4月2日から「鎮魂の読経」をし続けた禅僧の小原宗鑑さん(当時28歳)
— 森永タミー (@tammy_morinaga) 2020年3月11日
瓦礫を前にして「ただ祈るしかない」…そんな思いで最低気温が氷点下を記録していた中、泊まる場所もないことも承知で、法衣だけの姿で向かいました。現在は、盛岡市にある石雲禅寺の副住職となられています。 pic.twitter.com/lFDQO0Bg2p
<あれから10年…忘れない3・11~東日本大震災~>
東日本大震災直後、岩手県宮古市から宮城県石巻市までの沿岸部150キロを約2週間、お経を唱えながら歩いた人がいる。禅宗別格本山・石雲禅寺(岩手県盛岡市)の小原宗鑑副住職(38)。あれから10年。「自分の中で、何が変わったかも分からない。誰かの役にたったとも思っていません」。10年前の経験の結論は今も出せていない。
震災発生から約3週間後の4月1日に寺を出た。「誰かに寄り添ったり出来るかもしれない」。そんな思いもあった。暗闇の中、到着した宮古・浄土ケ浜の林にテントを張った。夜明け。見えた風景に「頭の中と現実が一致しなかった」。
僧衣に着替えても「ちゅうちょしていた」。通りがかった中年女性から「あんた、何してんの? その服を脱いでボランティアでもしたら」の声。背筋が伸びた。ようやく歩き出したが、惨状に声が出なかった。「助けを呼ぶ声をお経でかき消してしまうのでは。ご遺体を探している御家族に死を突きつけてしまうのでは」。がれきに合掌することが精いっぱいだった。
たまらず師匠の中島紹信住職に電話した。「何も出来ないことを学んできなさい」。鎖につながれてたままの犬。浜辺で倒れた雌牛の乳房を真っ黒なカラスがつついていた。「数え切れない命が失われている」。拝みは謝罪に近かった。
大船渡市では遠縁の依頼で体育館の遺体安置所へ。約100体を拝んだ。一方で、隣接グラウンドでは笑顔で元気にサッカーをする子どもたちの姿。死と生、静と動があった。「無があるからこそ、有るということが引き立った」。
石雲禅寺には不登校の子どもたちや、生きる中で悩みを抱える人らも修行体験に訪れる。震災以降、毎月11日を「知足の日」と定め、当時の被災地の生活を共有している。1日、白米とみそ汁だけ。農家の苦労、調理してくれる人の思い、太陽や生命の恵み。「有る」ことに感謝する。「普段は食い散らかす子どもも残さず食事し、お風呂もきれいに入るようになった。言葉で言われなくても、伝わることがある」。
拝んで歩いたからこそ、より学んだこともある。考えるだけでなく行動する。「両方が整えられて初めて実を結ぶ」。
2011年3月12日から3月18日までの新聞です。あのときあったことは、過去にはならない。
— 芦澤(あしざわ)礼子 (@reico1123) 2024年3月11日
#311#東日本大震災 pic.twitter.com/qFOxZDpEnG
本日のブルーインパルス✈️
— golhoo (@golhoo2) 2024年3月11日
2024.3.11 1st 6機 1区分
東日本大震災から13年、改めて
お亡くなりになられた方の
ご冥福をお祈りします。大空を
飛んでいるブルーの姿を見て
勇気と感動を頂いてます✈️
17日能登展示飛行宜しくお願いします。#ブルーインパルス #松島基地#東日本大震災 #能登半島地 pic.twitter.com/qS8RfbVs3W
🛩を飛ばす
人の思いは様々でしょう
でも、、、
その💰を未だに困っている人たちへ
被災地へと思うのです