2024.6.24 沖縄タイムス 北大東村に空自の移動式警戒管制レーダー配備へ 防衛省、27日にも村側に正式に説明 | 沖縄タイムス+プラス 【東京】防衛省が、北大東村に航空自衛隊の移動式警戒管制レーダーと運用部隊を配備する方針を固めたことが分かった。27日にも村側へ正式に説明する。配備に伴う関連経費を2025年度予算概算要求に盛り込む方向で調整している。複数の政府関係者が23日、本紙取材に明らかにした。www.okinawatimes.co.jp 岸田首相、遺骨土砂に言及 県民感情に配慮して調達先を選定 新基地巡り考え示す | 沖縄タイムス+プラス 岸田文雄首相は23日、名護市辺野古の新基地建設を巡り、沖縄戦戦没者の遺骨が交じる可能性がある沖縄本島南部の土砂を埋め立てに使う計画に反発が出ていることについて、県民感情に配慮して調達先を選定する考えを示した。「遺骨収集が進められており、(県民が)大きな関心を持って注視している。www.okinawatimes.co.jp [ニュース断面]知事 配備拡張にくぎ 自衛隊巡り踏み込む 首相との隔たり鮮明 沖縄全戦没者追悼式 | 沖縄タイムス+プラス 玉城デニー知事は沖縄全戦没者追悼式の平和宣言で「自衛隊の急激な配備拡張」にくぎを刺した。一方、岸田文雄首相は南西地域の防衛力強化の必要性を強調し、沖縄の負担軽減には反しないと理解を求める。双方の意見の隔たりが改めて浮き彫りになった。www.okinawatimes.co.jp 恒久平和願い300人歩く 糸満 遺族ら慰霊大行進 | 沖縄タイムス+プラス 【糸満】第63回平和祈願慰霊大行進(主催・県遺族連合会、日本遺族会)が23日、糸満市で行われ、ひめゆりの塔付近から平和祈念公園までの約4キロを約300人が歩いて恒久平和を訴えた。 南風原町遺族会の仲里武雄さん(82)は孫の絆星さん(北丘小3年)と参加。www.okinawatimes.co.jp 平和へ努力 御霊への報い 赤嶺昇県議会議長 | 沖縄タイムス+プラス 県議会の赤嶺昇議長は沖縄全戦没者追悼式の式辞で「人類が永遠の平和を目標にして努力することが御霊に報いる道だ」と訴えた。 国際情勢が変わり、沖縄も転換点にあると指摘。沖縄戦の記憶を「良き未来をつくるためにどう生かすべきか。www.okinawatimes.co.jp 戦後79年の祈り 僕らが繋ぐ 仲間さん 平和の詩 | 沖縄タイムス+プラス 沖縄全戦没者追悼式で「平和の詩」を朗読した県立宮古高校3年の仲間友佑(ゆうすけ)さん(18)は会場を見渡し、平和への思いを誓った。 仲間さんの祖父母は戦後生まれで戦争体験の話は身近ではない。だが戦後79年がたってもなお、世界で起こる戦争や紛争に怒りを覚えた。www.okinawatimes.co.jp 戦没者悼み平和決意 衆参両院議長 基地負担も言及 | 沖縄タイムス+プラス 額賀福志郎衆院議長と尾辻秀久参院議長は沖縄全戦没者追悼式で、哀悼の言葉や平和への思いを述べた。 額賀氏は、沖縄に在日米軍専用施設面積の7割が集中しているとして「県民に過重な負担を強いている。こうした歴史の上にわが国の平和と繁栄があることは忘れてはならない」と強調。www.okinawatimes.co.jp 戦争遺族 二度と出さぬ 我部政寿氏 県遺族連合会会長 | 沖縄タイムス+プラス 県遺族連合会の我部政寿会長は沖縄全戦没者追悼式で、戦後79年がたっても「子どもや女性、お年寄りが無差別に戦闘に巻き込まれ、命を奪われた光景が昨日のように脳裏に浮かび、胸が張り裂ける思い」と心境を語った。