昨年、私が取材・執筆した原稿です。

掲載先を探していましたが、上手に営業できず発信できていませんでした。

ひとりでも多くの方に届いてほしいので、

シェアしていただいたり、または掲載先を紹介してくださるとうれしいです。

 

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自然なお産を求め、多くの妊婦が集まる助産院がある。大阪府枚方市にある、ゆずりは助産院だ。自身を『迎え人』と名乗る院長、片山由美さん(46)は13年前に開院した。33歳だった片山さんは当時大阪府内で最年少の開業助産師だった。

 


開業12年の大阪府枚方市にあるゆずりは助産院、院長の片山由美さん=筆者撮影

生活や食の乱れ、過剰な医療介入、社会問題等が、母の産む力、赤ちゃんの生まれる力を弱めていると感じていた片山さんは、その力を最大限に引き出し、寄り添うお産を実践したいと開院した。

院名に選んだ「ゆずりは」は、古くから縁起のいい木として、正月のお飾りや庭木に用いられてきた。代々の継承を表すかのように、若葉が出ると古い葉が落ちる。命をゆずり、つないでいく。そんな想いを重ね合わせ、ゆずりは助産院と名づけた。

 

ゆずりは助産院の庭にそびえ立つシンボルツリー、ゆずりは=筆者撮影

 

 

1%のお産の現場

 

2020年5月17日、ゆずりは助産院で新たな命が生まれようとしていた。薄明かりの中、畳の部屋に敷かれた布団の上で、思いのまま姿勢を変えながら、母は激しい痛みに耐えていた。子どもたちは母の手をぎゅっと握り、そっと声援を送った。片山さんは一時もその場を離れることなく静かに見守り、陣痛のたびに妊婦の足腰をさすり続けた。

 

第4子のお産に立ち合い、陣痛に耐える母の手を握る子どもたち=ゆずりは助産院提供

『今まで体験してきたお産と違い、本当に静かな空間で陣痛を味わうことができました。片山さんの手があたたかくて、まるで魔法みたいでした。痛みは和らぎ、安心をもらえる感覚でした。早く赤ちゃんに会いたい気持ちが溢れ、陣痛がくるのが全く怖くありませんでした』

大藤万里栄さんは、上の子3人は診療所でのお産だったが、助産院での家庭的な環境で臨む自然なお産の体験を友人から聞いたことで、第四子は助産院で産むことに決めた。診療所への通院とはちがい、健診は子どもたちを連れて通った。モニターに映し出された赤ちゃんを家族全員で見る。豆粒のように小さかった赤ちゃんが健診の度に大きくなっていく。夫も子どもたちも赤ちゃんを迎える気持ちが育まれていることを大藤さんは強く実感した。

迎える準備は万端に整ったが、予定日を過ぎても陣痛がくる気配はなかった。今まで予定日を過ぎたことはない。募る不安を払拭したのは片山さんからのメールだった。

「赤ちゃんが大丈夫かなと心配になったり、周りからまだ?と言われてプレッシャーに感じたりと不安はあるかもしれないけれど、生まれるタイミングは誰より赤ちゃんが知っているから大丈夫」

相談したわけでもなく、不意にメールが入ってきた。言わずしてわかってくれる人がいる。ほっとした大藤さんは「いつでも大丈夫だよ」とお腹に語りかけた。

5月17日、満潮を迎えた早朝、力強い産声が産院に響き渡った。ゆずりは助産院で迎えた179人目の赤ちゃんは、歴代2番目に大きい4,175グラムで誕生した。丈太郎と名づけられた。生まれたばかりの丈太郎くんの頭には、助産師になる夢を抱く9歳の姉、桜子ちゃんが作ってくれた王冠がのせられた。

 

生後間もない丈太郎くんに姉桜子ちゃんから王冠がプレゼントされた=ゆずりは助産院提供

 

 

