運動キライ、散歩が苦手、外は寒いしと、

とにかく深海魚のような暮らしをしている。


でもそればかりもいかんだろうと、

友達が気分の上がるところに連れて行ってあげるというので、私はスープジャーにスープを入れ、唐揚げやらフルーツやら筋子のおにぎりを持って出掛けてきた。


出掛けた先は都内のマリーナ。


祝日だというのに人もまばらで、

ドックにはたくさんのヨットが並び

そりゃ、ジェノバみたいな美しさはないけれど

やっぱり船はいい。


友人のそのまた友人みたいな人が船の手入れをしているところに出くわして、その方の船の中に招待してもらった。


美味しいコーヒーを淹れてくれて、静かに揺れる船の中で過ごす時間は本当に贅沢な時間だった。



波にやさしく揺られてに心がほぐれてきたからか、

船から降りたあとは

なんだかんだでお互いの人生の話になった。


人に話しながら、自分の親ってなんて不器用な人だったのだろうと思った。

そして、親としては経済面では大学まで行かせてくれてありがたかったが、

精神面では、まあ、酷い人達だったなあと改めて思った。


私の親は子育てがかなり下手な人達だったから

当然、その子どもである私の子育ても酷いもんである。

なんとか誤魔化そうとはしているけれども

そんなのたかが知れている。

だから、早く子育てから逃れたい。


こちらにゆとりがあれば、もう少しきちんと子どもとも向き合えたのだろうけども

いかんせん、ゆとりがなさ過ぎた。


私とはゆとりの方向が違っても

きっと私の親もそれがなかったのだろう。


蝶よ花よと田舎で甘やかされて育った天然さんのような母は夫からのDVに耐えるのはキツかったのだろう。

でも、やっぱりそこで犠牲になるのは子どもの方だ。


なるべく自分の親の嫌なところは捨ててゆこうと思ってきたけれど、これもなかなか。


一方で、そんな親も365日が鬼のようであることもないわけで、微笑ましい思い出も勿論ある。


振り幅が大きいだけに、良い思い出は相当に脚色されて記憶の焼き直しがされているのかもしれないが

それはそれでいいではないか。

なんでも信じたもん勝ちであるのだし。


だから私の中の良い部分の多くは

やはりそんな親から引き継いできたものでもあると信じたい。