こんにちは。
本日は、フランスの作家アンドレ・ジッドの『田園交響楽』という中編小説を紹介させていただきます。
あらすじ紹介の中で、完全なネタばれがあるので、これからこの小説を読んでみようと考えていらっしゃる方は、ここから先は読まないでくださいね。
『田園交響楽』は一種の恋愛小説なのですが、「超」悲劇的な結末で終わります。
牧師さんと盲目の少女ジェルトリュードを中心に話が進んでいきます。
全くの無知であった盲目の少女ジェルトリュードは、親切な牧師に拾われて、牧師から様々な教育を受けます。
牧師はジェルトリュードが知的な女性として成長していく中で、しだいに彼女のことをマジで愛するようになります。最初は聖職者としての人間愛だったはすなのですが、いつのまにか一人の男としてジェルトリュードを愛してしまうのです。
この牧師は妻子持ちで、牧師の息子のジャックもジェルトリュードのことを愛するようになりますが、それを知った牧師は息子ジャックとジェルトリュードの恋愛を阻止しようとします。
ジャックはあきらめてジェルトリュードのもとを去ることを決めます。
そうしたとき、ジェルトリュードは念願の開眼手術を受けることができることになります。
手術は成功して、ジェルトリュードの目は見えるようになるのですが、その直後に彼女は川に身を投げて死んでしまいます・・・・。
なぜ彼女は自殺してしまったのでしょうか。
ジェルトリュードが自殺した理由は2つあって、ひとつは、自分が牧師の奥さんであるアメリーの場所を長い間奪っていたこと気づいて、それに対する後悔です。
もうひとつは、目が見えるようになって、自分が本当に愛していたのは、牧師の顔ではなく息子のジャックの顔だと気づいたことです。つまり、目が見えないときは牧師のことが好きだったのですが、想像していた牧師の顔は、息子ジャックのようなイケメン・フェイスだったということです。
よく、人が異性を好きになるのは、その人の内面に惹かれるからだと言われますが、この小説を読む限り、人が異性を好きになるのは、内面だけでなく外面にも惹かれるからだということになります。
ジッドにとっては、人間の魅力は、内面と外面が密接不可分になっているようです。
「盲人もし盲人を手引きせば、二人とも穴に落ちん」がこの小説のテーマなのです。牧師は精神的な意味での盲人であり、ジェルトリュードは肉体的な意味での盲人です。
BRICs経済研究所 代表 門倉貴史