学校が始まり、夕方早く家に戻れるようになったので、本当は嫌だけど、
学童まで息子を迎えに行っている。
ブスっとしている息子だが、
ママが迎えに来てくれてウハウハなのに
それを隠しているのがバレバレ
まだまだ可愛いもんだ。
なんて優しい母なのかしらと自画自賛していると
やはり娘さんを迎えに来たらしい、
どこかのお父さんが
「あ!Aさん(私の苗字)!
あ、あのー、それ(私の被りもののヒジャーブ)は
やはり信仰なんですよね?
やっぱり旦那さんも、あれ、あのイスラム教徒ですか?」
と、かなりドギマギ気味に話しかけられた。
初めてお見受けするお父さんだったのに
相手は私のことちゃんと知っているという
これもヒジャーブあるあるだけど
スルーされるよりも
こうやって声を掛けてもらえる方がなんぼか嬉しいことか!
どうも子ども同士は同じクラスらしい…
一クラスしかないのに、なんも知らん私。
学校のこと関心なさすぎか
で、
そのお父さんが色々とイスラムの事を聞いて来たので
答えていたのだけれど
質問の内容が少しマニアックというか
好意的な感じで、
私もたぶん親切に受け答えをしていたからなのか
お父さんは徐々に心を開いて来た感じになってきて
私はクリスチャンなんです。
と。
ああ、だからなんとなく雰囲気が
微妙に普通のおっちゃんではなかったのか
と納得。
そして、子どもらと自転車押しながら
お父さん、相当安心したのか
「実は、ウチは統一教会なんですよ」
と。
ほー、アレか。
私は統一教会について詳しくは知らないけれど
教義的に「それはないんちゃう?」と思ってはいるけれど、
基本、人に押し付けない限り
人が何をどう信仰しようが
それは宗教の自由なのだし
別にいいんじゃね?
というのが私の立場。
しかも、その信仰によって
精神の安定が得られているのであれば
尚良しではないか。
だから、そのお父さんが統一教会と告白してきても
私は驚かなかったし、信仰があることは素晴らしいことだし、一応神様もおんなじだし、私も信仰を持つ者として会話を楽しんでいた。
すると、お父さん
「せっかくお話しできたんですが
来月、引っ越すんですよ」と。
お父さんが仰るには
信仰のことですごく叩かれて(誰になのかは聞かなかったが)、辛くて、ここに住めなくなってしまったとのこと。
「もっと早くに色々とお話ししたかったです。残念です」
とお父さん。
話し方から、とても真面目で信仰についても真摯に
取り組んでいるのが感じられたので
何があったのかは知らないが、
悲しいことがあったのかもしれないなと思った。
分かれ道の角で立ち止まって
お父さん、なんか去りがたい感じで
まだ語りたいことがあったのかもしれないけれど、
小雨もぱらついきたし、寒い、暗いしで
切り上げてお別れした。
日本では統一教会って
どのくらいいるか知らないんですけど
海外だと時々出会いますよ。
アフリカでも会ったし。
そんな話しをすると
「そうなんですよ!」と食いついてきたお父さん。
日本という宗教アレルギー気味な社会の中で
特殊な信仰を持つことの難しさを
お父さんは誰かとシェアしたかったのかもしれない。
それも多神教ではなく
自分と同じ一神教で、世間からは少々異端に見られるような宗教の人間と。
でも地球規模でみたら信仰持ってる人って多いんだけど…ね。
真っ暗な細い道に消えてゆく自転車を押すお父さん。
なんだかとても孤独に見えた。
そう思うと、私の方は
孤独どころか、賑やかで楽しくて
日本人だけではなく、世界中に
素敵な仲間がたくさんいて
どこに行っても
ムスリマということでハグし合って握手して
受け入れてもらえる場所がある。
旦那側の家族も親戚も皆同じ宗教で繋がっていることで、勿論面倒なこともあるだろうが
外国人の嫁というような壁はあんまりない。(気がする)
外国人だけど、取り敢えずムスリマ
というのが一番大事なところみたい。
だからなのか、今まで色々な国の人と関わってきたけれど、イスラムという共通項があるお陰で
お互いの間に溝はあるにはあるが
気軽に飛び越えたりできる感じの溝だと感じる。
改宗する前には感じることのなかった
心強さみたいなもの
安心感みたいなもので私の心は満たされているなあと
しみじみ感じる。
アルハムドゥリッラー。
あのお父さんが新しい土地で
平和に信仰を深められることを願うばかり…
