「ヘルマン」川村毅さんによるレクチャーに行ってきました。


上演中のティーファクトリー「ヘルマン」の、演出・川村毅さんによるレクチャーに行ってきました。

長めのアフタートークみたいな感じ。

吉祥寺シアターの稽古場に初めて足を踏み入れた。

以下はメモ。

この作品は「ポストドラマ」と言われるジャンル。
言葉を頂点に(メインに)作る演劇ではなく、言葉と身体表現を同じ価値で構築するもの。

細部に余白を多く残した。
ヘルマン・ヘッセを読んでない人もいるので、細部はわからなくても良いから、観る人の五感を刺激するようなものを目指した。

映画「野いちご」を参考に、ヘルマン・ヘッセのノーベル賞受賞前夜を描いた。

「テーマはヘルマン・ヘッセで作品を」というオファーだった。
以下の2つは避けようと思った。
①ヘッセの伝記を描く、②ヘッセの一つの作品を取り上げる。

なぜヘッセだったかと言うと、吉祥寺シアターの支配人がヘッセのクヌルプが好きで、かつて(自分が)上演したパゾリーニを気に入ってくれていて「ああいうのでヘッセをやってほしい」ということから。

戯曲はヘッセの小説の文章から組み立てているので、今回は(自分のクレジットを)「作・演出」ではなく、「構成・演出」とした。

戦争や多様性などのテーマがあり、今上演するにも、全く古くない内容だった。

最後のスピーチは、実際のノーベル賞のスピーチだが、ヘッセは出席しておらず、原稿を預けて代読だった。

自分の作家としての経験で、作品は発表すると、自分の物ではなくなる。読む人・観る人の物になっていく。
その結末として、ヘッセの書いた物語の登場人物たちが作家を苦しめる。
それに苦悩して、若き日の自分に「登場人物を殺せ」と命じる展開になる。
が、逆に殺されてしまう。(注∶幻想の中で)

キャスティングは、最初に麿赤兒さんが決まっていた。
麿赤兒さんの身体性は、そこにいるだけで芝居が成立する。
その後、大空さんと横井さんが決まった。
アンサンブルはオーディション。

ヘッセ(老年、若者)と、クジャクヤママユの3人は別にして、それ以外のキャストは何役も演じるので、早着替え無しで出来るように、白塗りのメイクと黒い衣装で全員統一した。

セットは、舞台美術家を入れなかった。
入れなくても良いくらいシンプルにして、 飾らない。
音楽は、ドイツバロックを意識。
シューベルト、シューマン、マーラー、ワーグナーも使っている。
冒頭でベートーヴェンの「月光」を使ったのは、自分が好きだから。
途中のノイズミュージックもドイツのもの(アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン)。

背後に映した映像は、シーンの説明で使うことはしないようにした。
ルソーの映画の映像は、脈絡無く出した。ちょっとだけ関連(縄跳びの少女)はあったが、基本的に芝居をしているシーンの説明で出すことはあまりしない。
ただ、劇場のシーンは、セリフだけだとわかりにくいから字幕映像を出した。

ナルチスとドルトムント(シッダールタ)のシーンは映像無しにした。あそこは芝居だけで見せるというのは、もともとあった構想だった。

稽古期間は1ヶ月だが、その間に正月休みがあり、実質3週間ほどだった。
本読みは稽古開始のさらに1ヶ月前と、早かったので、それからキャストの皆さんはヘッセを読んだようだ。
大空さんはかなり読み込んでいたと思う。
麿赤兒さんは読書家で、かなり読むのが速い方。

川村さんの講義と、お客さんの質疑を含めて1時間半ほどあり、ボリュームたっぷり。
お客さんは既に観劇した人がほとんどだつた。

#川村毅 さん
#ヘルマン