www.okinawatimes.co.jp 激戦学び平和へ思い新た 歴史ガイド友の会 前田高地で戦跡巡り | 沖縄タイムス+プラス 【浦添】79年前の沖縄戦で激戦地となった浦添市の前田高地で16日、NPO法人「うらおそい歴史ガイド友の会」(古波藏豊理事長)主催の戦跡巡りが開かれ、約50人が参加した。浦添城跡周辺で、住民を巻き込んだ悲惨な戦争を学び、平和への思いを新たにした。www.okinawatimes.co.jp 刻銘の全戦没者 名前読み終える 5800人以上参加 | 沖縄タイムス+プラス 「平和の礎」に刻まれた戦没者の名前を読み上げる集いが23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園で最終日を迎えた。1日から始まった企画に5800人以上が参加。今年追加刻銘された181人を含めた24万人以上の名前を読み終えた。www.okinawatimes.co.jp 児童ら壕まで「飯上げ」体験 南風原の黄金森公園 「学徒の苦労学べた」 | 沖縄タイムス+プラス 【南風原】南風原町内の小学6年生8人が23日、黄金森公園で沖縄戦当時に看護師やひめゆり学徒らが食料を運搬した「飯上(めしあ)げ」を体験した。8人は町が毎年実施する平和学習交流事業のメンバー。www.okinawatimes.co.jp 南部へ死体踏んで逃げた 多和田真好さん(85)=那覇市 | 沖縄タイムス+プラス 沖縄戦当時は5歳。那覇市首里鳥堀に祖母、おじと一緒に住んでいた。戦争が始まって祖母と一緒に南部に逃げた。周りに遅れないように懸命に逃げたのは覚えている。 南部へ逃げていた雨の日、数多くの死体が道をふさいでいた。雨にさらされた死体を踏んで逃げた光景は今でも思い出すよ。www.okinawatimes.co.jp 飛行機や爆撃音今も怖い 上地ヒデ子さん(88)=那覇市 | 沖縄タイムス+プラス 糸満市座波に住んでいて、沖縄戦当時は10歳。長男は航空兵として県外で、次男は満州(中国東北部)で、三男は沖縄戦の防衛隊として戦死した。3人とも遺骨はない。後に長男と一緒にいた人が遺骨の代わりに石を持ってきてくれたので、それをお墓に納めた。 戦争当時のことはよく覚えている。www.okinawatimes.co.jp 目前で前後の人殺された 玉寄光子さん(90)=糸満市 | 沖縄タイムス+プラス 12歳で戦争を体験したよ。宜野湾市に住んでいた。戦争が始まり家族と一緒に南部に逃げ、最後は摩文仁で捕虜になった。逃げている時、米軍の爆撃がすごくてね。人がいる所にどんどん打ち込んでくる。集団になって移動していると、前や後ろの人が攻撃を受けて目の前で殺された。www.okinawatimes.co.jp 戦争体験者 礎に語る 伊波盛吉さん(83)=宜野湾市 満州で家族離散 弟2人餓死 | 沖縄タイムス+プラス 沖縄戦当時は4歳。宜野湾市嘉数に住んでいたけど、沖縄戦が始まる少し前に中国へ渡った。父はシベリアに兵隊として行った。 母と弟2人で満州(中国東北部)で戦争に巻き込まれ、家族全員が離れ離れになった。弟2人は餓死したと聞く。満州では私だけが生き延びてしまったよ。www.okinawatimes.co.jp 戦争マラリア 石垣で追悼式 命守る外交努力訴え | 沖縄タイムス+プラス 【石垣】「八重山戦争マラリア犠牲者追悼式」が23日、石垣市県営バンナ公園にある慰霊碑で行われ、約230人の参加者が手を合わせた。 沖縄戦時、八重山住民は旧日本軍の命令でマラリア有病地帯へ強制避難させられ、3647人が犠牲になった。