人生は苦。

お釈迦さんはそう言ったそうです。

皆さんはどう思われますか?

 

私も基本的にはお釈迦さんと同じく人生は苦だと思います。

 

どうしてかというと

人間は、「こうしよう」「こうしたい」と思うことは思い通りにならないことが多く

また予定外想定外のことが起こる、何が起こるか分からない

というのが普通だからです。

 

そういう意味からすると人生はしんどい、人生は苦しいということになると思います。

 

こうなるのは

人間が欲深であるということと

その反面として不完全であるということと関係しています。

 

人間は本当に欲深です。

こうしたい、ああしたい

或いは本当に真面目です

ああすべき、こうすべき

ああしないといけない、こうしないといけない

常にそう思っています。

 

 

これは人間の頭・脳が大きいということと関係してると思います。

色々考えて欲望が出てくる。

それと関連して不安も出てくる。

ああなったらどないしょう、こうなったらどないしょう

という不安です。

 

欲望が大きいと不安も出てきます。

不安と欲望はコインの裏表です。

こうしたい、でもこうなったらどうしよう

 

人間は

その欲望と不安でこんなに世界に拡がり

こんな文明を築いたのです。

 

他の動物でそういうことをしたものは、今までのところいません。

 

人間は、その頭のでかさ故の欲張と不安で、こうなったのです。

 

ところが実際の人間のできることは限られています。

 

私がいつもいうところの塵の如き存在、不安全な出来損ないです。

 

それなのに欲望を全開にするとどうなるか?

 

苦が待っているのです。

無理がかかるから。

軽四のトラックでF1グランプリに優勝しようとしているみたいなもんです。

 

だから人生は苦になる。

 

それで人生か苦でないようにするにはどうするか?

 

お釈迦さんは欲をなくしたらいいと考えたんですね。

 

でも欲はなくならないです。

それも不可能です。

特に今のような欲望全開社会に生きている限り、それは無理です。

 

反対に人間を万能の方向へ持って行くことを目指すというやり方もあるでしょう。

何でも思い通り、完全、完璧にできるようになる。

人間を神様・仏様・ス―パーマンのようにしようとする考え方といっていいかもしれません。

現代はどちらかというとこの方向を目指している人が多い。

でも、これも無理です。

みんな失敗する。

人間は、どこまで行っても塵の如き、不完全な出来損ないでしかないのです。

 

だから、どうしても人生は苦になってしまう。

 

ただ、

そこで少し考え方とやり方を変えると

基本的に人生は苦であるとしても、

それなりに面白く、楽しく、喜びを感じる人生が送れますよ

というのが、私が考えた「塵の幸せ学」なのです。

 

また長くなりました。

人生を面白く、楽しく、喜びを感じるようにするために

考え方とやり方をどう変えるかは次回にします。