三菱一号館美術館の芳幾・芳年展では
芳年の作品も写真いっぱい撮ったので
ただの自己満足ですが
今度は芳年作品集
復讐義士銘々伝
間重次郎光興•木羅上野介義英•武林唯七隆重
羅城門渡辺綱鬼腕斬之図
藤原保昌月下弄笛図
パネル解説:
本作は絵画共進会に出品した肉筆画の作品を
木版画にしたもの。
笛の名手・藤原保昌が月夜に笛を奏でながら歩く様子に
盗賊。袴垂がつけ狙うが、一分の隙もみせない保昌に、
とうとう襲うことができなかったという話。
芳年の中でも屈指の作品で、
派手な戦いやケレン味を排除し、
色調を押さえ、静寂と緊張感に包まれている。
芳年武者旡類シリーズから
弾正正弼上杉謙信入道輝虎
主計頭加藤清正
パネル解説:
加藤清正が『論語』を読んでいたある日、
ふと目を離した隙に、飼っていた猿が
主人の真似をして筆を持ち、本を汚してしまう。
清正は叱ることもなく、
そんなに勉強がしたいかと言って
猿の頭を撫でたという話。
肥後の虎と言われた勇猛果敢な武将の
別の一面を描いたもので、
シリーズ中もっとも和やかな一図。
山中鹿之助幸盛
弾正忠松永秀久
パネル解説:
松永秀久は織田信長の家臣であったが
謀反を起こし信貴山城に籠城。
茶人でもあった秀久は
名器“平蜘蛛茶釜”を差し出すよう要求されるが、
平蜘蛛と我が首は絶対に見せぬと茶釜を叩き割り、
城に火をつけて自害したという。
一説には茶釜に火薬を詰め、
それを抱いて爆死したとも。
大臣武内宿禰
日本武尊(やまとたけるのみこと)
川上梟帥(かわかみのたける)
パネル解説:
日本武尊は九州熊襲の長・川上梟帥を討つべく、
童女に化けて酒宴に紛れ込む。
酔った川上梟帥は童女を気に入り、
そば近くに呼び寄せた瞬間、
隠し持った探検で急襲した。
まさに馬乗りになった瞬間を描いている。
両者のおびただしい数の衣文線と、
蛮族としての川上梟帥の剛毛、
日本武尊のざんばら髪がひと塊になって、
暑苦しいほどに画面に充満している。
相模守 北条最明寺入道時頼
遠藤武者盛遠
パネル解説:
遠藤盛遠は平安末期の武士。
親友の妻で絶世の美女、袈裟御膳に恋焦がれ、
夫さえいなければ・・、と想いを告白する。
一人悩む袈裟御膳は夫の寝室を教えるが・・。
図は太刀を携えた盛遠が夫殺害に向かう場面。
しかし、盛遠が寝込みを襲ったのは、
夫を想う袈裟御膳であった。
この出来事から盛遠は出家し、
文覚と名乗ることになる。
畠山庄司重忠
相模守北条高時
相模次郎平将門
パネル解説:
平将門の最期を描いた作品。
平貞盛、藤原秀郷らの連合軍を相手に
自ら先頭にたって斬り倒し、
自陣に引き上げる途中で形勢が逆転。
風向きが変わり、貞盛の矢が将門に命中。
秀郷に首を掻き切られた。
敵兵の太刀を叩き折る馬上の将門だが、
血走った彼の眼前にはすでに矢が迫っているという
緊張感みなぎる構図となっている。
遠江守北条時政
日野隈若丸
パネル解説:
南朝に仕えた武士、日野邦光が隈若丸(阿新丸)
と名乗っていた少年期の話。
後醍醐天皇の倒幕計画に連座し佐渡に配流となった
父・資朝を助けに向かうも、
すでに暗殺されており、仇討ちを結構する。
この図は山伏に助けられ佐渡から脱出する場面を描く。
主人公はこの坊やであるが、
山伏や背景の文様に目がいってしまう。
武蔵坊弁慶・九郎判官源義経
平忠盛
パネル解説:
平忠盛は白河院に仕えた平安末期の武将で、
平清盛の父。
雨の降る夜、白河院が祇園社(八坂神社)を通ると、
青白く光る物の怪らしきものを発見、
供の忠盛に直ちに退治するよう命じる。
忠盛がよくよく様子を探ると
燈籠の火に油を差す坊主であった。
白河院は忠盛の冷静さと豪胆さを讃えたという、