www.okinawatimes.co.jp 宮古島の遺族ら戦争に強い憤り 追悼式で平和継承決意 | 沖縄タイムス+プラス 【宮古島】宮古島市全戦没者追悼式・平和祈念式(主催・市、市教育委員会、市戦没者遺族会)が23日、市未来創造センターで行われた。 遺族会の川満俊夫会長(79)は「最も恐れていた戦争が世界各地で始まり、子供や一般人が犠牲になっていることに強い憤りを覚える。www.okinawatimes.co.jp アブチラガマで反戦訴え 南城 糸数区民ら慰霊祭 | 沖縄タイムス+プラス 【南城】南城市玉城糸数のアブチラガマ(糸数壕)では23日、糸数区による慰霊祭があり、住民ら約60人が焼香した。神里留雄(とめお)区長は「慰霊祭を続けることが未来の平和への一歩になる」とあいさつした。www.okinawatimes.co.jp 陸自3年連続で 集団参拝見送り 黎明之塔 | 沖縄タイムス+プラス 沖縄の陸上自衛隊は23日、日本軍の牛島満司令官らをまつる黎明(れいめい)之塔への集団参拝を見合わせた。集団参拝しないのは3年連続となる。陸自は2004年から21年まで18年連続で、牛島司令官が自決したとされる未明の時間に合わせ、トップを先頭に制服で参拝していた。www.okinawatimes.co.jp [視点]平和への強い意志実感 | 沖縄タイムス+プラス 戦後79年、慰霊の日-。平和祈念公園では、刻まれた名前に語りかける戦争体験者、手を合わせる戦後生まれの子どもたち、そしてその孫やひ孫たちが、礎に向き合い、平和への思いを新たにしていた。礎を訪れる人々の波は途絶えることがなかった。 「家も家族も全部なくなった」。www.okinawatimes.co.jp 知事の平和宣言 | 沖縄タイムス+プラス あの忌まわしい悲惨な戦争が、かつて、この美しい島で繰り広げられました。 鉄の暴風といわれるおびただしい数の砲弾による空襲や艦砲射撃により、私たちの島は、戦火に焼き尽くされ、多くの尊い命が失われました。 私たちは、あの悲惨な体験から戦争の愚かさ、命の尊さ、平和の大切さという教訓を学びました。www.okinawatimes.co.jp 北大東村 配備に前向き 空自レーダー 負担増 住民に懸念も | 沖縄タイムス+プラス 北大東村への自衛隊配備を求める地元の意見書が可決されてから約3年半。村側は前向きな姿勢を示しており、防衛省関係者は「監視の『目』を増やすことが抑止力になり、災害対処の観点でも意義がある」と主張する。一方、軍事的負担が増していくことを懸念する住民もいるため、丁寧な説明が求められそうだ。www.okinawatimes.co.jp [記者の眼]戦没者名刻む「平和の礎」 沖縄から平和の波送り出す 島袋晋作 | 沖縄タイムス+プラス 沖縄が戦後79年の「慰霊の日」を迎えた23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園で取材した。戦没者の名前が刻まれた「平和の礎」は今年、新たに181人分が追加され、刻銘総数24万2225人となった。 毎年、刻まれた名前をいとおしそうになでる人、語りかけながら涙する人を目にする。www.okinawatimes.co.jp [社説]全戦没者追悼式 今こそ平和の声つなぐ | 社説 | 沖縄タイムス+プラス 「台湾有事や南西諸島防衛という言葉を聞くと、人ごとではない『当事者だ』という特殊な感覚がある」 糸満市摩文仁で開かれた沖縄全戦没者追悼式。この日「平和の詩」を朗読した仲間友佑(ゆうすけ)さん(18)は式典後にこう語った。 祖父母も戦後生まれ。宮古島で育ち、家族から沖縄戦の体験を聞くことはなかった。www.okinawatimes.co.jp
