当時15歳だったN君は1988年11月18日の夕方、下校時に自動車事故にあい、右頭蓋骨が陥没し、右大脳半球の広範部(前頭、側頭、頭頂)に損傷を負って意識不明の大重体となった。病院で右脳の広範囲に減圧を目的とした手術が施され、集中治療室に収容されたが執刀医の先生が「植物人間となる可能性が↓ https://t.co/CUoO3iD4tv pic.twitter.com/oZANQv54Jx
— 今村光臣 (@dCNZ85zXLoaQNkR) 2023年12月21日
非常に高い」と言われたほど、状況はよくなかった。しかしそんな彼が、ご家族の「愛」に応え、驚異的な回復を示したのである。…N君のご家族は、事故後からN君を集中治療室に入れたままにせず、ベッドサイドで毎日の大半をともに過ごし、彼を励ますために言葉をかけながら左半身に愛撫を続けた。
右脳の損傷が著しく、たとえ意識が戻ったとしても左半身が動くことはまったく期待できない、と医者から宣告されていたからである。しかしこうした献身的な看護の結果、N君は1ヶ月半後に意識を回復し、現在では、心配されていた左半身もほぼ正常に回復して大学に進学し、ふつうの社会生活を送るに
至ったのである。N君の回復は、現代医学の通常の治療例からみると奇跡であろう。しかし家族の愛情あふれる介護がN君の脳へと伝わり、その活性化につながったと考えることができるのではないだろうか。ラットの情動実験の例でもわかるように、脳が損傷を受けていても「快」の情動を受け入れることは
可能であるから、それによって脳の活性が向上し脳内に入力される情報を処理する回路が作られるのである。この結果、情動情報が脳活性を制御し、脳が自ら価値を認めた情報を処理する神経回路が脳内に表現される。これが「愛は脳を活性化する」という意味である(愛は脳を活性化する)
医の原点は手当て
もしも救命救急の現場に「手当て」である東洋医学が参加していれば、N君のように回復できる可能性があるといえるだろう。しかし現在の医療構造の中に東洋医学がその様な形で参入する隙など微塵もないのは明白である。N君の回復は多くのアイデアの源泉たり得ると同時に、多くの問題を浮き彫りにする。
増加したからではないか、と考えられるという(子供の脳は肌にある)
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マッサージ→オキシトシン→迷走神経→インスリン分泌促進→栄養吸収、栄養蓄積の促進→体重増加 pic.twitter.com/Zyr6VYTtkM
ケースバイケースでしょうが、可能性はあるでしょうね。
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