ムスメの療育での出来事を書きたかったのだけど、
ちょっと別件で思うところがあってねー--、
でも、誰かに言えることでもないから、こっそりブログに書かせて下さいまし。
明るい話じゃないから、気をつけて
先に言っておくわ。
暗い話よ
興味がない人は、回れ右よ~。
あのね、
ワタシ、三姉妹の末っ子なのよ。
よく、「末っ子だったら、可愛がられたでしょ~」って言われるんだけど、
我が家は、長女(姉1)のインパクトが強すぎて、末っ子のワタシは、いないかのように育ったの。
それでもって、父も母も子供より自分の気持ちを優先させる人だったの。
母は、子供の考えなんて、必要としない人で、育児書に「子供は睡眠を多くとるべき」って書かれてあるのを読んだら、一分でも多く寝かせなきゃ、って言って、昼寝も強要し、夜も19時か19時半には、寝かされてた。
でも、昼寝を2時間くらいさせられて、夜も19時になんて、寝られるわけがない。
昼寝のあと、外遊びに連れて行くわけでもないし、幼稚園から帰ったらずー--っと家にいてるだけで、体力が有り余ってるんだもの。
ワタシの場合は、眠たくないから、お昼寝も出来ずに、
でも、起き上がったら怒られるから、ただただジーーッと時が経つのを布団かぶって待ってたなぁ。
で、寝ていないのが母にバレると、「寝なさいって言ってるでしょ」と言って、叩かれるの。
「お願いだから、叩かないで。」
って、母に言ったセリフ、今も頭にこびりついて離れないわー-
仲良し家族でもないのに、昔から、家族旅行には、毎年行ってたわね。
母は、「素敵な家族」って、周囲に見られたかったのかしらね。
大抵、みんな(三姉妹+母)でお揃いのワンピースを着て、旅行に行くの。
買うときもあったし、母の気合が入ってるときは、母の手作りのワンピースで行くこともあったわね。
でも、その為に母は、夜なべして、服作りに勤しむわけだから、ますます子供のことは、無関心
父は父で、自分のことしか好きじゃない人だったから、旅行に行っても何にも話さない、新幹線に乗っていても、先に一人で降りようとする。
子供がいたら、「次の駅で降りるからな。荷物を持つ準備しなさい。」とか、言うもんよね
でも、父は、そんなことは絶対に言わないの。
昔、気になって聞いたことがあるの。
「お父さんは、私たちが目的地の駅で、もし、降りられなかったらどうするの心配じゃないの」
って。
そしたら、
「行く場所は言ってるんだから、降りない人間が悪い。降りれなかったら、反対側の電車に乗ったら、戻って来れるだろ。」
って、冷たく言ったの。
まぁ、こんなのは、家族のほんの一コマでしかないけど、ずー--っとそういう感じ。
「疲れた」と言えば、
「その言葉は、言われた相手も疲れさせるから、言わないように。」
って言われるから、自分の家なのに、疲れた、って言葉も言えない。
冷たい、真水みたいな家族だったなー--って感じだわね。
で、ワタシが高校生になった頃、母の父へのうっぷんが全部ワタシにきたの。
ホラ、姉1は、変人だし、姉2はワタシには、優しいけど、他の人には、氷のように冷酷な人だったからね。
大きくなったワタシに、母はいつも父の悪口を言うようになってねー--。
悪口って言っても、冗談まじりなのと、笑えない悪口とがあるじゃない
昔からの父に対する思いと、母が言う父の悪口との両方で、ワタシの中での父への思いは底なし沼のように悪くなっていったわー。
まぁ、悪くなったというか、「もう父には、かかわらないでおこう」みたいな感じね。
もうまさしく他人みたいな感じよ。
それが、変わったようになったのは、ワタシが就職してから。
姉1も姉2も家を出て、母はむちゃくちゃワタシに優しくなったし、就職してからは、父とお酒を飲むことも頻繁になってねー。
昔じゃ考えられないわね。
すっごく楽しかったの。
昔の冷たい家族関係だったことを忘れちゃうくらいに。
でも、母が認知症になって、母の介護や父の生活のお世話なんかをしているうちに、すっごく疲れてきてね、
それで気づいたのよ。
「昔、父と母に可愛がられたかった気持ちが、今、介護やお世話をすることで、満たされようとしてるんだ」
って。
母の介護をしてたときも、母は、ワタシを頼りきってたし、姉二人の名前は忘れてもワタシの名前は忘れなかったの。
父は、そんなワタシを大切にして、「カブ子(ワタシ)には、感謝してる」って言ってくれたし。
嬉しかったの。
でも、両親のお世話をし過ぎて、自分の今の家族に迷惑をかけてることに気がついて、
その上、癌にまでなってしまって、
ワタシが、一番大切にして守りたいのは、主人とムスメの家族なんだ、って思ったの。
ワタシは、父と母のことが心配だったから、お世話をしていたんじゃなくて、愛されたかったし、認められたかったから、お世話をしていたんだな、って気がついて、ワタシは、父との連絡を控えるようにしたの。その気持ちに気づいてからは、近すぎる距離がしんどく感じるようになっちゃってね。。。
わぁ、
すっごく暗い話よね
誰も明るくならないわよね
で、今もあんまり父とは、連絡を積極的にとってないんだけど、(とは言っても、車で20分くらいのところに住んでるんだけどね)
ここ最近、父がラインをくれるの。
「元気にしていますかごはん、作りに行きましょうか。」
って。
(父は、料理が趣味なの)
でも、それをありがたく受け入れられない自分がいるの。
ムスメのお稽古があるから、夜ごはんの下準備は、午前中に済んでるし、父がごはんを作ってくれたとしても、帰りは、父を車で送らないといけないし、父は、お酒を飲むとおしゃべりが止まらなくなって、そうなると、主人やムスメの生活にも支障がでるし、、、とか色々考えちゃってね。
でもね、父のことを受け入れられなくなった一番の理由は、やっぱり幼少期の記憶が原因な気がするの。
昔、あんなに家族を必要としていなかった人が、今更、、、って。
それだったら、昔から、もうちょっとは、家族のことを見て欲しかったな、って。
ワタシ、自分が親になって思ったのよ。
子供は、こんなに大切なのに、どうして、ワタシの両親は、あんな風な子育てしか出来なかったんだろう、って。
どうして、家族をあんなに粗末に扱ったんだろう、って。
だから、父から再度、
「温泉に行くくらいしかしてないので、ごはん作りに行けますよ。」
の連絡にも
「ありがとうね」
としか返せていないの。
ワタシ、どうしたらいいのかしら。
ワタシが解決しなくちゃいけない闇よねー--。
他人だったら、縁を切ればいいだけの話なのかもしれないけど、身内、ましてや、親だものね
無限ループから、出られなくて、正直、だいぶ悩んでるわー--