段々と親離れ、子離れの時が近づいているし、こちら親側もいつ何時、ポックリ逝くか分からないし、ということで、息子には色々なことを教えておかねばと思っているが、生活していると、はて、なにを伝えるべきか…と思ってしまう。
一番大切なのは、愛しているということで、ある意味、これがきちんと伝われば、その他のことはなんとかなるのではないかと思う。
てもこれが答えだと、今日のブログは終わってしまう😅
なので、親ではあるが、私も誰かの娘ではあるので、その娘視点から、私が娘時代に親にして欲しかったこと、躾けて欲しかった価値観を書いてみようと思う。
なぜなら、そのことがない、欠けているせいで、私は大幅に人生を失敗していると感じている。
(この歳になってまで親のせいにしているなんて情けないが、足りない部分は補う努力をしているつもりではある。念のため…)
それは、自分を大切にするということがすごく苦手だという部分。
『私はとても大切にされ、尊い存在で、大切にされたり、愛されたりする、その価値がある人間だ』
という感覚がかなり足りてない。
これが自己肯定感が低いということなのだろうか。
実はよくわからない。
なぜなら、それが救いになるのかどうか分からないけれど、そこまで自分のことが嫌いではないから。
ゆらゆらしながらも、長い時間をかけて、
もっと自分を大事せねば!
と思えるようになってきた。やっと。本当にやっとここまで来た…という感覚。
まだ格闘しているし、まだ満足な位置には達していない。死ぬまでには、そこそこ出来るようになるのだろうか。
結論として、そういう女はどうなるのか?
得手して、ダメ男に引っかかるのである。
自ら苦労する方を選んでしまう。
楽になったり、幸せになるのが怖い病に感染しているようなものだ。
苦労してなんぼ、むしろそこに存在意義を感じてしまってたりするからタチが悪い。
必要な苦労、努力ってなんだろう?
そんもん、しないで済むなら、しなくていい。
「苦労は買ってでもしろ」なんて思わない。
しかも苦労人ほど人がいいなんて幻想だ。
貧しさや苦労は往々にして人格を歪ませる。
貧しい人でも素晴らしい人もいる。
それは知性が高いからだ。
例えば、宗教的な教養を身に付けることで知性が高まれば人格にも影響するだろう。
たまにいい家に生まれた人で
真っ直ぐに素直に育ったような人に出会うけれど
私のような人間にある
仄暗い匂いみたいなものが
どこかにないのか探してしまうが
ない!
それは知性とは別のもの。
でも知性のない金持ちは
どこぞの政治家のようになってしまうので
ああいうのは多くの人を不幸にするから
タチが悪い。
娘をダメ男に引っかからせないように、幸せに生きてもらうために必要なこと、それはまず
幼いときに親や身近な大人から
十分に大切に扱われたという記憶を
植え付けてもらうことだと思う。
これ言葉で言うと簡単だけど、実は難しい。
大切にされた記憶がないと
それを大人になってから、自分自身に再現できない。
少なくとも私にはとても難しい課題。
ただ私も、全くない訳ではないから(母方の祖父母には可愛がってもらった、大切にしてもらえたという思いがある)
ギリギリ(何を持ってギリギリか分からないけども)
危険な崖っぷちに立って落ちたとしても
途中の枝に引っかかるのか
クルッと向きを変えて安全な位置まで退避しているのか、なにか踏み留まってきたような気がする。
それが今は息子の存在なのかもしれない。
でも息子の立場からしたら親の人生のためにストッパーになるなんて、見える形は違えど最近やっと表面化してきた『ヤングケアラー』みたいになってしまいかねない。
だから私は息子を家から出してしまいたいのかもしれない。
親の人生に絡め取られないように、早く自己を確立してほしいから。
親子であるけど、他人である。彼には彼の人生があるのだから。
でもひょっとして
私はすでに崖から落ちてしまったが
打ちどころが悪かったので
現状をしっかり把握してないというパターンもある。
ある意味、覚醒していない、バカでいるというのも
生命体として生き残る才能、手段でもあるから本当に侮れない。生命はしぶといのだ。
それにしても親になるって難しい。
自分の人生もままならないのに
親自身が完成された人間ではないのに
また新たな人類を養育するなんて無謀過ぎる。
そういう仕組みを作ったのが神だとしたら
その狙いはなんなのか?
イスラムにはその答えがあるけれど、ここでは割愛。
娘を大事に大切に育てていけば
その娘はなにが一番自分にとってしあわせなのか
きちんと嗅ぎ取る力がつくはず。
その「大事、大切」の中身が重要なんだけど。
そこは色々だよ。
うん。
人はそれぞれ違うのだから。
で、私の周りを見ると
そうやって大切に育てられた(なと私が感じる)女性の多くが(ザックリした感覚ですが)
未婚…
または結婚しても
子なし…
この国が未だに「産めよ増やせよ」とスローガンを掲げているが、それに相応しい環境ではないことをきちんと嗅ぎ取って、苦労するような道に進んでいない。
自分を大切にしようと思えば、そっちの道(結婚とか出産)へ行かないよ。
ほとんど読者もいないブログだから、
こんなこと書けるけど
この国で、また、この時代に子どもを持って育てるって苦行でしょ。
お金に相当ゆとりがあれば違うのかもしれないけれど
庶民の暮らしを前提としたら
本当にここで子どもを育てていくっていいことない。
子ども自身も気の毒だ。
産まれてしまった以上、生きていくしかない。
不妊治療とかして子どもを作る人を責めたりはしないが、出産して育てていくうちに、「思ってたんと違う」ってなる人も多いのではないだろうか。この国で子育てするって簡単じゃないから。
人が普通に持ってるものを欲しがるのは
別におかしいことじゃない。
婚活も同じ。
周りが当たり前のように恋愛して結婚してたら
自分だって…と思うのは当然だろう。
それが困難の始まりだと知らないなら
欲しいものが手に入るまで満足しないのだから。
勿論、普通の感覚があれば
我が子は可愛い。
産まれて来てくれてありがとう、なのだけど
その子どもに障害があったり、何かで亡くなってしまったり、犯罪者になったりと、そんなことがあっても
産んでよかった、ありがとうみたいに思えるのは
知性のなせる技であって
どうみたって楽なことではない。
そう書くと、
じゃあ世界で苦労している難民の子ども達はどうなんだ?!それよりマシではないか!
と突っ込みが来るかもしれない。
そりゃ、全然マシでしょう。
でもそれは理論のすり替え。
難民の子ども達も不幸。
日本の普通の庶民も不幸。
ただ不幸の度合いは不公平である。
それだけのこと。
生き物の世界はひたすらに残酷。
でも人間には知性があるから
生きている間は様々に誤魔化すことができているだけ。
娘を幸せにする方法
お勉強とは違う、知性を探求する力や基礎を身につけさせることなのかもしれないなあ。
その第一歩として、うんと可愛がってやってください。
その結果の責任は一切持ちませんが。