北大東村に空自の移動式警戒管制レーダー配備へ 防衛省、27日にも村側に正式に説明 | 沖縄タイムス+プラス 【東京】防衛省が、北大東村に航空自衛隊の移動式警戒管制レーダーと運用部隊を配備する方針を固めたことが分かった。27日にも村側へ正式に説明する。配備に伴う関連経費を2025年度予算概算要求に盛り込む方向で調整している。複数の政府関係者が23日、本紙取材に明らかにした。www.okinawatimes.co.jp
岸田首相、遺骨土砂に言及 県民感情に配慮して調達先を選定 新基地巡り考え示す | 沖縄タイムス+プラス 岸田文雄首相は23日、名護市辺野古の新基地建設を巡り、沖縄戦戦没者の遺骨が交じる可能性がある沖縄本島南部の土砂を埋め立てに使う計画に反発が出ていることについて、県民感情に配慮して調達先を選定する考えを示した。「遺骨収集が進められており、(県民が)大きな関心を持って注視している。www.okinawatimes.co.jp
[ニュース断面]知事 配備拡張にくぎ 自衛隊巡り踏み込む 首相との隔たり鮮明 沖縄全戦没者追悼式 | 沖縄タイムス+プラス 玉城デニー知事は沖縄全戦没者追悼式の平和宣言で「自衛隊の急激な配備拡張」にくぎを刺した。一方、岸田文雄首相は南西地域の防衛力強化の必要性を強調し、沖縄の負担軽減には反しないと理解を求める。双方の意見の隔たりが改めて浮き彫りになった。www.okinawatimes.co.jp
恒久平和願い300人歩く 糸満 遺族ら慰霊大行進 | 沖縄タイムス+プラス 【糸満】第63回平和祈願慰霊大行進(主催・県遺族連合会、日本遺族会)が23日、糸満市で行われ、ひめゆりの塔付近から平和祈念公園までの約4キロを約300人が歩いて恒久平和を訴えた。 南風原町遺族会の仲里武雄さん(82)は孫の絆星さん(北丘小3年)と参加。www.okinawatimes.co.jp
平和へ努力 御霊への報い 赤嶺昇県議会議長 | 沖縄タイムス+プラス 県議会の赤嶺昇議長は沖縄全戦没者追悼式の式辞で「人類が永遠の平和を目標にして努力することが御霊に報いる道だ」と訴えた。 国際情勢が変わり、沖縄も転換点にあると指摘。沖縄戦の記憶を「良き未来をつくるためにどう生かすべきか。www.okinawatimes.co.jp
戦後79年の祈り 僕らが繋ぐ 仲間さん 平和の詩 | 沖縄タイムス+プラス 沖縄全戦没者追悼式で「平和の詩」を朗読した県立宮古高校3年の仲間友佑(ゆうすけ)さん(18)は会場を見渡し、平和への思いを誓った。 仲間さんの祖父母は戦後生まれで戦争体験の話は身近ではない。だが戦後79年がたってもなお、世界で起こる戦争や紛争に怒りを覚えた。www.okinawatimes.co.jp
戦没者悼み平和決意 衆参両院議長 基地負担も言及 | 沖縄タイムス+プラス 額賀福志郎衆院議長と尾辻秀久参院議長は沖縄全戦没者追悼式で、哀悼の言葉や平和への思いを述べた。 額賀氏は、沖縄に在日米軍専用施設面積の7割が集中しているとして「県民に過重な負担を強いている。こうした歴史の上にわが国の平和と繁栄があることは忘れてはならない」と強調。www.okinawatimes.co.jp
戦争遺族 二度と出さぬ 我部政寿氏 県遺族連合会会長 | 沖縄タイムス+プラス 県遺族連合会の我部政寿会長は沖縄全戦没者追悼式で、戦後79年がたっても「子どもや女性、お年寄りが無差別に戦闘に巻き込まれ、命を奪われた光景が昨日のように脳裏に浮かび、胸が張り裂ける思い」と心境を語った。www.okinawatimes.co.jp