お産が怖いと思った病院勤務時代。葛藤を経て見つけた理想のお産

愛おしい赤ちゃんとずっといたいと助産師の職に就いた片山さん。かつては99%側の医療現場で勤務していた。妊婦さんが産気づくと、必要な器具を用意し、点滴をセットし、記録をとり、先生を呼ぶ。常に忙しなく、心細そうに分娩台に乗る妊婦さんのそばに寄り添っている実感はなかった。患者さんの状態はカルテによって共有されているものの、お産で初めて会う妊婦さんもいる。やはり直接関わらないと体の状態や性格も見えてこない。経験を重ねれば重ねるほど、わからないままお産に立ち会うのが怖くなり、いつしかお産を避けるようになっていた。あれほど夢見て手にした仕事。こんな気持ちのまま続けられないと、片山さんは勤務していた総合病院を4年で退職してしまう。
 
その後結婚し、子どもを授かり、生後8ヶ月の育児に追われていたある日、元同僚から連絡があった。
 
「ねえ、助産院で働いてみない?絶対あなたに向いていると思うの」
 
言われるがまま、ある助産院を訪れた。「古いことをやっている場所」「医療が及ばないところで少し危ない場所」。そんな乏しい理解のまま赴いた。

出てきた院長の若さに驚いた。昔でいうお産婆さんは、字の通り年齢を重ねた人のイメージがあったからだ。
 
この助産院でお産に立ち会わせてもらったときのことだ。助産師が2人がかりで妊婦の腰をさすっていた。片時も妊婦のそばを離れない。陣痛が和らいだところで、妊婦と一緒につかの間の休息をとる。陣痛がくると、再び手は動き出し、妊婦のため、赤ちゃんのためだけに精一杯尽くす。生まれたらお母さんのお腹に赤ちゃんを乗せ、その後の処置に追われることなく、ただただみんなで心ゆくまで幸せを味わう。

妊娠期に紡がれたお母さんと助産師との絆。信頼があうんの呼吸を生み、2人は赤ちゃんのリズムに耳を傾けていた。全てが自然で、特別でない日常の延長にお産はあった。

「これだ!」

数年間のもやもやが解き放たれた瞬間だった。頬は涙で濡れていた。


医療も大切。でも安心・信頼・満足感は同じくらい大切

助産院とは、正式には助産所と呼ばれ、女性の保健指導や妊婦の検診やお産の介助を行う場所である。

お産に関することだけでなく不妊、育児、性問題、更年期、終末期など女性の一生に関することであれば何でも相談できる場所であるが、日本ではまだその理解に乏しく、お産に関わる専門家という印象が強い。

出産に関して病院や診療所と大きく異なるのは、助産所では医療行為ができないこと。帝王切開や会陰切開、陣痛促進剤の使用は行えない。助産所で産みたいと願っても、逆子、帝王切開既往、多胎妊娠、血液型がRh(-)、疾患がある人など、リスクのある妊婦は助産所では出産できない。

つまり助産所でのお産は、低リスクな妊娠や分娩の経過をたどる妊産婦であることが条件になる。

助産所の開設には、嘱託医師と連携医療機関の設置が医療法で義務づけられている。妊娠中数回は嘱託医師の診察を受ける。妊娠過程、または出産時にリスクがあると判断された場合には、医療機関と連携し、母胎の安全を確保する。出産前に医療機関に転院になることや、お産がはじまってから病院に搬送されることもある。

日本助産師会の調査によると、平成26年の開業助産所での分娩件数のうち、17%が助産所から病院へ転院したという。約5件に1件が転院とは決して低い割合とは言えない。転院の時期は、妊娠期59%、分娩期26%、産褥期2%、新生児による転院が13%だった。

リスクを理解しながらも、助産院で出産したいと願った坊西さん夫妻に話を伺った。夫妻は第一子から助産院での出産を希望した。夫秀二さんは、父が末期がんを患ったことをきっかけに、スキューバダイビングのインストラクターから看護師に転職した。

看護学生時代の実習先のひとつが、前述したゆずりは助産院だった。毎日が発見と感動で溢れていた。陣痛促進剤を使うのがあたりまえだと思っていたお産。しかし、ただひたすら赤ちゃんとお母さんの力を信じて待つ片山さんの揺るがない信念に感銘を受けた。
 
