おはようございます、

ここ連日寒い日が続きますね。

朝起きて外出するとすっかり雪化粧した

富士山を見ることができました❄️


ブログは11日に書こうと思っていたのですが、

仕事が忙しくて今日になってしまいました💦

3月11日は、忘れもしない東日本大地震が

起こった日。未曾有の大災害でした。

あれから13年も経ったのですね、、

当時、私が住んでいたところに岩手県陸前高田市の

アンテナショップがあったのですが、

特に買うこともなくいつも素通りしていました。

ある日そのお店を通るとホヤ好きな私の目の中に

入ってきたのは、


「ホヤの塩辛」


お酒はお付き合い程度にしか呑まないのですが、

こういった珍味が大好きな私❤️

早速購入して食べてみることに。



凝視んんん…

これは、、



鬼滅の刃の煉獄さんじゃないけど、


う、うまいっ‼️


感動と共に数分で完食ナイフとフォーク

早速追加購入しに自転車を飛ばす私(笑)

こういう時の自分のパッションが実に恐ろしい…


それから毎日のように、そのアンテナショップに

通い続けて店長からもホヤですね?と

言われすっかり顔馴染みにニコニコ

今思い返すとそれは震災の2、3ヶ月前でした。

ホヤは元々好きだったけど毎日食べようと

思ったことはなく、その時何故か私は

しばらくの間ホヤは食べれなくなるから

と感じていたのです真顔


そして3月11日

会社にいる時に大きな揺れが、、

同僚とすぐさま外に逃げて戻ってみると、

デスクの周りはパソコンなどが落ちて酷いことに。

東京は帰宅困難者がたくさんいて朝まで歩いて

帰る人をたくさん見ました。


そしてあしげく通ったアンテナショップも

シャッターが降りたまま閉店してしまいました悲しい

閉店する時に偶然店長を見かけて話をしたのですが、家族が陸前高田にいるからすぐに戻らないとならないと言って、それっきり店長とは会うことはありませんでした。


大好きだったホヤも育つまでに3年の時を要したと

ニュースでやっていました。

あの時、しばらく食べられなくなるからと

毎日食べていたのは何かの予兆だったのかも

しれません。


そんなこともあり、陸前高田にはご縁を感じていて

津波で一本だけ残った奇跡の一本松を見るためと

少しでも復興の役に立ちたくて陸前高田市から

気仙沼まで訪れることにしました。


気仙沼に入り、本当にここで皆生活していたのと

思わせるくらいの惨状で悲しい

バスは地元の人達の唯一の交通手段なので

使うことはせずにレンタカーを借りて移動し、

お昼は復興商店街に行き、お寿司屋さんに入り、

そこのご主人が色々と話をしてくれました。

今までのお店は津波で流されたけど、

なんとか家族は無事でお店もやれて幸せだと

嬉しそうに話をされていて、逆にこんな所に来て

くれて有難うねとお礼を言われてしまいました。

そんなことないです!!と心の中で呟きました。


その後で2階にあるカフェに入ると、

地元の人達の憩いの場所のようで、

遠慮して覗き込むとママさんがいらっしゃいと

向かい入れてくれましたにっこり

そこでも活気のあった気仙沼の昔話から

震災直後の状況まで細かく話をしてくれて、

やはり最後は来てくれて有難うねと言ってくれるの

ですぐすん

皆んな大変な状況なのに、逆に励まされたと言うか、皆んな頑張ってるから絶対に復興できる!!と

願わずにはいられませんでした。

そして奇跡の一本松を見るため、

どこまでも続く明かりのない道を車を走らせ

やっと辿り着きました。

ようやく会えた!!


真っ暗な中、静かに波音だけが聞こえる

場所に一本だけになってしまった松が

とても物悲しく見えました。

よく頑張ったねと静かに手を合わせました。

その後一本松は、残念ながら海水や地盤沈下により

枯死してしまいましたが、復興のシンボルとして

松の一部を残し、様々な方法を駆使して

モニュメントとして復元されました。

広田湾綺麗だなぁにっこり

また行きたいなぁ…、店長が広田湾で取れる牡蠣は

小さいけど旨みが凝縮していて美味しいんだよ〜と

言ってたなぁ。店長元気でやっているかな。

必ずまたここに戻ってこよう近いうちに。


復興商店街でホヤの粕漬けというのが売っていて、

遺伝なのか母もホヤが大好きなので母のお土産にと

2つ購入したのですが、あまりの美味しさに

新幹線の中で全部食べてしまいましたあせる

母ごめんイヒ今度買ってくる





本日も読んでいただき、

ありがとうございました💖