1/5 松村さん名義読み、松村さんメッセージリンク、富岡町役場住所を追記
警戒区域内の富岡町に残り、1人で牛や犬、猫の餌やりを続けている松村さんを支援する金子様のブログからです。金子様のブログをよく読めば、松村さんや金子様の活動、状況がわかると思います。ぜひ寄付に協力してください。松村さんのことはワシントンタイムズや毎日新聞でも取り上げられています。
松村さん本人からのメッセージ
http://www.youtube.com/watch?v=b1c8KlmvclY
ときぶーの時間
さんより (赤字部分は当方の補足)
http://blog.goo.ne.jp/tokigootokiboo/e/ffc4bdcfe3c4835311e2250f5a97469e
今、松村直登が自分のお金で牛の餌を買ったり、動物愛護団体の皆様の協力を得て犬や猫の餌を確保させていただいていますが、500頭分の牛の餌を確保できない状態にあります。お正月明けの分の餌しかありません。今、NPO法人の立ち上げ準備中で、認可を待つ間の餌の確保に苦しんでいます。どうか、強制避難区域に残り1人で残された動物たちの命を守って来た松村直登に力を貸してください。
彼の個人口座 東邦銀行 安積(アサカ)支店 普通口座636789 名義松村直登(マツムラ ナオト) この口座にどうぞ義援金・募金をして頂きたくお願い申しあげます。お金での支援がダメであれば、牛用の飼料一袋1500円から2000円くらいの麦かとうもろこしの袋を、富岡町の役場(〒963-0201福島県郡山市大槻町西ノ宮48-5富岡町役場郡山事務所生活環境課宛)に松村直登の名前で送って下さい。
全国の皆さん、本当に助けて下さい。とうもろこしか麦の餌を送って下さい。ブログを立ち上げた時にこんなお願いをするとは思わなかったです。本当に逼迫しています。どうか、宜しくお願い致します。
NPO法人を立ち上げた時には、必ずその募金を新設する口座に移行し、この募金の詳細を公表いたしますのでどうぞ宜しくお願い致します。
ワシントンタイムズ記事
http://www.washingtontimes.com/news/2011/nov/23/nuclear-winter-awaits-lone-resident-near-crippled-/?page=all#pagebreak
訳:私に何の関係があるというのだ
さんより
http://catsanddogs75.blog136.fc2.com/blog-entry-303.html
たったひとりで冬を待つ
チェルノブイリ原発事故以来最悪とされる福島県原発事故。
その立ち入り禁止区域の中にたった一人で住むとされる松村なおと氏が
ワシントンタイムズ紙のインタビューで近況を伝えた。
冷たい風が吹きすさぶ中、タバコに火をつける。
「これをやめたら、病気になってしまうんでね」
松村なおと氏、52歳。一日一箱を吸うという。
家から8マイルの距離にあった原発3基から放出された放射能の量は広島と長崎の168倍とされ、
1986年に起こったウクライナ地方チェルノブイリの原発事故以来最悪のものとされている。
電気もなく、発電機の金も持たずに生活している松村氏は、
隣人から譲り受けた石炭でこの寒い冬をまかなえるかどうかわからないと言う。
すぐ零下になる東北地方の冬である。
彼が世話をする何百もの動物。
牛400頭、豚60匹、鶏30羽、10匹の犬、100匹以上の猫たち、そして一匹のダチョウ。
この動物たちはもう来年の春を見ないかもしれない。
「この動物たちを助けることができるのは人間だけです」
「餌の貯蔵は12月末で尽きてしまいます。餌だけでなく、冬を越す小屋も作らなきゃいけない。
私はひとりで全部やっているんだ。政府がやるべきことを、私だけがやっている」
家系をさかのぼると武士に行きつくという松村氏はスパルタ教育を実践する父に育てられた。
一生懸命働き、自分の足で立てと。ずっと農業に従事している。10年前に離婚して以来一人である。
21歳と23歳の子供たちは埼玉に住む。
原発事故後、子供たちは父を呼んだが、
「心配するな。この原発事故でみんな死んでもわしは死なん。ここからは出ない」と拒んだ。
彼は自分を砂漠の中の一匹狼になぞらえる。
そして原発は生きているものを、今もそして未来も食べつくす目に見えない敵だとみなす。
日没後、あたりは真っ暗になる。遠くまで闇である。人間の気配すらない。
テレビもインターネットも携帯も何も持っていない。
石炭の火で暖ををとり、7時には布団にくるまる。
自分の身体の中で何か起こっているかもしれないという悪夢にうなされながら。
夜明けとともに起き、缶詰を食べ、、原野を20分ほど犬と散歩する。
日のあるうちに墓を清掃し、動物たちの世話をする。
牛や豚は3月に飼い主たちがいなくなってからは柵囲されていない。
松村氏は原発を所有する東京電力を責める。彼の100歳になるおばを殺されてしまったからだ。
