やはり数人いた。家庭科は、二人。
    だが、芸術科は音楽、美術、書道が一人ずつ準備室にいる。孤独だ。何が孤独かと言えば、授業内容について、相談する相手がいないのだ。
 
   そんな時、知り合ったのが、他校の戸村さんだ。県内の高校の音楽教師が集まる総会で、新たに分科会が作られた。声楽、器楽、音楽史、など、各自が自分の専門や興味などから、希望する分科会に入る。私は教材分科会に入った。そこで出会ったのが、戸村さんだ。以前のブログと重複するから、ここまでにしておくが、彼は、授業で悩む私の救いの神だった。
 
    音楽教師でありながら、歌コンプレックスのかたまりだった私が、林光の「壁の歌」を教材分科会のメンバーの前で歌った。
  「門田さん、歌ってみなよ」
    と声をかけてくれたのが戸村さんだった。
人前で、ソロを!という、その時の私は清水の舞台から..の気分だったが、平静を装って歌った。歌えた!?
    それ以降、戸村さんから、何曲もの教材の楽譜を渡された。そのほとんどは、林光の『ソング』だった。『ソング』というのは、芝居の中で、登場人物が歌う歌のことで、出版されている楽譜はあまりなく、林光と知り合いの戸村さんは、よく楽譜を手に入れてたのだ。その手書きの譜を私たちは更にコピーして、分科会のたびに皆で歌った。
    そして、それぞれ学校に戻り、さっそく授業で使った。
 
     説明が長くなったが、ミニコミ紙で、あの戸村さんが講演をしたとの記事を読んだ。音楽に関するテーマだが、『音楽と社会のつながり』がテーマで、ポリシーのある戸村さんならではだと思った。
 
    懐かしくて、すぐメールをした。講演の準備で忙しく私への案内を忘れたとのこと、残念!でも、どっちにしろこの腰では...
 
   たまにF高校の退職した職員で集まって、やあやあ、と昔話などしていた。私はF高校からI高校へ、戸村さんはI高校からF高校へとの交換人事異動だった。だから入れ違いではあるが私たちは同じF高校のOBという訳だ。集まったメンバーは皆、よくしゃべるひと逹で、楽しいひとときだったが、しばらく集まりは途絶えている。そのうち再開してくれるだろう。