激戦学び平和へ思い新た 歴史ガイド友の会 前田高地で戦跡巡り | 沖縄タイムス+プラス 【浦添】79年前の沖縄戦で激戦地となった浦添市の前田高地で16日、NPO法人「うらおそい歴史ガイド友の会」(古波藏豊理事長)主催の戦跡巡りが開かれ、約50人が参加した。浦添城跡周辺で、住民を巻き込んだ悲惨な戦争を学び、平和への思いを新たにした。www.okinawatimes.co.jp
刻銘の全戦没者 名前読み終える 5800人以上参加 | 沖縄タイムス+プラス 「平和の礎」に刻まれた戦没者の名前を読み上げる集いが23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園で最終日を迎えた。1日から始まった企画に5800人以上が参加。今年追加刻銘された181人を含めた24万人以上の名前を読み終えた。www.okinawatimes.co.jp
児童ら壕まで「飯上げ」体験 南風原の黄金森公園 「学徒の苦労学べた」 | 沖縄タイムス+プラス 【南風原】南風原町内の小学6年生8人が23日、黄金森公園で沖縄戦当時に看護師やひめゆり学徒らが食料を運搬した「飯上(めしあ)げ」を体験した。8人は町が毎年実施する平和学習交流事業のメンバー。www.okinawatimes.co.jp
南部へ死体踏んで逃げた 多和田真好さん(85)=那覇市 | 沖縄タイムス+プラス 沖縄戦当時は5歳。那覇市首里鳥堀に祖母、おじと一緒に住んでいた。戦争が始まって祖母と一緒に南部に逃げた。周りに遅れないように懸命に逃げたのは覚えている。 南部へ逃げていた雨の日、数多くの死体が道をふさいでいた。雨にさらされた死体を踏んで逃げた光景は今でも思い出すよ。www.okinawatimes.co.jp
飛行機や爆撃音今も怖い 上地ヒデ子さん(88)=那覇市 | 沖縄タイムス+プラス 糸満市座波に住んでいて、沖縄戦当時は10歳。長男は航空兵として県外で、次男は満州(中国東北部)で、三男は沖縄戦の防衛隊として戦死した。3人とも遺骨はない。後に長男と一緒にいた人が遺骨の代わりに石を持ってきてくれたので、それをお墓に納めた。 戦争当時のことはよく覚えている。www.okinawatimes.co.jp
目前で前後の人殺された 玉寄光子さん(90)=糸満市 | 沖縄タイムス+プラス 12歳で戦争を体験したよ。宜野湾市に住んでいた。戦争が始まり家族と一緒に南部に逃げ、最後は摩文仁で捕虜になった。逃げている時、米軍の爆撃がすごくてね。人がいる所にどんどん打ち込んでくる。集団になって移動していると、前や後ろの人が攻撃を受けて目の前で殺された。www.okinawatimes.co.jp
戦争体験者 礎に語る 伊波盛吉さん(83)=宜野湾市 満州で家族離散 弟2人餓死 | 沖縄タイムス+プラス 沖縄戦当時は4歳。宜野湾市嘉数に住んでいたけど、沖縄戦が始まる少し前に中国へ渡った。父はシベリアに兵隊として行った。 母と弟2人で満州(中国東北部)で戦争に巻き込まれ、家族全員が離れ離れになった。弟2人は餓死したと聞く。満州では私だけが生き延びてしまったよ。www.okinawatimes.co.jp
戦争マラリア 石垣で追悼式 命守る外交努力訴え | 沖縄タイムス+プラス 【石垣】「八重山戦争マラリア犠牲者追悼式」が23日、石垣市県営バンナ公園にある慰霊碑で行われ、約230人の参加者が手を合わせた。 沖縄戦時、八重山住民は旧日本軍の命令でマラリア有病地帯へ強制避難させられ、3647人が犠牲になった。www.okinawatimes.co.jp