『平家物語』にみえる話。
野見宿称・当麻蹴速
源牛若丸・熊坂長範
パネル解説:
牛若丸と対峙する猛者は弁慶、ではなく、
伝説上の盗賊・熊坂長範。
能『烏帽子折』に取材したもので、
熊坂率いる盗賊の大軍勢を相手に牛若一人で切り倒し、
六尺三寸(約2m)の薙刀を振るう熊坂を
討ち果たしたという。
体をのけ反らせて攻撃をかわす巨体の熊坂だか、
すでに牛若の切っ先は敵の目の前に
ピタリと照準を合わせている。
新中納言平知盛
パネル解説:
平知盛が甲冑姿で室内を掃除する様子が描かれるが、
遠景に目を転じると外は海。
火の手があがる船も見える。
壇ノ浦で敗北を悟った知盛は、
安徳天皇の乗る御座船を綺麗に掃き清めたという。
幼い天皇、二位尼が入水し、
平家の滅亡を見届けた知盛は
「見るべき程の事をば見つ」と言い残して
海中に身を投じたという。
篠塚伊賀守貞綱
仁田四郎忠常
八幡太郎義家
パネル解説:
源義家は前九年の役、後三年の役で活躍し、
源氏の基盤を築いた武勇の士。
若い頃、人妻と密会を重ねていたがこれが発覚。
間男をつまずかせようと基盤を仕掛けておくが、
これを切り捨て難なく屋敷に入り込んだ義家に、
亭主は尻尾を巻いてにげだしてしまったという話。
重力を感じさせない身軽な跳躍姿や
音もなくスパっと切り落とす様が小気味よく描かれる。
阪田公時・源頼光
木下藤吉郎
パネル解説:
木下藤吉郎が名を上げた富士川の初陣の図。
十八歳の藤吉郎は今川義元の家臣・松下之綱に仕え、
北条氏氏康との合戦に臨む。
負傷した敵の大将・伊藤祐国と富士川で出くわし、
藤吉郎は馬を槍で突いて
川に落ちた祐国にとどめを刺した。
たっぷりとした水の流れ、
藤吉郎も首の主も表情はわからず、
ただただ滴り落ちる鮮血だけが印象的な一枚。
源三位頼政
パネル解説:
源頼政と言えば夜な夜な都を脅かす鵺(ぬえ)を
その強弓で退治した伝承で知られる。
後白河法皇の息子・以仁王と平家打倒を掲げ
挙兵したのは70代半ばのこと。
企ては失敗し敗走することとなる。
本図は観念した頼政が大鎧を脱ぎ、
短刀を準備し、辞世の句を詠む様子である。
老兵の心穏やかな死に際も
このシリーズは逃していない。
悪七兵衛景清・三保谷四郎国俊
阪額女
パネル解説:
騎馬姿の肖像画といった風情シリーズ中異色の作品。
板(阪)額女は平安末期から鎌倉初期にかけての
女武将で、巴御前と共に女傑の代名詞として
「巴板額」として知られていた。
もともと平家方の地方豪族・城氏の出身で、
『吾妻鏡』によると
鎌倉幕府への反乱である建仁の乱が起きた際に、
兄と共に反乱軍の将として奮戦したという。
平相国清盛
船田入道義昌・左中将新田義貞
左兵衛佐源頼朝
パネル解説:
馬上の若武者は全く臆することなく敵に相対し切り結ぶ。
一瞬の勝利を得たのは若武者の方で
敵将の刀が宙を舞っている。
源頼朝が右兵衛佐の官職に任ぜられたのは13歳、
平治の乱(1159年)の時で、本図はおそらく
その初陣を描いたいたものなのであろう。
若く初々しい姿の頼朝が描かれる図は珍しく、
緋縅(ひおどし)の鎧の若武者は義経を彷彿とさせる。
曽我五郎時宗・五所五郎丸
パネル解説:
源頼朝の家臣・工藤佑経に父親を殺された、
曽我十郎・五郎兄弟が富士裾野で
巻き狩りに乗じて仇討ちを完遂。
五郎は頼朝の寝屋敷近くまで進む。
が、今一歩のところで捕らえられてしまう。
踏みつけられた幕には頼朝の紋、笹竜胆が見えている。
二人とも顔を見せず、表情を隠しているが、
緊張感と共に五郎の無念さが伝わってくる。
鎮西八郎源為朝
武田大膳太夫晴信入道信玄
郎判官源義経・能登守教経
芳年作品集2へ続く・・・