やがて秀二さんは結婚し、妻のお腹には第一子が宿った。妻彩子さんは、初診でクリニックを訪れ、検診台に乗った。一人で待っている時間がとても心細く感じた。一連の検診が、機械的な流れ作業に映り、冷ややかな温度を感じた。

秀二さんは、不安がる妻に、かつての実習先であるゆずりは助産院への受診を勧めた。

初めての受診。いま感じる全てに寄り添ってもらえた。その温かさ、心地のよさに彩子さんは、ここで産みたいと願いが溢れた。
 
「もちろん、医療というハード面の重要さも理解しています。医療が及ばない助産院での出産のリスクはもちろんある。けれど『任せていいんだ』と思えるほどの安心感、信頼感って、同じくらい大切だと思うのです。毎回、自分のためだけに1時間の検診枠を用意してくれます。大切にしてもらえる時間、認めてもらえる時間、その全てが心地いいのです」

彩子さんは、片山さんの心と体を整えるという考え方に深く共感した。食べ物、過ごし方、思考や感情を整え、ひとつひとつのリスクや不安を取り除いていく努力を自ら重ねる。その過程に、いつも同じ助産師さんが寄り添ってくれることを心強く思った。

10ヶ月のあいだ片山さんに伴走をしてもらいながら、母としての自覚と自信を育んだという彩子さんは、安心と温かさに包まれたお産を経験した。第二子を授かった時も、迷わず同助産院での出産を希望した。

お兄ちゃん奏空(そら)くんは怖がり。第二子の出産を控え、奏空くんをお産に立ち合わせるか迷った。しかし、このお腹から弟が生まれるてくることを実感してほしい気持ちが勝り、迷いは消えた。奏空くんは痛むお母さんの腰をさすった。赤ちゃんの顔が見えた時には、もう臆病奏空くんではなく、立派なお兄ちゃんだった。胎盤を見てハンバーグと言い、みんなを笑わせた。新しい命が誕生する瞬間を共有することが、お兄ちゃんになるための通過儀礼だったのかもしれない。

父秀二さんは奏空くんの誕生の瞬間には間に合わず、心待ちにしていたへその緒を切ることが叶わなかった。第二子でやっと、その想いが叶った。
 

第二子、奏介くんが生まれた直後。みんなで誕生の喜びを分かち合う=ゆずりは助産院提供

 

心待ちにしていたへその緒を切る父秀ニさん=坊西さん提供

 

 

リスクも背負う片山さんはこう言及した。

「もちろん助産所での出産リスクはゼロではありません。助産所での対応が難しければ早めに判断し、迷わず医療機関と連携します。嘱託医あっての助産院です。ただ不調には予兆があることが多いのです。だからこそ、たとえわずかな体調の変化でも見逃さず、それはどうして起こっているのか、あらゆる可能性を想定し異常を予測します。医療に頼る前に、予防できたり、和らげたりできることはたくさんあるのです」


どこで産むのか、どう産むのかを主体的に考える

出産は赤ちゃんとお母さんの命が無事なこと。これが一番であることは言うまでもないが、安全性に加えて、快適度や満足度も合わせて重視されるようになってきていることも確かである。家族の立会い、分娩姿勢、母子同室同床など、個別のニーズに応じるためにバースプラン(妊婦とその家族に配布し希望を書いてもらう出産計画書)を活用する院が増えてきている。

何をもって安心なのか、満足なのかという価値観は十人十色である。どこで産むにしてもメリットやデメリットはある。高リスクになればお産する場所の選択肢が狭まってしまったり、施設の状況でバースプランが希望通りにいかなかったりすることはあるが、自分はどんな処置やケアを必要とし、どうお産にのぞみたいのか、産前産後をどう過ごせたら幸せなのかを、誰かの力を借りながら主体的に考える機会をもつことは、どの妊婦にも共通して大切なことのように思える。

「10ヶ月はお母さんになるための心と体の準備期間。不安や不調で思い通りにならないことが多い妊娠期に、辛い時は辛いと悲鳴をあげ感情をさらけ出し、自分と向き合い、受け止めて、誰かの力を借りながらよりよい方向に向かってちょっとのがんばりを重ねてほしい」

