ユーチューブの動画の方でもやっているのですが、

このブログでも私の本の「塵の幸せ学入門」の補正をしていきたい思います。。

 

 

やっぱり人間は成長するんです。

この年になってもあらたな気づきや学びがある。

 

まさに「人は一生育つ」ですよね。

 

これが人生の喜びです。

 

その最初としては、

「人間は塵、不完全な出来損ない」ということを、私は繰り返し本で述べています。

この言葉が塵の幸せ学入門のキーワードになっています。

 

これを否定的に捉える方もいらっしゃるかもしれないです。

そうなんだから「諦めろ」とか、「何もできないのだ」という具合に。

でも、これを否定的に捉えないで欲しいのです。

 

それでいいんだということ

むしろその方がいいんだという意味に受け取って欲しいのです。

 

そのあたり本では少しはっきりしていなかったかもしれません。

 

最近は自己肯定ということをよくいわれますが

自分のいいところを肯定してという意味で使われているような気がします。

それならいいところがないといけないことになってしまいますよね。

 

そうではないのです。

いいところが何もなくてもそれでいいんだ、その方がいいんだという意味での自己受容。

いいところが何もなくても、そこから成長していく、学んでいく、より良くしていくので、いいのだ、

その方が人生が面白く楽しくていいのだ、その方が他者を想いやり、助け合えるからいいのだ

という形で、その意味で肯定的に、積極的に不完全で出来損ないの自分を受け容れて欲しいのです。

 

自信を持てということもよく言われますが、むしろ私は自信なんてなくていいと思っています。

「塵で不完全な出来損ない」の人間が自信なんて持てないでしょ。

 

自信のないのが当たり前です。

自信なんてなくてもいいのです。

 

自信のない状態で自分にできることから少しずつで良いからやって見るのです。

そこで少し前に進む、学べる成長する、より良くなる。

ほんのちょっとでいいのです。

ちょっとでもやれたというので良いのです。

それを積み重ねていけばいい。

 

ほぼ確実に思い通りにはできません。 

失敗だらけでしょう。

 

それでいいいのです。

その方がいいのです。

 

あるがままからより良くヘ。

失敗からより良くヘ

自分で考えて工夫する。

そこを面白がる.、楽しむ。そして学び成長する。

万一達成できれば感動ものです。

 

他人と比較なんてしなくていいです。

 

人生はそれが醍醐味なんです。

そのプロセスを楽しむのです

 

その醍醐味を味わえない神様は不幸です。

だって何でも完璧にできてしまうなんて面白くもなんともないでしょ。

 

それと、「塵で、不完全な出来損ない」だからこそ

人と助け合える

想い合えるのです。

 

そうすれば一人ではなし遂げられないこともできるのです。

いかに個人が優れていても、一人でできることなど高がしれているのです。

 

それだからこそ、柳生新陰流の口伝の奥義は

「塵であることを思い知れ」というだけでなく、

「塵となり尽くせ」

とまでいっているのだと思います。