2泊3日の京都旅行。

2日目の朝ランで見てきたところを復習してみます。

 

思い出せるかなぁ・・・ガーン

 

 

この日はこのようなコースを走りました。

この地図は西が上になっています。

 
 

旧京都市立 淳風小学校

竣工:1931年(昭和6年)

設計:京都市営繕課

施工:大林組

 

ここは偶然立ち寄りました。

丁度木の枝に隠れてしまっていますが、「淳」という文字を真ん中に持つ金色の校章が掲げられているようです。

 

走り始めたばかりで、巡りたいところが沢山あったので、落ち着いて観察出来なかったのが残念。

2日目の朝ランで見つけた「生祥小学校」と同じく、番組小学校の一つですね。

 

 

 
トイレを求めて立ち寄った公園に魅力的な展示物を発見。
 
 
カーブしている線路が美しいと思うのは私だけでしょうか。
向こう側に見えているのは「京都鉄道博物館
ブロ友の記事を読んだ記憶があります。
 
 

龍谷大学 本館―国の重要文化財

竣工:1879年(明治12年)

設計:不明

施工:不明

 
日本人が設計した洋風建築としては、規模が大きく、設計が厳重と文化財オンラインに書かれています。
 
 

西本願寺 唐門―国宝

建築年代:1573年(天正元年)~1614年(慶長19年)

 

寺院の門としては豪華すぎることから、伏見城から移されたという説もあるものの、はっきりしないとか。
 
 
 
あとから読もうと思って撮影しましたが・・・読めませんね。
 
 

龍谷大学 大宮学舎旧守衛所―国の重要文化財

竣工:1879年(明治12年)

 

唐門の美しさに引き寄せられた後、煉瓦の建物があることに気がつきました。

 
 

旧村井銀行 七条支店

竣工:1914年(大正3年)

設計:吉武長一

 

村井銀行は明治の煙草王、村井吉兵衛(1864~1926)が設立した銀行とのこと。
 
「1913年(大正2年)東京の日本橋に本店を新築して移転」との情報に触れ、どこにあったか調べてみたところ・・・お世話になっている三菱UFJ銀行日本橋中央支店が入っていた日本橋御幸ビルに村井銀行時代の入り口が残っていたことを知りました。 
 
日本橋周辺は大規模な再開発が行われているので、残念ながらもう見ることが出来ないかも知れません。
 
 
西本願寺 伝道院が見えてきました。
 
 

本願寺伝道院―国の重要文化財

竣工:1912年(明治45年)

※ネット上では1911年(明治44年)という情報が多数ですが、建物の前にある説明板には「明治45年に建築された」とあります。

設計:伊東忠太(東京帝国大学教授)

施工:竹中工務店

 
 
 
 
説明板の内容はこうなっています。

 

    

重要文化財
本願寺伝道院 ※指定名称 旧真宗信徒生命保険株式会社本館(本願寺伝道院)


 この建物は、明治28年(1895)4月に設立された真宗信徒生命保険株式会社の社屋として、明治45年に東京帝国大学教授伊東忠太の設計、竹中工務店の施工により建築されたものです。当初は「本館」のほか「付属屋」、「倉庫」2棟、「物置、人力車置場、便所」、「屋根付伝ひ廊下」が建っていましたが、現在は「本館」のみが残っています。
 伊東忠太の提唱した「建築進化論」(石材や鉄に依存しつつも欧化でも和洋折衷でもなく、日本建築の木造伝統を進化させること)を明確に表現した建物で、外観は古典様式に基づくものの、開口部まわりや軒まわり、塔屋の形態などにサラセン様式、日本の伝統的な様式が用いられています。
 現在は本願寺伝道院として浄土真宗本願寺派僧侶の布教・研修の道場として使用しています。


本願寺

 

 
 
旧鴻池銀行七条支店(ヴォヤージュ ドゥ ルミエール 京都七条迎賓館)―国の登録有形文化財
竣工:1928年(昭和3年)

設計:大倉三郎

 
どうやらここもノーマークだったようです。
Googleマップに印が付いていなかったので、この建物が何なのか調べるのに苦労しました。
 
現在は結婚式場として使われているようです。
 
 
真宗本廟東本願寺 御影堂門―国の重要文化財
竣工:1911年(明治44年)
 
さらに、こちらもノーマークだったのですが、遠目にみてもあまりにも巨大な山門に驚いて写真だけ撮っておきました。
 
木造建築の山門としては世界最大級とのこと。
幕末の禁門の変(蛤御門の変)で焼失してしまったものが、明治に再建されたそうです。
 
ともかく、その大きさに圧倒されました。
 
3日目の朝ラン 後編に続きます。