そう妊婦に願う片山さんは、大切な妊娠期をサポートする一人として助産師が活躍できると信じている。

 

生まれてくるきょうだいの心音をみんなで聞く。家族揃って健診へ来る家族も少なくない=ゆずりは助産院提供


99%の現場で働く助産師へ届けたい。片山さんの新たな挑戦

日本看護協会の「平成29年看護関係統計資料集」によると、2016年の助産師就業数は約4万人。そのうちの9割近くが病院または診療所で働いている。

日本では産院や産科医の不足が問題視される状況にありながら、正常な妊娠経過の妊婦検診や分娩も医師が担っていることが多い。助産師がいても、多数を公平にかつ分担して診る院の体制上、同じ助産師による断続的なサポートの実現は難しい。専門性を十分に発揮できず、片山さんのように葛藤する助産師もいるという。

近年医療機関内に、助産師が主導してお産や検診を担う(必要時は医師が対応する)院内助産所や助産師外来を設置する病院も出てきた。医師と助産師が連携し、妊産婦やその家族の多様なニーズに応え、より満足度の高いお産をめざすためだ。助産師外来の設置数は病院で5割程度に増えてきているという調査もあるが、院内助産所の設置数は1割程度にとどまっている。診療所に関しては、どちらも数が少ないのが実情である。

2019年に取りまとめた日本看護協会の報告書には、院内助産所や助産師外来に対して妊産婦の満足度が高いことを、病院の9割の医師や看護管理者が認識していると記されている。あわせて人材の育成と人数の確保が今後の課題であることが指摘されている。助産師の活躍によって、医師はより高リスクの患者の治療に専念ができるため、産科の医療崩壊を防ぐという見解もあり、助産師への期待は高まりつつある。

片山さんは、新たな夢に挑んでいる。助産師を育てるという挑戦だ。はじめは、妊婦を育てる学校をと考えたが、出会える数に限界を感じた。より多くの人を救うには、病院や診療所で働く助産師の意識や意欲を高め、より密に関わろうとする助産師、そして院内助産院や助産師外来設置のために医師に働きかける助産師を増やすことだと確信し、2015年に「じょさんぷの学び舎」を立ち上げた。この5年間でのべ130人が受講した。助産院の開業をめざす助産師の支援も並行し、6件の立ち上げに携わってきた。1%のいのちの現場から投じられた一石は確実にその波を広げている。
 
実は筆者もこの取材後、ゆずりは助産院で出産を予定していた。予定日より2週早く破水した私は片山さんのもとへ駆けつけた。体も心も寄り添ってもらいながらその時を待っていた。片山さんと迎えるはずだったお産。しかし、それは叶わなかった。出血が多く、常位胎盤早期剥離の可能性も捨てきれないため救急搬送となった。助産院での出産が叶わない悔しさ、残念さから救急車の中で涙が溢れたが、無事に生まれた娘の重みとあたたかさを感じた私は感謝の気持ちに溢れていた。今まで伴走してくださった片山さんはもちろんのこと、娘の命を守ってくれた医療にも。出産を終えた私に片山さんがかけてくれた言葉は一生忘れない。

『どこでどんなお産をしても、あなたの大切なお産。ただ私たちは温かく応援するのみ』

片山さんの寄り添う気持ちが、今日も誰かの自信と安心につながっている。

 

 

大藤さん一家=筆者撮影

 

坊西さん一家=筆者撮影

 

 

【 ゆずりは助産院 】

 

 

 

 

 

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Photo Writer かどまどか  / Kado Madoka

 

 

上から読んでも下から読んでも、かどまどか。
撮り手で書き手。
主に旅、ライフストーリー、文化、家族をテーマに執筆。
教科書の教材やインタビュー記事も執筆している。
執筆テーマに沿った素材の撮影はもちろんのこと、家族写真も撮影。
写真ストックの中から写真提供も行っている。
中学校で命、生き方、国際理解をテーマにした出前授業も行う。

 

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