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自分の為の記録であり暗い話が多いですし、辛いことを思い出してしまう方もいらっしゃると思いますので、読まないほうがよいかもしれません。もし、読む方がいらっしゃるのであれば、今の私はそこそこ元気であることを念頭に置いて読んでいただければと思います。
※腫瘍の写真を載せます。苦手な方はここで読むのをやめるかスクロールで写真をとばして見ないようにしてください。
2023年2月末、転院しました。
主治医から3月1日から入院と、自分は3月末に異動すると伝えられました。
3月1日に入院し、DPd療法が始まりました。
治療を始めてしばらくして鎖骨の辺りがおかしいことに気づきました。
スマホに3月7日に撮影していたものがありましたので載せます(以前治療を始めてから2週間位と書いていましたが訂正します)。苦手な方はスクロールして見ないようにしてください。
明らかに片側の鎖骨がおかしいです。
主治医は前の腫瘍と形が違うし判断に迷うと言いました。前に出来た腫瘍は胸の辺りで丸いものでした。
腫瘍でないのであれば何なのか?
腫瘍であれば抗がん剤が効いていないのか?
どちらにしても不安でした。
この後、主治医の回診はほとんどなくなりました。異動が決まっているので忙しかったのか?事情はわかりません。この鎖骨についての主治医からの明確な回答はありませんでした。
回診は主治医についていた研修医が行いました。またしても主治医に診てもらえない。主治医とは何なのか?疑問になりました。
研修医は個人的には腫瘍だと思うと言いました。
数日後発熱し呼吸困難になりました。
この時は死を覚悟しました。朦朧とする意識の中、突然こんな形で死んでしまうのか、死んでしまうのであれば母に申し訳ないと思いました。
目が覚めた時、男性の看護師が点滴の速度を調整している様子が見え、(生きている、助かった)と思いました。
EXILEにいそうな見た目の看護師に後光がさしていて、頭の中ではアメイジング・グレイスが流れている…不思議な光景でした。今でもたまに思い出します。
研修医から感染症にかかり、起因があった(小児喘息でした)喘息を発症したと説明がありました。
この時も全て研修医が対応してくれました。
喘息になり抗がん剤治療は中断。喘息の治療をして退院しました。
退院前に主治医の回診が1回ありましたが、そこに信頼関係はもうありませんでした。
研修医は親身になって対応してくださったので感謝しています。
退院して数日後に外来受診。主治医は異動後で違う医師の診察でした。医師は
「今までの経過と今日の血液検査の結果からして退院している場合ではない。入院して治療するべきだ。」と言い、4月3日に入院することが決まりました。
退院は主治医が決めたことです。
実は入院中に主治医が研修医に「よくなったんでしょ?早く退院させて。退院させるべき。」と言っていたのが聞こえていました。
医師によって見立てが違うのはわかりますが、あまりに違う見解になんだかなぁと思いました。
4月3日、入院しました。
新しい主治医(現在の主治医)と対面しました。第一印象は悪くありませんでした。
kd療法の説明を受け、翌日から治療が開始されました。
主治医の回診は毎日あり、やっとまともに診てくれそうな主治医で安心しました。
kd療法では初めて強い副作用が出ました。
主治医に症状を伝えると
「そんな副作用は出ないはずなんだけど。」と言われました。
私はありのままを伝えただけなのに…。
先のことになりますが、麻薬系の痛み止めに切り替えた時に出た症状を伝えた時も「そんなわけない」と言われました。
私は主治医に対して心を閉ざしていきました。
kd療法の最中、新たな腫瘍が出来ました。また抗がん剤が効いていないのか?
医療知識がない私はまだ違う薬があるだろうし、なんとかなるだろうと考えていました。
kd療法を1クール終えて退院しました。通院でkd療法を継続予定でした。
4月27日、予定されていた外来受診です。カイプロリスの点滴の予定でしたが、肺炎をおこしており、血液の状態も悪く急遽翌日の入院が決まりました。
4月28日、入院。
主治医より
「この病気の抗がん剤が効かないので他の癌でも使用する薬を今後使う予定です。次の薬が効かなかったら覚悟が必要です。」
と言われました。
1日で状況は一変しました。何故なのかは聞いていないのでわかりません。
病気発覚時に受けた余命宣告的なものよりもこの時の方が死への実感は強かったです。
病気のことがわかりつつあったし、基幹病院で効く薬がないと言われたことは実感するには充分なことでした。
続きます)