2018年12月20日の産経新聞の記事







フェイクで育った

 〈米大統領選ではローマ法王がトランプ氏を支持したとの情報が拡散し、後にウソと判明した。トランプ大統領は自らに都合の悪い報道をフェイクとして攻撃し、フェイクニュースの定義があいまいなまま言葉としてさらに一般化した〉


 「自分が生まれた昭和12年11月11日の新聞を見たことがあります。この年の7月に日中戦争勃発の盧溝橋事件が起きています。新聞は表と裏だけで、中国での戦闘記事ばかり。何々中隊がどこそこで何をしたとか。火事もけんかも殺人もない。限られた紙面が戦闘で埋められているのは、他に重要なものはないとのメッセージです。これも一種のフェイクでしょう」

 「もうひとつ。終戦の年の秋に教科書に墨を塗った。これは効きました。新聞を含め印刷されたものは信用してはいけないと、いつ百八十度変わるかわからないと強く思わされた」


--フェイクニュースから、戦中戦後の話になるとは思いませんでした


 「結局それが世間とのつきあい方、生き方自体を決めることになったのですから。幼いときに父が亡くなったのと並んで大きな出来事でした。大人たちがやっていたこと、あれはウソだった、だまされたと思ったのです。医学部に入って解剖を選んだのは、死んだ人はウソをつかないからです。解剖の途中で帰って次の日に来ても、きのう終わった状態でいる。僕は患者さんを診られない。生きている人はどこでウソついているかわからない。痛いって言うけど、ホントに痛いのかよって思ったりする」


公平客観中立はウソ

 「トランプ大統領はいい言葉をはやらしてくれたと思いましたよ。ニュースは基本的にそう見るべきだと思っていますから。NHKは公平客観中立なんて、ウソつけって思う。だからNHKがこういう事件についてこういうふうに言っていたと、受け止めるんです」

 --子供のころの経験が強烈にあるからですね


 「ニュースはすべてフェイクだと思っているくらいが安全です。それで初めて自分の頭で考えることになるでしょう。オレオレ詐欺とフェイクニュースは似ています。都営住宅に張り紙で『電話はすべて詐欺』と書いてあるのを見たことがある。ああこういう時代になったのかと、民衆的にはフェイクが当たり前になっている。以前から思っていたことですが、フェイクニュースという言葉ができたために伝えやすくなった」


 --フェイクニュースに対抗し、ウソか本当か事実を調べるファクトチェックという活動もあります


 「そんなヒマよくあるね。事実には際限がない。一生かかっちゃいますよ。むしろいま気をつけなきゃいけないのは情報に頼りすぎることです。医者が典型。患者を見ないで検査結果ばかり見ている。若いお医者さんは顔を見てくれないし手も触ってくれないとお年寄りは言う」


 「銀行で本人確認手続きというのがあります。運転免許も健康保険証もないと言うと、『困りました。本人だとわかっているのですが』って。冗談のような本当の話です。いったい本人って何ですか。それを表現する言葉があるとするならノイズです。銀行が必要としているのは本人確認の書類、つまり情報であって、私自身はノイズなのです」

 --本人そのものより情報が優先されるのですね

 「システムをつくればそうなる。統計にのらない部分は切り捨てられる。それもどんどんゼロ・イチになりますよ。こっちか、あっちか。だから国民投票がはやる。EU離脱も是か非か。人間が情報になると現物がいらなくなる。情報化社会が持つ根本的な矛盾でしょ。人は生身で生きているのに社会全体がノイズを消していっている。感覚が入り込んでこない」


 --ネットにはフェイクニュースが蔓延していると言われる。この状況はどうなっていくと思いますか


いい教科書にはだまされる


 「相模原市の知的障害者施設で2年前に起きた19人殺害事件で、犯人は何と言いました。生まれたときから介護を受けて働くこともできない人の人生に意味があるのかと。彼はすべてのものに意味ある情報がなければいけないと思っている。とんでもない人が出てきたと思いました」


--欧米と日本でフェイクニュースの受け止め方は違うでしょうか


 「欧米人は唯一客観的なものがあると信じられる人たちだと思う。公平客観中立とはキリスト教やユダヤ教、イスラム教のような一神教的な考え方。徹底的に事実を追求する姿勢は、人ではなく神がそれを保証しているからです」


 「私は根本が仏教ですから、いくら追求してもわからないものはわからないと思っている。芥川龍之介の小説『藪の中』や黒澤明の映画『羅生門』が典型。ひとつのことで登場人物がそれぞれ違う説明をし、そのまま終わっている。科学的に証明された事実などと言いますが、そんな言い方もフェイクだと思う。ひとつの説でしかないのです」


--ネットにはフェイクニュースが蔓延していると言われる。この状況はどうなっていくと思いますか


 「動物行動学の教科書にこんなことが書いてある。全員が正直者の社会で突然変異が起き、嘘つきが発生した。正直者はみなオレオレ詐欺にひっかかるから当面は嘘つきが大もうけするが、やがて嘘つきを追及する者も出てきて両者は適当なバランスで収まると」

 「みなさんも本当のことばかりではなくウソも言っているでしょ。それがバランス。すべてのニュースをフェイクだと思えというのは極端な言い方だが、考え方です。疑いの余地を置いておけということです」


--すべて信じるなと言っているわけではない


「医学部に入ったとき、ある偉い先生が教科書を紹介して『この教科書は非常によくできているからあまりすすめない』と言いました。きちんと書かれている教科書はだまされる。考える余地がないから。NHKを疑うのはそういうことでもあります」

「僕も本を書いていますが、自分が忘れてしまっているだけで誰かの意見をまねしているかもしれないし、中身がフェイクかもしれない。以前、本にこう書いたことがあります。間違っていたらどうぞ墨を塗ってくださいと」

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【プロフィル】養老孟司 昭和12年、神奈川県鎌倉市生まれ。37年東大医学部卒。同大教授、同大総合研究資料館館長などを歴任、平成7年退官。『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞(平成元年)。『バカの壁』はベストセラーとなり、毎日出版文化賞特別賞受賞、新語・流行語トップテンにも入った(15年)。『唯脳論』『遺言。』など著書多数。趣味は昆虫採集。愛煙家。




【用語解説】「ニュースを疑え」

「教科書に書いてあることを信じない」「自分の頭で考える」。2018年のノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑・京都大特別教授は、受賞決定の記者会見でそう語りました。ニュースは、世の中で起きているさまざまなできごとのひとつの断面にすぎず、うのみにしていいものばかりとはかぎりません。時事問題を的確に知り、事実から「真実」を見極めていくには、どうすればいいでしょうか。「ニュースを疑え」は、各界の論客にニュースを違った角度から斬ってもらい、考えるヒントを提供する企画です。


 

https://www.sankei.com/article/20181220-QL4LLYLUBVPGTCFTZIV536RJNY/3/






フェイクニュースだと言われているニュースでも、

真実が報道されているのです




真実を見極める力を付けていきましょう