富岡から会津若松の病院を何度もたらいまわしにされ、疲れ果てて死んでしまった。
「多くの人が叔母のような亡くなり方をした。東京電力のせいだ。ひどい会社だ。
政府より権力を持っているんだ。電力供給を管理しているからな。しかもマスコミにも影響力がある」
11月のある日曜日、救急車が彼の家の前に到着した。
「家ん中に入ってきたのでびっくりしたよ。誰が寄こしたのかわからない。
身体を見たけど、特に悪いところはなかったようだ。俺は退屈もしてなければ鬱にもなっていやしない。
一人に慣れっこだしね。医者が俺のことを放射能のチャンピオンだといったよ」
彼は動物と原発のことを話す時、一番情熱的になる。
「エネルギーを悪い形で使うのを世界中でやめるべきだ。人間がつくりあげたものはいつか必ず壊れる」
彼は続ける。
「富岡も他の立ち入り禁止地域と同じように大掛かりな手立てをとらなければ消えていくだろう。
年寄りだけが村に戻りたいと言っている。若い人はもう戻らない。20年以内には年寄りはみんな死んでいく。
生命のサークルを受け継ぐ若い世代はいなくなり、ついに誰もいなくなる」
<福島第1原発>警戒区域に独り 井戸水とろうそくで生活
毎日新聞 12月14日(水)2時30分配信
松村さんが餌を与え続けている飼い主を失った犬たち=福島県富岡町で2011年12月9日、松村直登さん提供(一部画像を処理しています)
東京電力福島第1原発事故で立ち入りが規制されている警戒区域(半径20キロ圏内)の福島県富岡町で、農業、松村直登さん(52)が自宅に一人とどまり続けている。警戒区域の外で毎日新聞のインタビューに応じた松村さんは「命を守るために法律で避難させていることは理解できる。しかし、何十年も避難するぐらいだったら、自分は短い間でも生まれ育った富岡で過ごしたい」と語った。【沢田勇】
【福島第1原発事故】新たに「帰還困難区域」指定へ 土地買い上げも検討
◇「非難はわかるが短い間でも富岡で過ごしたい」
松村さん宅は原発の南西約12キロに位置。富岡町内の残留者は一人だけという。震災から約1カ月後、松村さんも同県郡山市内に一時避難した。だが、すし詰め状態で避難所に横たわる被災者を見て「自分には無理だ」と思い、3日ほどで自宅に戻った。「『自分勝手だ』と非難があることも分かっている。罰金ならいくらでも払う。でも自宅に帰ることが犯罪なのか。おれたちは被害者なのに」
自宅は電気、水道などライフラインが寸断されたままだ。だが、自家用車に使うガソリンなどの燃料は火災を心配する町民が「使って」と提供してくれた。食料は備蓄のコメや缶詰。風呂は井戸水をまきで沸かし、夜はろうそくをともす。「東京のために発電してたのにさ、今じゃ電灯の一つもつかないんだからな」。午後7時には布団に入りラジオに耳を傾ける。
町内にさまよう数十匹のイヌやネコ、牛約400頭、飼育施設から逃げ出したダチョウなどに、動物愛護団体から送られた餌を毎日数時間かけ、与え歩く。「町に戻った自分にできること」という。
同居していた両親は静岡県内に避難しているが、避難後に母(80)は認知症になった。伯母は避難先の病院を転々とするうち体調を崩して亡くなった。
「フクシマ」の現実を世界の人に知ってもらいたいと、英BBCなど欧米メディアの取材に積極的に応じてきた。「人間が作った機械に完璧なものはない。『夢のエネルギー』なんて幻想だ」。怒りを込めて訴えてきた。
松村さんは線量計を持っておらず、これまでの被ばく線量が分からない。今のところ健康に問題はないという。震災後数カ月は畑の野菜や木に実っていたビワを食べた。「痛くもかゆくもないってことは怖いことだよ」と内部被ばくの不安がよぎる。
しかし、健康被害が出たとしても「地元を離れる気はない」という。「一日も早く除染が終わって、みんなが帰ってくるのを見届けたい。警戒区域の中にいないとできないこともあると思う。みんなが帰って来られるように自分なりに努力したい」
◇4市町村に8人 難しい強制退去
警戒区域のある9市町村に取材したところ、13日現在、4市町村の区域内に少なくとも8人がとどまっている。内訳は松村直登さんのほか、田村市の60代男性、川内村の50代と80代の女性計2人、楢葉町の男女各2人の高齢者ら。
原子力災害対策特別措置法に基づいて設定された警戒区域は立ち入り禁止で、違反者には10万円以下の罰金を科したり、拘留できる。
だが、川内村は「避難を説得してきたが(残留の)意思が非常に固い。食料がない場所に放っておけない」として2週間に1回、女性2人に食料を届けているという。
国の原子力災害現地対策本部は「強制退去させることも可能だが、住み慣れた土地にとどまりたいという住民を無理やり追い出すのは難しい」。福島県警広報室は「検問所を設け警戒区域への進入を防ぐのが任務。住民を発見した場合は避難を呼びかけ、自治体に伝えてきた」と言う。
旧ソ連のチェルノブイリ原発事故(86年)では「サマショール」(わがままな人)と呼ばれながら立ち入り禁止地域に住み続けた住民がいた。