宮古島の遺族ら戦争に強い憤り 追悼式で平和継承決意 | 沖縄タイムス+プラス 【宮古島】宮古島市全戦没者追悼式・平和祈念式(主催・市、市教育委員会、市戦没者遺族会)が23日、市未来創造センターで行われた。 遺族会の川満俊夫会長(79)は「最も恐れていた戦争が世界各地で始まり、子供や一般人が犠牲になっていることに強い憤りを覚える。www.okinawatimes.co.jp
アブチラガマで反戦訴え 南城 糸数区民ら慰霊祭 | 沖縄タイムス+プラス 【南城】南城市玉城糸数のアブチラガマ(糸数壕)では23日、糸数区による慰霊祭があり、住民ら約60人が焼香した。神里留雄(とめお)区長は「慰霊祭を続けることが未来の平和への一歩になる」とあいさつした。www.okinawatimes.co.jp
陸自3年連続で 集団参拝見送り 黎明之塔 | 沖縄タイムス+プラス 沖縄の陸上自衛隊は23日、日本軍の牛島満司令官らをまつる黎明(れいめい)之塔への集団参拝を見合わせた。集団参拝しないのは3年連続となる。陸自は2004年から21年まで18年連続で、牛島司令官が自決したとされる未明の時間に合わせ、トップを先頭に制服で参拝していた。www.okinawatimes.co.jp
[視点]平和への強い意志実感 | 沖縄タイムス+プラス 戦後79年、慰霊の日-。平和祈念公園では、刻まれた名前に語りかける戦争体験者、手を合わせる戦後生まれの子どもたち、そしてその孫やひ孫たちが、礎に向き合い、平和への思いを新たにしていた。礎を訪れる人々の波は途絶えることがなかった。 「家も家族も全部なくなった」。www.okinawatimes.co.jp
知事の平和宣言 | 沖縄タイムス+プラス あの忌まわしい悲惨な戦争が、かつて、この美しい島で繰り広げられました。 鉄の暴風といわれるおびただしい数の砲弾による空襲や艦砲射撃により、私たちの島は、戦火に焼き尽くされ、多くの尊い命が失われました。 私たちは、あの悲惨な体験から戦争の愚かさ、命の尊さ、平和の大切さという教訓を学びました。www.okinawatimes.co.jp
北大東村 配備に前向き 空自レーダー 負担増 住民に懸念も | 沖縄タイムス+プラス 北大東村への自衛隊配備を求める地元の意見書が可決されてから約3年半。村側は前向きな姿勢を示しており、防衛省関係者は「監視の『目』を増やすことが抑止力になり、災害対処の観点でも意義がある」と主張する。一方、軍事的負担が増していくことを懸念する住民もいるため、丁寧な説明が求められそうだ。www.okinawatimes.co.jp
[記者の眼]戦没者名刻む「平和の礎」 沖縄から平和の波送り出す 島袋晋作 | 沖縄タイムス+プラス 沖縄が戦後79年の「慰霊の日」を迎えた23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園で取材した。戦没者の名前が刻まれた「平和の礎」は今年、新たに181人分が追加され、刻銘総数24万2225人となった。 毎年、刻まれた名前をいとおしそうになでる人、語りかけながら涙する人を目にする。www.okinawatimes.co.jp
[社説]全戦没者追悼式 今こそ平和の声つなぐ | 社説 | 沖縄タイムス+プラス 「台湾有事や南西諸島防衛という言葉を聞くと、人ごとではない『当事者だ』という特殊な感覚がある」 糸満市摩文仁で開かれた沖縄全戦没者追悼式。この日「平和の詩」を朗読した仲間友佑(ゆうすけ)さん(18)は式典後にこう語った。 祖父母も戦後生まれ。宮古島で育ち、家族から沖縄戦の体験を聞くことはなかった。www.okinawatimes.co.jp